2021年10月16日 (土曜日)

Jakob Lindbergのリュート曲集

仕事に疲れたので途中でやめた。続きはあとまわし。残念なことだが,加齢による劣化が著しい。

例によって,廉価版ワインを楽しみながらCDの音楽を聴いた。

今晩は,届いたばかりのJakob Lindberg演奏によるリュート曲集(BIS-2055)。

様々な曲が収録されており,毎度おなじみの曲も収録されている。

どの曲を聴いても,解釈が堅実で,音色がとても美しい素晴らしい名演だと思う。そして,超名人芸だと言える。

このCDに収録されている曲の中では,作者不詳の「Hence to me Molly Gray」という曲に特別に好奇心が湧いた。

短い曲なのだが,私の個人的な趣味の問題としては,かなり気になる曲だ。現代の曲としても通るのではなかろうか?

 

 

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2021年10月15日 (金曜日)

オイストラフ演奏によるフランクのヴァイオリンソナタ

1959年の録音のもので,録音それ自体は必ずしも良いものとは言えないのだが,仕事に疲れたので途中でやめ,オイストラフのヴァイオリン独奏・ヤンポリスキーのピアノ演奏によるフランクのヴァイオリン・ソナタのCD(DHR-7950)を聴いた。私の好きな楽曲の1つだ。

パリにおける演奏会のライブ録音とのことで,放送の際に吹き込まれたものと思われるナレーションの一部も収録されている。美しい発音だと思う。

演奏は,とても情熱的なもので,ヴァイオリンの音色は,オイストラフ独特のとても美しいものだ。ボーイングとアーティキュレーションがとても美しい。ピアノも秀逸と言える。ピアノだけの部分の感情のこめかたが極めて自然かつ情熱的な演奏だと言える。押し殺しているけれども自然に滲み出てくる情熱とでも言うべきか・・・

(当然のことながら)個人の趣味によって評価は異なるだろうけれども,私にとっては感銘を受ける演奏だった。

特に第3楽章は素晴らしい。

他にも別の演奏家による素晴らしい名演がいくらでもある。

しかし,私にとっては納得度の高い演奏の1つだと言える。

 

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オプトアウトできない約款

個人情報保護法は,あまりできのよくない法律とはいえ,個人情報の本人に対して幾つかの権利を与えている。

第三者に対する提供停止を含め,利用停止の請求ができることもそのような権利の1つだ。

以前は権利ではなかったが,何回かの一部改正を経て,現在では権利となった。

さて,世間には,第三者提供に同意しないと利用できないというような約款をもつサービスがいくらでもある。

(法律上の義務として個人情報または個人データを提供しなければならない場合は,そもそも適用除外なので問題とならないのだが,それ以外の場合において第三者提供の同意を義務づけることは)それ自体明らかに違法と言える。なぜならば,法定の権利の行使を事前に禁止しているのと同じだからだ。

その点に一応目をつぶるとしても,後になって(アカウントの削除を含め)自動的な利用停止を求めようとしても全く何もできないような仕様になっているサイトが山ほどある。

明らかに個人情報保護法違反の仕様だと言える。

関係官庁は,しっかり世間を見渡し,一所懸命働くべきだ。

単なる凡人の1人であり,かつ,高齢者である。この私でさえ,毎月大量の仕事をこなしている。凡人ではない秀才であれば,当然のことながら,私の何倍もの仕事をこなせるはずだと思う。

ちなみに,天才の場合は,普通の評価基準では評価できないので,仕事量が多いか少ないかは関係がない。一生に1つしか作成しなくても「明らかに天才の作品である」として後世の人々によって大事にされるようなとんでもなく超越的な作品を生み出せる者は,やはり天才の一員なのだ。

***

ダメサイトを見分ける方法は幾つかある。

専門家ではない素人でも見分けることのできる方法の1つは,個人情報保護方針,セキュリティ基本方針,財務状況,役員構成等の基本情報が完全に明示されているサイトかどうかだ。

無論,虚偽の情報であることもあるだろう。しかし,多くの場合はまともな会社だし,情報が開示されていれば検証可能なので,透明性が高い企業は比較的まともだと言える。

そして,明示された個人情報保護方針とセキュリティ基本方針を読めば,どのような考えの経営者なのかを理解することもできる。

それによって,オプトアウトではなく,事前に完全に拒否することが可能となるのだ。

逆にそれらの情報を(容易にみつけられるような状態で)開示していない企業は,何かうしろめたいところのある企業,または,法令順守の能力のない企業であるかもしれない。

 

