2018年5月13日 (日曜日)

高度に洗練されたチャットボットは人類に対してどのような影響を与えるか?

下記の記事が出ている。

 Google to warn when humans chat with convincing bots
 BBC: 11 May, 2018
 http://www.bbc.com/news/technology-44081393

 New research finds human validation is critical for chatbot owners
 ZDNet: May 1, 2018
 https://www.zdnet.com/article/new-research-finds-human-validation-is-critical-for-chatbot-owners/

 Humans and chatbots collaborating in the contact centre? Good call![
 IT Pro Portal: May 10, 2018
 https://www.itproportal.com/features/humans-and-chatbots-collaborating-in-the-contact-centre-good-call/

GDPRの適用との関係でどのようになるかについては,1つの論点であり得る。

| | コメント (0)

2018年4月 5日 (木曜日)

Adpocalypse

下記の記事が出ている。

 Tragic YouTube shooting casts new light on creators’ “adpocalypse” complaints [Updated]
 ars technica: April 5, 2018
 https://arstechnica.com/gaming/2018/04/how-youtubes-adpocalypse-may-have-figured-in-its-tuesday-campus-shooting/

| | コメント (0)

2018年3月17日 (土曜日)

the peggies 『ネバーランド』

小倉秀夫先生から紹介されたので,聴いてみた。

 the peggies 『ネバーランド』
 https://www.youtube.com/watch?v=O7Nh_HMaj0A

もしライブでもこのままの演奏を提供可能なグループだとすれば,すごいクオリティのグループだと思う。驚いた。

小倉秀夫先生も金子敏哉先生もそうなのだが,常にリアルタイムの文化空間の中で行動し,考え続け続ける著作権法研究者なのだと思う。堅苦しく言えば,帰納法の実践者ということになるのだろう。

一般に,帰納法を実践する能力またはその経験がない演繹法だけの学者に限って,「実務家」を蔑視する傾向が強い。しかし,その反対の現象はない。なぜならば,帰納法は理論を生成するための手法の1つなので,理論それ自体を軽視することが決してないからだ。その逆の現象はある。演繹法しか知らない者は,帰納法を通じた実証をすることがないから,帰納法の重要性を全く理解することができない。それゆえ,自分が信ずる理論が間違っていてもそれに気づくことがないし,無論,修正することもない。

先日の法と情報研究会・第2回公開研究会においても小倉秀夫先生と金子敏哉先生の研究報告があり,とても勉強になった。

私は,このお二人に関しては,「「法学」学」ではない「法学」を実践する学者として,いつも期待している。

***

さて,この私自身のほうはどうかと言えば,どうも相当に老けてしまったらしく,漢籍ばかり読んでいるような状態なので,若い文化との距離がどんどん広がっているのだろうな・・・と思うことが多い。

これも神仏の命ずること,または,天命のようなものなのだろうからと考え,無理はせず,自然に任せている。

| | コメント (0)

2018年3月11日 (日曜日)

弥生時代の硯

下記の記事が出ている。

 弥生時代に文字使用か 硯の発見、北部九州で相次ぐ 福岡・糸島で討論
 毎日新聞:2018年3月11日
 https://mainichi.jp/articles/20180311/ddp/014/040/006000c

(余談)

冷静に考えた場合,漢の時代に,日本列島に対して楽浪郡等の影響が全く及んでいなかったと考えるほうがおかしいのではないかと思う。

| | コメント (0)

2018年3月10日 (土曜日)

Jean Paul Isson, Unstructured Data Analytics: How to Improve Customer Acquisition, Customer Retention, and Fraud Detection and Prevention

下記の書籍が届いたので,ざっと目を通した。問題意識をもって読む限り,わかりやすい本だと思う。ただし,多少ごまかしがあるのではないかと感じた部分もある。更に精読してみたい。

 Jean Paul Isson
 Unstructured Data Analytics: How to Improve Customer Acquisition, Customer Retention, and Fraud Detection and Prevention
 Wiley (2018)
 ISBN-13: 978-1119129752

(余談)

権利主体(または被害者)が複数である場合の新たな問題点に関しては,FloridiらによるGroup Privacy: New Challenges of Data Technologies があるが、このUnstructured Data Analyticsは,個人データ(personal data)の本質(特に,「個人データ」が単一の識別子だけで構成されるものではないこと)を考える上で参考になる部分を多々含んでいる。

日本国の個人情報保護委員会は,国の機関である。そのような国の機関,及び,それと均等な様々な民間組織は,実定法を解釈し運用すべき責務がある。

それに対し,大学の法学者がやるべきことは,現行の法体制及び法規範の構造を理解し,解析した上で,改善案を提案することなので,国の機関またはそれと均等な組織とは異なる仕事をしていることになる。もし同じことをやっているのだとすれば,その存在意義はない。

