2017年5月22日 (月曜日)

性,テロリズム,暴力に関するFacebookの内部コード

下記の記事が出ている。

 Revealed: Facebook's internal rulebook on sex, terrorism and violence
 Guardian: 21 May, 2017
 https://www.theguardian.com/news/2017/may/21/revealed-facebook-internal-rulebook-sex-terrorism-violence

(余談)

様々な知人からFacebookに勧誘された。全部,直ちに拒否してきた。

私の判断はとても良い判断だったということを再確認した。

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2017年5月16日 (火曜日)

尼師今

「錦」のことではないかと思う。

もとは「王」を意味したかもしれないが,後に,王が身にまとう豪華な織物のことを指すように意味が転じてしまったのかもしれない。錦織は,王に献上する錦を織る部民だったのだろうか。

「近江」の「近」は「今」の隠し字のようなものかもしれない。

「主」の訓音である「ぬし」も,意外とここらへんにルーツがあるかもしれない(←朝鮮半起源の音であるという意味ではない。)。

ちなみに,「昔」は,日本の「席」や「関」と同じではないかと思う。

兵庫県には「関宮」の地名が残る。

「滋賀」の古音も「昔」の古音に近いものだったかもしれない。

「新羅」を「しらき」と訓読みする場合のように「き」を末尾に補う例について,普通の見解では,「城(き)」,「鬼(き)」,「来(き)」を意味するものだと解する見解が多い。しかし,末尾の「今」の例を考えると,別の意味をもち得るという推理が整理可能であるということを示唆している。

例えば,「公達」の「公」は,なぜか「きん」と読む。

「龍」は丹波(但馬)の「籠」を指すのであろう。要するに,「宮津」のことだ。

但馬は「天之日矛(天日槍)」と縁がある。

このように考えれば,全て一貫した説明が可能となる。

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2017年5月 8日 (月曜日)

感情をもつchatbot?

下記の記事が出ている。

 Human-robot interactions take step forward with 'emotional' chatbot
 Guardian: 5 May, 2017
 https://www.theguardian.com/technology/2017/may/05/human-robot-interactions-take-step-forward-with-emotional-chatting-machine-chatbot

「感情」は,脳内での何らかの作用の結果として生ずるもので,内心に秘められている間は,他人からは推測することが困難だ。しかし,何らかのかたちで表現されれば,それは,解釈され得る。その解釈が正しいかどうかは問題にならず,受け手が解釈可能な現象として存在しているかどうかだけが重要だ。それゆえ,表現形式に着目すれば,感情をもっているかのように見える人工物を構成することそれ自体は比較的容易なことだと考える。

問題は,内心に秘められた「感情」なのだが,これも,いずれ脳科学の進歩と共に完全に解明され,機械装置やソフトウェアによるシミュレーションが可能となることだろう。

かくして,ごく普通のレベルでの精神作用という点では,ロボットと人間との間の差異は更に減少することになる。

その結果,普通のレベルでの精神作用を前提とする法学における「自由意思」の理論がほぼ全面的に崩壊することになることを避けることができない。

全く別の土台からサイバネティクス法学という意味でのサイバー法を構築する必要がある。

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2017年5月 1日 (月曜日)

英国:SNSにおける過激な政治的活動を規制か?

下記の記事が出ている。

 UK lawmakers criticize social media over response to extremist content
 REUTERS: April 30, 2017
 http://www.reuters.com/article/us-britain-socialmedia-idUSKBN17W0U1

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2017年4月26日 (水曜日)

卵かけごはん

私はやらない。

鶏卵がどのようにして,どこから生まれてくるかを理解することが重要だ。

動物の解剖学に関する極めて単純かつ初歩的な知識の領域に属する。

ネット上では,「卵のままで他の食材と一緒に煮れば光熱費の節約になる」との意見もないわけではないが,無知が過ぎるのではないかと思う。

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2017年4月17日 (月曜日)

タバコの次は酒,酒の次は・・・

酒の次は,砂糖を含め,甘いものになるに違いない。

その次は,辛いものだろう。

私見としては,肉食の禁止を先にすべきだと思うのだが,絶対にそうはならない。

このような動きの背後には特定の宗教的な観点が存在するので,表面だけにとらわれていると,文化としての東洋というものが消滅することになるだろう。

それでよいというのであればそうすれば良い。

ただし,何だかんだ言っても5000年くらいの間続けられてきた抗争なので,簡単に終わるとは思えないけれども・・・

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2017年4月13日 (木曜日)

中山信弘・金子敏哉編『しなやかな著作権制度に向けて-コンテンツと著作権法の役割』

金子敏哉先生から下記の書籍を頂戴した。

 中山信弘・金子敏哉編
 しなやかな著作権制度に向けて-コンテンツと著作権法の役割
 信山社(2017/3/30)
 ISBN-13: 978-4797232349

科研費の基盤研究A「コンテンツの創作・流通・利用主体の利害と著作権法の役割」の研究成果をまとめたものだ。

頂戴したばかりなので内容を精読しているわけではないが,ざっと読んでみた感じでは,フェアユースと関連する最近の問題について,様々な角度からの考察を提供する論考が収録されており,興味深く読んだ。