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mutual assistance

以前は,慣例に従い,「mutual assistance」を「共助」と訳した。

現在ではやめてしまっている。

「共助」は,「共同で助ける」というニュアンスをもつ語だ。

しかし,「mutual assistance」は,「共同」で行われるものではない。

「mutual assistance」は,国際条約等を根拠として,互恵的に,一方から補助の要請があれば,その要請を受理して実行するということを意味する。その受理は単独行為であり,要請の実行も単独行為なので,共同の要素を含まない。

また,補助の要請が一方の国の機関から行われるだけであり,その要請を受けた国の側からは1回も要請が行われたことがなく,今後も行われる見込みが全くないような場合であっても,立派に「mutual assistance」である。要するに,法的根拠となっている法律文書が(あくまでも仮定的なものとして)互恵的な効果を与えているというのに過ぎない。

このように,共同の要素を含まないのに,共同行為または合同行為のようなニュアンスをもつ「共助」という訳語を用いることは著しく不適切である。

それゆえ,現在では,「mutual assistance」を「相互補助」と訳すようにしている。

 

 

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2021年10月14日 (木曜日)

80万人

1億3000万人を分母として率を計算すると,普通は,誤差として切り捨てられ,無視されるべき程度の値しか算出されない。

算数を知っている人には説明を要しないだろう。

 

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2021年10月 8日 (金曜日)

コンビニのセルフレジにおける年齢確認

下記の記事が出ている。

 ローソン 酒やたばこセルフレジ販売へ 人手不足で作業省力化
 NHK News:2021年10月7日
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211007/k10013296441000.html

ニュース報道なので,ローソンが実際にはどのようにして法令遵守しようとしているのかの詳細はわからない。もし法令遵守を考慮していない疑いがあるときは,例えば,個人情報保護委員会は,直ちに報告徴収の権限を行使すべきだ。

以下は,ローソンとは関係のない,あくまででも一般論。

人間により年齢確認をする場合でも,免許証等の提示により店員が視認で確認することは普通だ。しかし,セルフレジとは根本的に異なる。

人間による視認の場合,(人間の能力は普通言われているよりもはるかに高いので)かなりの精度で分別できる。しかも,視認の場合,正確なデータがデジタルで残されることはないという保証がある。あるとしても店員の記憶だけだ。

これに対し,セルフレジの場合,当該免許証等が真正なものであるかどうかを自動判別する仕組みが必要となるので,当該コンビニの支配権の外にある認証機関や関連官庁のデータベース中のデータとの照合が必要となる。それが適法に行われるための統一的な法令は,現行法の中には存在しない。それゆえ,常に違法行為となるリスクが存在する。日本国の場合,異なる組織間で整合性のとれたデータ照合を安全に実行するためのデータ,データセット及びメタデータの統一仕様が存在せず,そのような分野を規律するための(EUのeIDASのような)統一的な法令が存在しないので,情報セキュリティの観点からも,安全性の検証に手間取ることが予想され,かなり大きな問題が顕在化しつつあることに全ての関係者が明確に気づくべきである。

セルフレジの場合,明示または黙示で,年齢確認の目的のために免許証等の提示が求められる。このことは,逆に,目的外利用が許されないということを意味している。

ところが,セルフレジの場合,提示された免許証のデータをデジタルで自動的に記録し,関連データベースに自動転送することは,極めて容易なことだ。それが目的外利用に該当することは明らかだ。

無論,マーケティング等を含め,様々な目的のために二次利用すること及びデータを第三者提供することを明示し,本人が同意するのであれば,違法行為ではない。しかし,この場合,免許証の提示を求める時点でそのことを顧客が十分に理解できる仕組みを構築することが必要だ。しかも,顧客が了解しない場合,年齢確認のための処理以外の処理を全て機能させないようなキルスイッチの設置が必須となる。そのようなキルスイッチが正常に機能しているかどうか,当該事業者は毎日点検し,定期的に個人情報保護委員会に報告すべきだろう。また,個人情報保護委員会は,「事業者は善人ではない」という前提で,常に猜疑心をもち,定期的にソースコードレベル及びデバイスレベルでの徹底的な検証を実施し,もしごまかしが発見されたときは,関連事業者全部を1年~3年程度業務停止とするくらいの強い覚悟で監督を実施すべきだと考える。問題の発生に備えて,1事業者あたり1兆円程度または相当な額(1億人×推定平均損害額)の担保を事前に積ませるような法制の確立も望まれる。

