よく考えてみると
かつて,徳川家康は,豊臣秀吉に命ぜられて,住み慣れた地を離れ,当時海辺の寒村に過ぎなかった江戸村までやってきた。広い平野があるにもかかわらず大都市はなく,寒村だけの土地。そのような場所を開拓し,江戸という大都市が構築された。
しかし,徳川家康に可能だったことをなぜそれ以前の人々はなし遂げようとしなかったのか?
同様の例は,他にもある。
例えば,伊達政宗は,当時海辺の寒村に過ぎなかった仙台の地に追いやられた。広い平野があるにもかかわらずやはり大都市はなく,寒村だけの土地。そのような場所を開拓し,仙台という大都市が構築され,また,平野部は開墾されて田となり,江戸の胃袋をまかなうまでになった。
実は,古代においては大きな寺院や荘園などがこれらの地に存在していた。
しかし,戦国時代には衰退し切っていたのだ。
中学や高校レベルの教科書では,そのような古代豪族や古代都市の衰退について,納得度の高い説明を提供していない。おそらく,歴史学者の大半が,巨大な自然災害によって文明(または地方文明)が一挙に崩壊するというプロセスを認識・理解せず(または,その被害の程度を適切に評価せず),いわばイデオロギーを中心に据えて歴史学を構築してきたことにその原因があるのではないか,と私は推定している。ただし,これは素人の推定なので,間違っているかもしれない。
けれども,はっきり言えることは,これらの地では,古代において巨大な自然災害が発生したことがあるということだ。
そして,現在,日本各地の原発がある場所は,良い立地なのになぜか人があまり住んでいなかった場所ばかりだ。だからこそ,原発建設地として選定されたのだ。
しかし,本当に良い立地であれば,本来なら,都市が構築されるはずだ。
しかし,それがない場所だった。
このことの意味を本気で考えてみる必要があるのではないか?
要するに,過去において都市や文明が存在していても,巨大な自然災害でそれが崩壊すると,その地は捨てられてしまう。
荒涼とした地は,古代においてもそうだったとは限らない。歴史上の記録は乏しいのだけれど,調べてみると,かつては大いに栄えた港湾都市だったところもあるのだ。
さて,下北半島には「恐山」がある。何となく意味深な地というしかない。
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