2026年3月 2日 (月曜日)

生成AIを使っても頭が悪くならないという意見

どのような意見をもとうと,それは,各人の自由だ。

しかし,私は,生成AIを使って頭蓋骨の中が空洞化し続けている者を実際に多数みてきたので,「そうはならない」という内容の意見をみかけると,そのような意見の論拠を知りたくなる。

大抵の場合,考慮に値する論拠が示されていない。頭蓋骨の中が空洞化していると推定される。
論拠らしきものが書かれている場合でも,まるで論拠になっていないということをその者自身が全く理解できていない。頭蓋骨の中が空洞化しているので,理解できないのだと推定される。

一般に,まともに「思考したこと」がない者は,自分が本当は「思考していない」ということを自己認識できない。

また,一般に,内容空虚な書籍等ではなく真に読むべき書籍と真剣に格闘したことのない者は,「書籍(特に古典)の重要性」を理解できない。
そもそも書籍ではない物体(受験参考書,安易なノウハウ本,単なる宣伝広告物に過ぎない物体など)を書籍だと信じているために,「たくさん読書してきた」と錯覚していることが多い。実は何も読書していない。
私は,明治大学法学部の学生に対しては,物体である冊子でもデジタル版でも良いから,例えば,司馬遷の『史記』やプラトンの著作のような古典作品を全編通読し,現代社会の状況及び自分自身の内的世界と照らし合わせて何か感ずるものがないかどうか考え続けることを推奨してきた。その際,経験がないと理解できない部分がかなりあるので,現時点では理解できない部分があってもそのような部分は保留にして読み進め,とにかく最後まで読むことを推奨してきた。大概の場合,最後まで読んでみると,当該書籍の最初の方で理解できなかった箇所の大部分が自然と理解できるようになる。それゆえ,同じ古典作品を人生の中で何度か重ねて通読みることが最も効率的であることになる。

一般に,「思考していない」ということを自己認識できない者や「書籍(特に古典)の重要性」を理解できない者は,例えば,生成AIを利用して講義内容や書籍の要旨を生成させ,そのような簡略版だけを読んで「全部わかった」というマスターベーション的な異常心理状態の中で耽溺し続ける結果,ますますもって知的能力を低下させ続けることになる。

一般に,これらの頭蓋骨内が空洞化した者は,著名大学の学生の中にもかなり多数みられるので,大学受験の際の偏差値や大学のレベルに対する世間的な評価は,ほぼ完全に無意味化しているということが証明されていると確信している。

一般に,「著名大学の学生がそのように述べている」ということを根拠にして記事を書いている記者やライターの頭蓋骨の中も空洞化していると推定される。
それゆえ,関連する企業の担当者としては,そのような記者やライターに関しては,契約を切るべき候補者の上位にリストするのが賢明だと思われる。

私は,明治大学における受講学生に対し,図書館に行って必要な書籍(特に古典)を探し,精読することの重要性を教示してきた。

そのとおりに実行する者は必ずしも多いとは言えなかったけれども,そのとおりに実行し,費用対効果とは一見すると相反するような「急がば回れ」を実行し続けた学生は,その後,様々な資格試験に短期間で合格してその分野の専門職となり,私の目からみても優れた企業だと思われる企業に就職し,あるいは,権限のある行政官として任用された。彼らは,大いに活躍している。

「急がば回れ」の重要性を一日でも早く理解した者は,結果的に,費用対効果を達成できている。「必要な投資なしにリターンを得ることはない」という当たり前の法則がそこでは現実化し続けていたのだと言える。

その逆もまたしかり。

一般に,企業経営者や人事担当者は,そのような目で人材を評価すべきだと思う。

「生成AIを使用してきたか」を質問し,使用してきたと答えた学生に関しては,上記のような視点を踏まえ,「思考すること」がどのようなことを意味しているかを当該の時点において当該の者が「思考している」かどうかを評価すれば良い。

