2018年12月24日 (月曜日)

布都主神

「布都」は,「ふつ」と読ませる。

豊城入彦命」の「豊」は,「とよ」と読ませるが,「ふ」と読み得る。そして,「城入」または「城」とは「都」のことであるので,「豊城入」または「豊城」=「豊都」であり得る。つまり,「豊城入」は「ふつ」であり得る。「入」を「ぬ」または「の」と読むことが可能であるとすれば,「豊城入」は,そのままで「布都主」とほぼ同じ音(読み)となる。

音読みとするか訓読み(または,非常に特殊な読み下し)とするかによる相違はあるが,『古事記』や『日本書紀』の編者は,ある程度までわかっていて意図的にそのような作為を加え,それによって,非常に古い時代のこととして重複して記載した人物があたかも別人であるかのように見せかけた可能性が高い。しかし,「淡海三船」とされる人物は,それらのことを知っていて,巧妙な仕掛けを細工しておいたのだろうと考えられる。唐に敗れた後の倭国における特殊な政治状況がそのようなことを必要としたのに違いない。

いずれにしても,このように考えてみると,鹿島神宮の神とは,まさに「豊城入彦命」のことであると推定することが可能となる。

鹿島神宮周辺の古代の地形から推定すると,その周辺は,かなり大きな水軍の本拠地であったと推定される。神宮の近くには大型の古墳群も存在する。現地を訪問してみて回ったことがあるが,当時,相当に優勢な勢力が存在していたことは,疑いようがない。

この地を本拠地として,現在の茨城県内各地の軍事的な平定(武による統治)が進められ,更に,北関東一帯の平定が進められたものであろう。

「ヤマトタケル」の神話に関しては,多数の異なる伝承を1人の人物に仮託して構成されたものだとの説が有力だが,たぶん,そのとおりなのではないかと思う。同じようなストーリーの話が別の人物の話として登場することがしばしばあり,長い年月の間にもともとの伝承の変形や派生のようなものが多数成立していたのだろう。

このような武力による倭国全体の平定が進行した時代は,魏・晋の時代~南北朝の頃ではないかと思われる。

その平定は,丹波のあたりから始まり,拠点を次第に移動させ,更に同心円状に倭国全体に及んだと考えるのが妥当である。伊勢神宮の場所的移動は,それに伴うものと考えることもできる。

これまでいろいろと考えてきたのだが,最近では,邪馬台国の「卑弥呼」は「狭穂姫命」の頃時代の人物,「臺與」は,「日葉酢媛命」の時代の人物ではないかと考えるようになってきた。なお,「狭穂姫」に関しては,「木花之佐久夜毘売」の伝承との類似性もあると考えられる。

『魏書』によれば,そのころの時代の倭国では何度も戦乱があったようなのだが,それは,魏・晋との関係強化(特に,当時における最先端の武器や文化の導入)によって勢力を拡大させた人々が倭国全体に支配を拡大させようとした結果生じたことではないかと想像される。

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2018年12月22日 (土曜日)

豊城入彦命

北関東にはゆかりの地が何か所かある。

かつては,総社二子山古墳(群馬県前橋市総社町植野)がその墓所とされていた。

現在では,前二子古墳(群馬県前橋市西大室町)をその墓所と考える見解が多い。

しかし,丸山古墳(茨城県石岡市柿岡)にもその墓所であるとの伝承が残されている。

そして,茨城県笠間市にある笠間城址の佐志能神社は,「豊城入彦命四世孫大荒田別命之後」とされる「佐自怒公」と関連のある神社とされている(現時点の私見としては,「佐自怒公」を「曹子之公と理解したい。「大荒」は,「太荒」すなわち「二荒」が転化したものと考える余地がある。「二子」もそのままで「ふたり」または「ふたら」と読み得る)。

中世に笠間を治めた笠間氏は,宇都宮成綱の子である塩谷朝業の子(後に宇都宮頼綱の養子)である笠間時朝を祖とするとされているので,宇都宮氏の子孫であることになる。

「宇都宮」は,「二荒山」の別称と考えられている(ただし,「二荒」が「宇太」から転じたものと解する余地はある。「宇」は「兎」または「禹」を指すものであるかもしれない。「宇陀」,「宇田」,「宇賀」等も同じである)。