私見としては,在来の「個人データ」の概念が既に破綻しており,全く別に構築し直さなければならないと考える。このことは,既に述べたことがある。

そこで,その再構築において重要なことは,在来の「ドグマ」に決して固執しないことだ。

特に,大学教員の場合,自己の直接の指導教授や所属学会の重鎮である諸学者を含め,ダメなドグマに固執する者を全て見捨て,意味のない群れ(衆愚)を離れて,独自に論理を追求することが非常に重要になる。それができるかできないかによって,その者が真に学者と言えるか否かが明確に分かれる。

ここでいう論理とは,在来のドグマのことではなく,新たなロゴスのことを指す。

キリスト教においては,ロゴスは,別の意味をもつが,ここでいうロゴスとは,哲学におけるロゴスを指す。

新たに構築されるロゴスは,それが誰かによって踏襲される場合,社会の中で悪しきドグマとして機能することがあり得る。しかし,それは,更に誰かによって破壊され得るものであるから,結局,一般に,学術とは,いつか破壊されるために創造するという営みを延々と続けることにほかならない。その「誰か」は,自分自身であることもあり得る。

「破壊されることなどない」と慢心する者は,無視して良い。

「個人」及び「個人データ」の本質に関しては,既に詳細に論じたことがある。現時点では過去に述べたことを一応維持しようと思っている。ステレオタイプの理解しかできない脳構造の人々には理解されないと思うけれども,それは最初から覚悟している。

この本に書かれれているサンプルの幾つかは,私見における「もののみかた」のようなものが通説等における観念的な「ドグマ」よりも適切なものであることを証明してくれているように思う。

世界は思想によって支配されているのではなく,その逆に,思想は,事実としての世界によって左右されるものなので,私が想定したようなものへと世界がどんどん変化すればするほど,私見の優位が自動的に達成されることになる。それゆえ,この点に関して特定の誰かと議論しようとは思わない。

目下,更にその先の世界を想定しつつ,より包摂的な論理を探究するための孤独な思索を続けている。

なお,この書籍とは無関係なのだが,下記のような記事も出ている。「死んでいる学者」と言われないように努力したい。

 「死んでいる会社」に蔓延する5つの社内病:「管理が優先、現状維持…」あなたは大丈夫?
 東洋経済オンライン:2018年3月8日
 http://toyokeizai.net/articles/-/211206

| | コメント (0)

2018年3月 6日 (火曜日)

AIによるFake Video

下記の記事が出ている。

 Here Come the Fake Videos, Too
 New York Times: March 4, 2018
 https://www.nytimes.com/2018/03/04/technology/fake-videos-deepfakes.html

| | コメント (0)

2018年2月26日 (月曜日)

渡辺貞幸『出雲王と四隅突出型墳丘墓 西谷墳墓群』

下記の書籍を読んだ。

 渡辺貞幸『出雲王と四隅突出型墳丘墓 西谷墳墓群』
 新泉社(2018)
 ISBN-13: 978-4787718334

非常に良い本だと思う。

ずっと前に出雲に出張で出かけたことがあったのだが,もう1度だけ私的な旅行として行ってみたくなった。

この書籍には,一見すると普通のことしか書いていないように見える。

しかし,古代史を徹底的に研究している人々にとっては,「あっ!」と思うことを幾つも発見できることだろう。

特に,出雲建にちょっとだけ触れている部分は,この書籍の中でも最も注目すべき部分だろうと思う。

私見によれば,同じ出来事が,記紀(特に古事記)の中で別の時代の別の出来事であるかのようにバラバラにされて記述されているのではないかと考える。

これまでの日本史の通説とはかなり異なるけれども,たぶん,通説のほうが破れ去るべきなのだろうと思う。

(余談)

「出雲建」の「建」は、普通の学説上では,「たける」と読ませる。

しかし,本当は,どのように読むべきものなのかが明確ではない。

このような場合の学説上の見解というものは,それを主張する者の意見または感想のようなものなので,客観的な事実それ自体とは異なる。意見または感想の一種に過ぎないという点では,木簡等の客観的な史料によって誰が読んでもそのように読むしかないということが客観的に証明されるのではない限り,学者でない者の別の意見や感想と優劣を決することができない。特に,一定の政治的イデオロギーを必須の前提にしないとそもそも成立しないような見解については,注意を要する。