更に,データを第三者提供する場合,後に,当該顧客が利用停止または削除を求めた場合,当該コンビニのセルフレジから,当該第三者に既にわたっているデータを含め,ワンクリックで全て自動的に消去するような仕組みの構築も必須と考える。当該第三者が外国政府または外国企業であり,当該セルフレジシステムの運営者の支配権が全く及ばないときは,当該運営者に関し,いかなる不可抗力の主張も許さず,無条件で全ての法的責任を負わせるような法制整備も必須だろう。

更に,画像データが保存される場合,運転免許証の形状・画像の複製や模倣と関係する関連法令との整合性が検討されなければならない。

当該事業者内にそのような検討をする能力のある法務部等が存在しない場合,公安当局及び警察当局は,最大限の猜疑心をもって警戒すべきである。

画像データの中に含まれる写真データ等の漏洩があった場合,当該事業者が,いかなる不可抗力の主張も許されず,無条件で全ての法的責任を負うような法制整備も必須である。

セルフレジによって一方的に大量の情報(データ)の提供を要求するのである以上,そのこととのバランスをとるため,事業者側には(一切の責任免除を認めない)無過失責任を原則とするような基本的な法理の確立が望まれる。

このことは,将来の人工知能技術の応用の前段階における「試金石」のようなものであり,もし政府が鈍感なままであるとすれば,(国防の問題も含め)日本国民に未来はない。

そもそも,人出不足の解消が目的と説明されているようなのだが,人出不足であれば総店舗数を削減すべきであり,自動化に投資するのは本末転倒と言える。

小売店の需要のある地域では,小型トラックによる巡回販売事業者や旧来の小売店の復活を推進するような政策が(国家レベルのフェイルセーフの観点からも回復力の観点からも)望ましい。コンビニチェーン等による独占的な支配の時代は「終わり」にしなければならない。

 

[追記:2021年10月9日]

セルフレジにおいて免許証等(外国人の場合,登録証・パスポート等)による自動的な年齢確認の仕組みを導入する場合,偽造・変造の証明書(カード)の使用があり得ること,そして,顧客が誤って別のカード等を使用した場合の対処も考えておかなければならない。

このような場合に検討すべき側面は多方面にわたる。

基本方針の設計の段階では,偽造・変造のカード等が使用されている疑いが自動判別される場合,警察や入管当局等に自動通報する仕組みを予め組み込むかどうか,その自動判別が誤判定だった場合にどのように対処すべきか(怒った顧客に対する個別対応を含む。),自動判定のために記録されえるデータの取扱いをどのようにすべきか,誤判定の場合でもデータを保存するか等を決定しなければならない。それらの基本方針は,当然のことながら,事前に公表されるべき性質のものなので,それを公表することによる結果も全ての範囲にわたって想定し,対処する必要性がある。

顧客が誤って(機密性の高い)勤務先の入退室用カードを使用してしまったというような場合を想定し,かつ,もしそのカードに含まれている電磁的記録が自動的にセルフレジまたはそれと連携するサーバ等の中に記録保存されるような場合を想定すると,そのような記録を残すことは,結果的に,不正アクセス禁止法違反となるような行為または建造物侵入行為またはテロ行為等の原因を発生させ得るリスクがある。そのようなリスクの発生を自動的に排除するような仕組みが設計・実装・運用されなければならない。リスクの存在が容易に想到可能であるにも拘らず何も対処しないことは,不作為による共同正犯または幇助犯の成立を是認し得る要素の1つとなり得る。この点に関して,問題となり得る犯罪類型の中には,共犯的行為または周辺的行為が独立罪として定められていることが多いということを明確に認識する必要性がある。

それらのことと自動的に連動することとして,捜査機関からデータの提供を求められた場合にどうすべきかに関しても,基本方針の設計の段階で明確に定められている必要性がある。データがセルフレジそれ自体ではなく,別のサーバや第三者のデータベース内に記録保存される場合,捜査機関等からの依頼または裁判所が発する記録命令付き差し押さえ命令の執行の場合,それらのデータ転送の経路を順たどり,迅速に対処する必要が生ずることがあり得る。Computer Forensicsの観点からすると,それらの転送の経路が正確であることを証明することが可能なレベルのログの一部を(保証を付して)提供できるような自動的な仕組みを設計・実装・運用することも予め定められる必要性がある。