そのような一般的な見解を一応離れ,「二荒」を梵語と仮定して考えてみた。

近似する語として「पुत्र(putrá‎)」があり,これは,「息子」を意味する。すなわち,「豊城入彦命」を指すものと解することが可能である。

実際の地理関係等から考えてみても,「上毛」及び「下毛」の関係から考えてみても,上記の各古墳は何らかの意味での血族関係で結ばれた人々の墓所である可能性はあり得るのではないかと思う。

そして,二荒山は,山岳信仰や日光東照宮だけで理解されるべきものではなく,宇都宮市周辺の多数の古墳と共に,ヤマトタケルの東国征伐の神話に象徴されるような歴史上の出来事と深い関連性があると仮定してものごとを考えてみるだけの価値があるのではないかと思う。

那須國造碑で有名な栃木県那須郡那珂川町にある数々の古墳も全く無関係のものではあるまい。

これらの古墳の被葬者について,現行の高校の社会科教科書レベルでは,地元にもともと存在していた地方豪族のようなものだけが想定されているが,誤りであると考える。

***

梵語由来を仮定しない場合,「二荒」または「太荒」は,帯方郡の「帯」との関係を考察することも可能である。

そもそも「帯方郡」の字義について,確定した見解はない。これまたそもそも梵語または契丹ないしスキタイ系の語源を想定すべき余地がある。

同様に,「多利思北孤」の意味についても再考の余地が十分にあると考えてきた。

しかし,まだ結論は出ていない。

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2018年12月18日 (火曜日)

やまとはくにのまほろば

『古事記』には「夜麻登波 久爾能麻本呂婆」とあり、『日本書紀』には「夜麻苔波 區珥能摩倍邏摩」とあり、異なる表現をもちいている。当時、日本国で用いられていた語は、多種多様であった(=統一国語がない状態)と推定され、読みの「音」も統一されていなかったと考えられるだけではなく、それを漢文表記する際の音もいわゆる漢音と呉音に加え古音や方言のようなものも混在している状態で、全く統一されていなかったため、このような結果が生じたと推定するのが妥当だ。現代の中国においても、地方における言語の差異が著しく、「標準中国語を知っているだけで大丈夫」と考えるのは相当に無知な者であると言える。

「夜麻苔」は、「やまつ」または「やまたい」とも読み得る。

「麻本呂婆」及び「摩倍邏摩」の最初の文字は、「真の」という意味を強調するための接頭音のようなものと考えられる。

さて、「本呂婆」と「倍邏摩」の意義が問題となる。

「原(はら、ばる)」は、国(國)を意味する。また、大陸の遊牧民族は、現代では「ゲル」と呼ばれるような移動可能な住居をもち、その頭領は天幕(幕)で装飾したゲルの中に住み、そこで施政する。それゆえ、「ほろ(幌など)」もまた国(幕府)を意味し得る。ゲルは、「パオ(包)」とも呼ばれる。

それゆえ、「まほろば」は、「最高権力の所在地」という意味をもつと考えることが可能である。

他方、「まはらま」または「まあらま」は、謎であるが、外来語であるかもしれない。例えば、トルコ語ではスカーフのような布のことを指す語として「mahrama」があるから、やはり、それにたとえて(権力の所在地を意味する)天幕のようなものを指すと解することは不可能ではない。当時、仏教を通じて中央アジアやインドの語彙が大量に入ってきていたと考えるのが妥当で、むしろ、純粋な「やまとことば」しか存在していなかったというような具合に考えることには疑問符をつけるほうが妥当である。

「まはらま」または「まあらま」が梵語であると仮定した場合、「Mahārāmā」または「Mahārāja」を想定することは可能である。いずれも「偉大なる王」を意味する。

一般に、(特に「枕詞」として使用される場合)「やまとことば」の中には梵語由来と推定されるものがかなり多数ある。

なお、「麻呂」は、「麻本呂」の省略形であり、ほぼ同義のものであると考える余地はある。「ほ」または「お」の音は、しばしば省略されてしまうことがある。「麻呂」は「王」を意味し得る。

そのように考えると、この歌は、誰か士官が戦闘を終えてもすぐに次の命令が下って各地の国々を滅ぼし、平服させる戦闘が続くことをぼやいてつくったもので、本音としては、「そりゃ~~大和は最高権力者だよ。砦をいっぱいつくって戦を重ねてきたけれども、(また命令が下ったので)山々を越え、草木を分けて戦闘を続けなければならない。あ~~ァ、大和様はご立派なことだよ(大和の頭領は偉いね~~)」というな、かなりネガティブな(怨嗟的な)恨み節のようなものであったかもしれない。