そこで,考えてみる。

「建」は,「たけ」かもしれない。この場合,他の「たけ」という名を含む国神等との何らかの関係(姻戚関係または同盟関係等)にある者という趣旨が含意されている可能性の有無を検討すべきだろう。

また,「建」が「たて」であるとすれば,「建国者(=王)」という趣旨が含意されている可能性の有無を検討すべきだろう。仮にそのように解する場合、「出雲建」とは「出雲王」という意味しかなく,個人の名を示すものではないということもあり得ることになる。

***

周辺の遺跡として,田和山遺跡と姫原西遺跡がある。特に注意して検討すべき遺跡ではないかと思う。

姫原西遺跡からは弩形木製品が出土している。

田和山遺跡からは大量の石鏃が発掘されている。この遺跡のある地には,かつて鉄鏃も存在していたかもしれない。しかし,地表に落ちた鉄鏃は腐食(酸化)されやすく,現代まで残る可能性がほとんどない。

| | コメント (0)

2018年2月24日 (土曜日)

考古学ジャーナル 2018年3月号(708号),季刊考古学142号

午前の仕事を終え,午後の会議までの間,他にすることもないので,三省堂の本店まで行って雑誌2冊と書籍1冊を購入し,読んだ。

2冊の雑誌とは下記のもので,非常に重要なことがいっぱい書いてある。良い特集号だと思う。

 考古学ジャーナル 2018年3月号(708号)
 特集:「年代」をどう測るか
 http://www.hokuryukan-ns.co.jp/magazines/07journal/j2018_03.html

 季刊考古学142号
 特集:須恵器の変容と各地の古墳文化
 http://www.yuzankaku.co.jp/products/detail.php?product_id=8429

| | コメント (0)

2018年2月 1日 (木曜日)

インド南部で38万5000年前のものとみられる石器が発見されたらしい

下記の記事が出ている。

 Ancient tools found in India undermine the “out of Africa” hypothesis
 ars technica: February 1, 2018
 https://arstechnica.com/science/2018/01/new-discoveries-raise-critical-questions-for-out-of-africa-hypothesis/

| | コメント (0)

2018年1月23日 (火曜日)

松木武彦『縄文とケルト-辺境の比較考古学』

通勤途中の電車の中で下記の書籍を読んだ。

 松木武彦
 縄文とケルト-辺境の比較考古学
 ちくま新書(2017/5/10)
 ISBN-13: 978-4480069610

古代の巨石文化に対する著者の情念のようなものがよく伝わってくる良い書籍であると思う。

古代ケルトの文化とユーラシア東部の文化の共通点については,私も何度か書いたことがある。

ケルトは,現在普通に用いられている用語だが,本当は,「ケー」,「ゲー」または「カー」のような音で示される人々のことを指し,「ゲルマン」と呼ばれるのが通例となっている「ゲー」の人々の古音や「夏」の古音もそのようなものであったかもしれない。

その文化の類似性は,ケルトの遺跡から出土する金属製品と周~戦国時代の中国の遺跡から出土する金属製品との間にも見られるもので,人の物理的な移動の可能性を否定する立場であっても,文化の伝播可能性を否定することは無理ではないかと思われる。古代人骨のDNA調査結果を参考にすると,おそらく,人の物理的な移動もかなり頻繁にあったと理解するほうが妥当である。そのようにして伝播した文化の中には墓制も含まれる。この墓制は,スキタイの文化を記述したヘロドトスの『歴史』の記述とも類似性をもつもので,日本国では,組み合わされた巨石を覆土する円墳の墓制につながるものを含む。前方部を接合するという思想は,漢の方墳文化と北方円墳文化との接合を意味するものである可能性がある。漢の方墳文化は,中央アジアを経由したヘレニズムの文化または更に古いピラミッドもしくはジッグラトの文化そのものである可能性がある。

なにしろ現代とは異なるので,伝播と言っても瞬時に伝播することはなく,何十年もかけて次第に形成されたものかもしれない。しかし,相互の影響が全くなかったと考えるのは無理だと解する。

その分野に属する考古学者は,今後,金属器の成文分析を丁寧に進めるべきだろう。そうすれば,後世の贋作を発見して除去する助けともなるであろうし,そのようにして選別された真作のみを用いて比較検討することが可能となる。

ここでもまた,唯物史観及びそれに基づく政治的イデオロギーを完全に否定することから全てが始まる。それは,本体(本家本元)であるロシアと中国では既に過去のものとしてほぼ全面的に葬り去られており,世界の中では日本国の大学等の一部の中の伝統文化のようなものの一種として残存するのみであるが・・・

そんなことを考えながら読み終えた。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