それらの仕組みは,全て個人情報保護法に定める要件を完全に充足するものでなければならないので,本人から情報提供,利用停止または削除,第三者提供の停止等が求められた場合にも自動的かつ完全に対処できるような仕組みが設計・実装・運用されていなければならないことになる。捜査機関等からの求めによる第三者開示は,法定のものであるので,(理論的には)個々の事業者が利用目的として事前に明らかにしておく必要性のないものではあるが,(顧客対応という観点からは)そのようにして記録されたデータが捜査機関や入管当局等の手にわたる可能性があるということを自動的に明示するような仕組みを導入すべきだろう。

加えて,システムの仕組みが複雑になり過ぎること(または,収益を圧迫するレベルで高コストとなること)を避けるため,使用可能なカード等の種類を限定した場合,必然的に,「差別」の問題が発生することを覚悟しなければならない。特に,視覚等に障害のある者,手指等の触覚または動作に障害のある者や高齢者等を消費者取引行為から自動的に排除してしまうような仕組みは,差別行為そのものとなり得る。日本国民しか所持できない証明書またはカードのみを使用可能とした場合にも同様の差別の問題が発生し得る。

そのような差別の発生を回避するための相対的に合理的かつ有用な方法は,機械装置であるセルフレジではなく人間の店員による顧客対応である。機械装置は,機械装置として設計・実装されている以外の機能を発揮することはできないが,人間であれば臨機の対応が可能である。

現時点におけるEUの人工知能政策の骨格部分,その中でも特に「人間中心主義」の思想から学ぶべきことは多い。

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2021年10月 5日 (火曜日)

シェリングのバッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」

いわずと知れた名曲中の名曲であり,シェリングの演奏は名盤中の名盤。モノラル版のCDを聴いた。

最初のほうには若干のノイズが残存しておりちょっと残念な感じはするけれども,演奏それ自体は定評のある素晴らしいものだ。

感銘を受ける。まさに名盤。

若い頃,この楽曲の譜面を徹底的に研究し,実際に演奏してみたこともあるので,この曲を普通に演奏することがいかに難しいかをよく知っている。聴き手に感銘を与えるような演奏は稀有というべきだろう。

他にも名演と呼ばれる録音がいくつかあり,まだ保有していないものが幾つかあったので注文した。

今回の分析検討は,趣味としての楽しみの面もあるが,基本的には新たな研究のための素材収集の一部だ。

これまで,私は,困難な仕事であればあるほど,それを自分の趣味としてしまうというやり方でその困難を乗り越えてきた。それが趣味であれば,研究を続ける努力を苦痛に感じることがない。

そして,今やろうとしていることは,創造性や意欲のない者にとっては全く理解できないものだろうと思う。

だからこそ,やるだけの価値がある。

私以外のほぼ全ての人々が無関心であるか,または,それがどのような意味をもつのか全く理解できない状態が続けば続くほど,時間の経過と共に,凡人の一員に過ぎないこの私でさえ,相対的優位を築くことができる。

特に,ステレオタイプのような狭いカテゴリの中しか知らない者との関係においては,極めて簡単に蹴落とせるようになれる。

ただし,一定のリスクは伴う。

そのリスクを他人に負わせるわけにはいかないので,私一人だけが負う。

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審査

一般に,審査する立場の人間は,完璧でなければならない。

無論,私自身は,凡人の一員であり,無論,完璧ではないので,可能な限り審査する立場には立たないようにしている。

どのように自分に有利に評価してみても,そのような(絶対値としての)完璧さなどない。

しかし,諸般の事情により,やむを得ず,相対的優位という理由だけで審査の立場にたつことがある。そして,判定する。

それがどういう意味があるのか,自分でもよくわからない。

***

あくまでも一般論としては,とんでもなく超越した絶対値をもつ者でない限り,本来は審査の立場に立ってはならないのだと思っている。

普通は,そのような完璧な者など存在するはずがなく,仮に存在するとしても,世界中探してもせいぜい1人か2人くらいしかいないだろうと思う。

しかし,現実は異なる。

古代の等級で言えば,「下の下の下」程度の人間がその職務に従事している例がいくらでもある・・・というよりもそれが普通になっている。

せめて,「下の中」または「中の下」であってほしいと思うのだが,これまでそのような実例と出逢ったことが(容易に)数えられるくらいのごく少数しかない。

ここでいう「下の下の下」とは,古代における九品中正制の意味における「下の下の下」を指しており,現代日本語における「下の下」等の語とは全く関係がない。

社会というものは,どの時代においてもそういうものなので,諦念が全てとなる。

あくまでも一般論なのだが,「下の下の下」の者を審査の立場に置いている組織が将来どうなるかをシミュレーションみてみることは,ときどきある。

例えば,特に,何もわからないどうにもこうにもダメな者がそのような重要な立場にたたざるを得ない状況となっているような組織の場合,たぶん,組織それ自体が長くもたない。人材が払底しているのだ。