あるいは、「まはらま」を梵語として理解する場合、「大和は偉大なる王(釈尊)だよ。しかし、砦をいっぱいつくって戦争を重ね、山々を越え、草木を分けて殺生を続けなければならない。あ~~ァ、偉大なる王(釈尊)様はご立派なことだよ」という痛烈な批判となっているものかもしれない。

一般に、皮肉というものは、外見的には皮肉に見えるものではなく、発音の抑揚のみによって識別されるものであるので、文字化(符号化)したとたんに、それが皮肉であるのか字義どおりのものであるのかが判別できなくなるという特性をもつことがある。

当時の戦闘は、白兵戦が基本なので消耗するのが当然なのだが、軍隊が単に長距離を行軍するだけでも大変なことで、兵糧を現地調達するため、古くから住む人々を支配下において調達を実行するための様々な面倒なことも伴ったと考えられる。軍隊が通り過ぎる間は服従したふりをしていれば良いと判断した当地の国主らは、武力をもたない農民であるかのようなフリをし、平身低頭し、食糧と寝る場所(または一時的な駐屯場所)を提供し、将官に対しては美女も提供したのであろう。抵抗する者は「熊襲」や「土蜘蛛」として物理的に制圧され、歴史から消え去った。ヤマトタケルと関連する記録は、そのことを暗に示すものと理解するのが合理的である。

この歌には「望郷の歌である」との趣旨の注記が付されている。字義または文意として(当時において)全く紛れのないものであったとすれば、わざわざ注記を付していることに大いに疑問を感ずる。多義的であるからこそ、あるいは、ある種の政治的な意味合をもって、意図的に注記していると考えるのが妥当である。

いずれにしても、景行天皇(大帶日子淤斯呂和氣天皇)の頃に、強力な武力を行使した制圧により、日本国の統一が完成したと考えるのが妥当である。現在まで残る大型古墳の多くは、その際の戦功により郡司または国司等に任ぜられた武将及びその子孫の墓と考えるのが妥当である。

『日本書紀』にある「烏波利珥 多陀珥霧伽幣流 比苔菟麻菟阿波例 比等菟麻菟 比苔珥阿利勢麼 岐農岐勢摩之塢 多知波開摩之塢」は意味のある文であると考える。

この歌にあるのは単なる樹木のことではなく、秦氏系(菟)の民衆(農民)のことを指すのであろう。ただし、この歌は、何らかの政治的な理由により、景行天皇及びヤマトタケルの時代のものとして挿入されたものである可能性はある。また、「ウガヤフキアエズ」の「ウ」は、「兎」及び「禹」を意味するものであり、そのシンボルは「桃」である。「桃」を更に象徴化すると「宝珠」となる。

景行天皇にもゆかりがあると考えられる茨城県稲敷市阿波にある大杉神社を参拝しながら、このようなことを考えた。

***

「帶」は、曹操及び司馬懿の時代の帯方郡と関連する名称(尊称)ではないかとも考えられる。

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2018年11月 9日 (金曜日)

中国:AIニュースキャスター

下記の記事が出ている。

 China's Xinhua agency unveils AI news presenter
 BBC: 8 November, 2018
 https://www.bbc.com/news/technology-46136504

現時点では,よく見れば見分けがつく。

しかし,いずれ全く見分けがつかなくなることだろう。

このことは,生体要素を用いた認証システムの中の幾つかの種類のものが終焉を迎えるということも意味している。

それはさておき,自動システムの場合,記憶間違いや言い間違えをゼロにすることは可能だ。その結果,この分野の人材が大量に不要となる時代がいずれやってくる。

番組の制作に関しても,その大部分がスタジオではなく,どこかにあるコンピュータシステムの中で行われるようになるだろう。その分だけ,大規模な施設や設備等も必要なくなることは間違いない。

ちなみに,気象予報関係の番組がほぼ全自動化・無人化される時代は比較的早い時期に到来するだろうと予想される。機能論的にみて均等な分野は全部同じ道をたどることになる。

その結果,タレント関連の企業が総崩れとなる。

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2018年11月 1日 (木曜日)