(余談)

一般論として,現行の著作権制度が比較的近い未来までそのまま維持可能だとは全く思っていないし,さりとて,レッシグ流の考え方によって新たなスキームが生まれることもないと考えているが,現行の著作権という枠組みの中でぎりぎりの限界を考察することは重要なことだと思う。それがなければ,制度それ自体の限界を知ることができないからだ。

今後は,人間の意思(特に創作性)という要素を全く含まない完全に新たな制度的な枠組みが模索されることになるだろう。

それがどのようなものになるにせよ,結局は,誰かの何らかの利益を強制力をもって守るという基本的な考え方が維持可能なものかどうかも考える必要がある。

いわゆる「情報の自由」なる考え方が,従来考えられてきたようなあり方ではとても維持できないということは,既に証明されてしまっているように思う。

また,法による統制だけを考慮した場合,あまたあるシミュレーションの中で,「ハチの社会」または「アリの社会」のモデルが優位なものとなり得るという可能性は無視できないように思う。

「自由の領域」というものを従来の法哲学では考えてこなかったようなものとして設定し直す必要があるのではなかろうか。

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2017年3月25日 (土曜日)

リープフラウミルヒというリープフラウミルヒはあるか?

謎だったのだが,ドイツの事情に詳しい方に調べていただき,過去におけるドイツの人工甘味料入りワイン問題も含め,様々なことを理解した。

私は,ワインを好むが,いわゆるワイン通では全くない。

そして,日本国における状況に関しては,いまだに謎は謎だ。

謎なのだ。

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2017年3月21日 (火曜日)

季刊考古学別冊24号 古代倭国北縁の軋轢と交流―入ノ沢遺跡で何が起きたか―

神田の三省堂本店で下記の雑誌を購入しておいたのだが,雑務に追われて読む暇がなかった。やっと一区切りをつけ,読むことができた。

 季刊考古学別冊24号 古代倭国北縁の軋轢と交流―入ノ沢遺跡で何が起きたか―
 雄山閣(2017/02/25)
 ISBN: 9784639024415

内容は,2015年9月に東北学院大学で開催されたシンポジウムの結果をまとめたもので,非常に興味深いものと言える。

勉強になった。

(余談)

問題の遺跡は山の上にあり,柵をめぐらせている。

「築館」との地名は,意外と古いのかもしれない。

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2017年3月11日 (土曜日)

高木浩光「宇賀克也「個人情報保護法の逐条解説」第5版を読む・前編(保護法改正はどうなった その5)」

昨日,某氏からこういう記事が出ているということを教えられ,久しぶりに高木浩光氏のサイトを訪問してみた。下記の記事及びその関連の記事があった。

 宇賀克也「個人情報保護法の逐条解説」第5版を読む・前編(保護法改正はどうなった その5)
 高木浩光@自宅の日記:2016年12月30日
 https://takagi-hiromitsu.jp/diary/20161230.html#p01

一定の先生方の役割がこういうものだということは,非常に昔から知っている人は知っていることで別段不思議でも何でもなく,それゆえ,そのような一定の先生方の著作とは実はそのようなものだということも当該分野においてはほぼ全員が既に知っている常識に属する。

政府の情報提供が電子政府サイトを介して,一定の先生方だけではなく普通の国民にも周知されるようになったことは非常に良いことだと思う。「一定の先生方」に含まれていない人でも,ごく普通の国民または市民であっても,全く同じ素材を用いて思考することが可能となったからだ。

しかし,単純に「めでたしめでたし」・・・というわけにはいかない。

一般論として,今後は,そのようなタイプの著者と特定の有名な出版社との間の蜜月状態のようなものを物理的に破壊することが必要となる。

普通の人は,誰の見解を重視すべきで誰の見解を無視すべきかについての確実な判断手段をもっていないのが普通なので,上記のような蜜月関係のようなものが社会内で持続する限り,一般国民が正しい判断を形成するための正しい判断基準の提供が阻害される続けることにもなり得る。

根本的に誤った見解によって洗脳され,正しい判断をすることのできない狂人のような国民ばかりになってしまった国の例はいくらでもある。

真に後世に伝えるべき学術著作と言える優れた学術研究成果を発見し,それを書籍の形で印刷・出版し,後世に伝えるのがその分野の専門出版社の大事な役割の1つであることは改めて言うまでもないことだ。そのようであってほしいと願う。

そのためには,出身,経歴,学位,所属大学等の形式的要素を全部無視したブラインド方式またはクリーンルーム方式のような何らかの仕組みを出版社の内部に構築する必要があるが,それは,当該出版社自身の出版の自由及び表現の自由の範囲内のことであると同時に,当該出版社が国民に対して大きな責任を負っているという深い自覚の問題でもあると考える。

日本国の出版の歴史の中には,非常に古くから「目利き」と呼ばれるような人々がいて,上記のような真に後世に残すべき著作をしっかりと出版してきた伝統と歴史がある。だからこそ,日本の出版社は,世界最高峰のレベルにある文化及び学術の伝承者であるとの誇りをもつことができた。今後もそうあってほしい。

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