そのような場合,当該組織の現在の従業者の中で転職可能性のある者は,可及的速やかに逃げ出した方が無難なのだろうと思う。

「最も重要な顧客ほど本質と現象形態とが相反している可能性があり得る」という誰でも知っている当たり前のことを知らない凡人未満の者しか所属していない組織は,早晩消え去る。

しかし,このことは,逆に,当該組織の実力を見定め,判定するためには,どこに着目すれば良いかの判断基準を与えるものでもあり得る。

ガラクタ同然の自動判定システムを売り込むために絞るべきターゲットは,そのような愚かな組織だ。そのようなシステムの売り込みは,きっと成功する。なぜなら,そのようなカモ組織は,組織自身で正しく判断する能力をもたないからだ。

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2021年10月 4日 (月曜日)

パゾリーニ『デカメロン』

その筋の専門家には悪いが,ずっと愚策として批判してきた。批判している私の方が批判されることの方が多かった。ほぼ全員パニックで脳神経が正常に機能していないので仕方のないことだと思い我慢し続けた。いまや,愚策を愚策と認めない国家指導者が存在しないような状態となっている。当然の帰結だと思う。最初から分かり切ったことなので,私はそのように主張し続けてきた。

その間,私は,そのようなドタバタがどこかで見た景色に似ていると思い続けていたのだが,残念ながら加齢による脳機能の劣化によりなかなか思い出せないでいた。

ちょっとしたきっかけで,やっと思い出した。

それは,パゾリーニ監督による映画『デカメロン』だった。

納得した。

なお,教養のない人には単なる性的描写の映画にしか見えないかもしれない。

そうではないということを理解することのできる人は,現代ではかなり希少になってしまっているのだろう。

一般に,本質と現象形態とは全く相反した様相を呈することがある。そのようになっているから統一性があるという状態が存在する。比喩的に言えば,物質と反物質とが共存することによって場が維持されているようなものだ。

***

http://nam-students.blogspot.com/2009/12/blog-post_28.html

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2021年10月 3日 (日曜日)

シューマン:ピアノ五重奏曲・作品44

仕事や私事やらで若干疲れた。

切り上げて,じっくりと音楽鑑賞。

若い頃には様々な楽曲を自分でも演奏したのだったが,長年演奏からは離れており,練習もしていなかった。そして,加齢による劣化。もう演奏不可能に近い状態となってしまった。それゆえ,ひたすらCDを聴くのみ。

大好きなヤン・パネンカ(ピアノ)+スメタナ四重奏団による演奏。とはいっても1986年録音のもので(DENON COCO-70741),もっと若い頃の演奏のようなグイグイと引っ張っていくような猛烈なエネルギーのある演奏ではない。しかし,これはこれで落ち着いて聴ける非常に優れた名演だと思う。

この曲の第2楽章は,何となく葬送曲のような雰囲気をもっているが,第1楽章は,おおらかで,何となく晴れがましく颯爽としており,しかも,心の底から微妙に温もりのようなものが湧き上がってくる不思議な曲だ。第3楽章と第4楽章は,演奏者にとっての楽しみの楽曲だろうと思う。心の通う仲間でこの曲を自由自在に演奏することができたら,きっと無上の喜びを味わうことができるのに違いない。クララもそのように感じながらこの曲を繰り返し演奏したのではないか・・・などと空想することがある。そして,ブラームスのヴァイオリン協奏曲の第3楽章にはシューマンのピアノ五重奏曲へのオマージュが含まれていると勝手に理解している。

この曲には名盤と呼ばれる録音が多数あり,私も複数のLPとCDをもっている。世間で名盤と評価されているものは,本当にどれも優れた演奏ばかりで,素晴らしい。とはいえ,残念ながら,事情があってLPプレーヤを廃棄してしまったのでLPのものを聴くことができない状態となってしまった。

同じCDにはドヴォルザークのピアノ五重奏曲(第2番)イ長調の演奏が収録されている。とても美しい曲だ。チェロの旋律が特に美しく,涙が出そうになる。ドヴォルザークほどチェロを美しく歌わせることに長けた作曲家はそうそういないのではないかと思う。そして,第4楽章は,シューマンとメンデルスゾーンへのオマージュに満ちている。

ヤン・パネンカとスメタナ四重奏団がこれらの曲を深く敬愛しているということがよくわかる素晴らしい演奏だと思う。

 

 

 

 

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