Andrew V. Edwards, Digital Is Destroying Everything: What the Tech Giants Won't Tell You About How Robots, Big Data, and Algorithms Are Radically Remaking Your Future

下記の書籍をざっと読んだ。

 Andrew V. Edwards
 Digital Is Destroying Everything: What the Tech Giants Won't Tell You About How Robots, Big Data, and Algorithms Are Radically Remaking Your Future
 Rowman & Littlefield (2018)
 ISBN-13: 978-1538121757

日本国内においても既に類書が多数あるけれども,ここまで徹底的にネガティブな見解を貫徹している書籍はそう多くないと思う。その分だけ誇張の部類に属する要素が含まれていることに留意しながら読まなければならない。

経済界と一部の研究者にとっては,「敵だ」と感ずる内容かもしれない。

しかし,現在の状況を単純に延長した場合,この書籍に書かれている近未来像は十分にあり得る近未来像なので,突飛な本でもとんでも本でもないと思う。

より合理的な思考を構築し続けるためには,より明確なアンチテーゼを常に吸収し,考察する努力を継続する必要があり,そのような努力を怠る経営者や研究者は,必ず(比較的短期間の間に)衰滅する。

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2018年10月31日 (水曜日)

大山喬平・三枝暁子編『古代・中世の地域社会-「ムラの戸籍簿」の可能性』

下記の書籍を読んだ。

 大山喬平・三枝暁子編
 『古代・中世の地域社会-「ムラの戸籍簿」の可能性』
 思文閣出版(2018年9月20日発行)
 ISBN-13: 978-4784219469

非常に勉強になった。

良書だと思う。

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2018年9月26日 (水曜日)

AIの口語能力

下記の記事が出ている。

 Speech recognition is tech's next giant leap, says Google
 Guardian: 24 September, 2018
 https://www.theguardian.com/technology/2018/sep/24/speech-recognition-tech-google

(余談)

私の理解では,口語に属する言語は,書き言葉による言語とは全く別の構造をもつものとして理解するのが正しい。

口語は,身振り手振りの一種であり,清く正しい文法理論とは無関係のものだ。

ところが,言語教育ではそれらをごっちゃにしているから間違う。

口語をいくら訓練しても,清く正しい文書を書くための訓練のためには少しも役立たない。その意味で,日本国における外国語教育は,高等なレベルの仕事とは無関係な人々にだけ役立つ教育手法となっている。

現在採用されている教育は,無駄とは言わないが,世界的に役立つ人材を育成したいのであれば,別のことを考えなければならない・・・という当たり前のことを素直に理解できる人は,現実にはかなり少ない。

そこで戻って考えてみると,Googleは,高等なレベルの専門的な仕事とは無関係の「日常」に目を向けているのだろうと想像する。

経営上の戦略としては極めて正しいと思う。

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2018年9月21日 (金曜日)

竹花和晴『グラヴェット文化のヴィーナスの像:旧石器時代最大の美と知のネットワーク』

下記の書籍を読んだ。とても勉強になった。

 竹花和晴
 グラヴェット文化のヴィーナスの像:旧石器時代最大の美と知のネットワーク
 雄山閣(2018年6月25日)
 ISBN-13: 978-4639025795

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2018年9月17日 (月曜日)

AIはソーシャルメディアを変化させ,民主主義を危機に晒すものか?

下記の記事が出ている。

 Artificial intelligence is transforming social media. Can American democracy survive?
 Washington Post: September 5, 2018
 https://www.washingtonpost.com/news/democracy-post/wp/2018/09/05/artificial-intelligence-is-transforming-social-media-can-american-democracy-survive

(余談)

「言葉」に対する信頼が喪失した状況では,旧約聖書にある「バベルの塔」と同じような混乱と社会の崩壊が生じ得ると考えられる。

その「信頼」は,あるメッセージが生きた人間のものかどうか判然としない状態が恒常的になるだけで,かなり広範に損なわれることになるであろう。その信頼を回復することは非常に難しい。

解決策としては,言語活動におけるAIの応用(特に商業利用)を禁止することが考えられるが,基本的に無理なことなので,結局,防止策はない。

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2018年9月 6日 (木曜日)

中国:ネット中毒の防止のため,利用者の実名登録を強化?

下記の記事が出ている。

 State data to be used to limit child gamers in China
 BBC: 6 September, 2018
 https://www.bbc.com/news/technology-45432863

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