それらしい回答文を暗記してきただけと疑われる者に対しては,「なぜ,そう言えるのか?」をどこまでも回答させると良い。無論,誰であっても,最後は,「自分がそう思うからです」という回答(=「実は根拠が何も存在しない」という回答)に突き当たるはずなのだが,そこに突き当たるまでの深さ(=レイヤの深さ)は,当該の者の思考能力と正比例するので,最終的な回答がどのようなものであれ,「なぜ,そう言えるのか?」をとことん質問することにはかなり大きな合理性がある。

ちなみに,生成AIの回答ではこの点に関する究極の論拠をごまかすことが多いので,当該の者が生成AIによる要約等を暗記しているだけの者であるかどうかまたは当該の者が密にウエアラブルデバイス(←インプラントの場合を含む。)を装着し,そのデバイスを介した生成AIの回答を発声するだけの部品(←敵対企業もしくは仮想敵国のスパイであること場合を含む。)になってしまっているかどうかを判別することもできる。

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世界有数の大学の出身者であっても著名な犯罪者は存在するし,世界的に嫌悪されている人もいる。また,論文におけるデータ捏造等の理由により学位を取消された者は数知れない。

まして,学生の場合,天才も含まれているかもしれないが,たいていの場合,当該学生の自己認識に反し,指導教授の判定は0点であるかもしれない。
要するに,当該学生にとっては「生成AIを使っても頭が悪くならない」と確信されている場合であったとしても,そのような意見は,(例えば,生成AIの使用に起因する知力の劣化のためにそのように確信されているものなのであって)考慮すべき価値をもたないものかもしれないということを理解すべきだ。

特に,職業記者は,情報の信頼性や価値などを適正に評価することが職業上の義務となっている。

それゆえ,記者やライターが学生から取材した結果を素材にして記事を書く場合,(情報の信頼性や価値を適正に評価するため)当該学生の指導教授も(直接に面談して)インタビューすべきだと思う。
指導教授から直接の面談を拒否されたときは,その教授が「当該学生に関する説明や評価を提示したくない学生」と理解すべきだろう。取材拒否の理由を明らかにすると「誹謗中傷」との非難を受けるリスクが存在する場合,その指導教授は,その理由を明らかにしないで,単純に取材拒否をすることだろう。

以上のように理解し,納得できるのでなければ,一人前の記者やライターであるとは言えない。

そうでない記者やライターは,自己研鑽を積み,一人前の記者やライターになってもらいたい。

 

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2026年1月24日 (土曜日)

才能

下記の記事が出ている。

 オリンピックメダリストやノーベル賞受賞者など多分野の天才たちの成長を調べた研究で従来の「才能ある子どもの育て方」が間違っていたことが判明
 GIGAZINNE:2026年1月23日
 https://gigazine.net/news/20260123-acquisition-highest-levels-human-performance/

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「才能」の定義を厳格化し,複数の語義を切り分ける分岐点を明確化する必要があるということも示されている。

若いタレントに求められるような短期的に商業的な利益を得ることのできる「才能」は,従来のような集約化された方法で達成され得るけれども,それは,当の本人の真の才能を殺すことになっているかもしれないということに留意すべきだろう。

「才能」は,誰のものなのかを明確に認識すべきだとも言い得るかもしれない。

金儲けがからんでくると,当の本人も金儲けのための手段として自己の才能を位置づけている場合であっても必ず社会の中に利害関係をもつ者が出てくるので,当該の者の「才能」は,当の本人のものではない。金儲けをしたいと考えている全ての者のための共通の道具という位置づけになる。

金儲けとは無関係であるとすれば,「才能」は,当の本人のものであり得る。それゆえ,才能を磨き,生長させようと思うかどうかも本人次第ということになる。

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以上のようなことは,明治大学における講義などの中でも何十年にもわたって述べてきたことなので,この記事を読み,「やっと世界が私に追いついてきた」という感を抱く。

その明治大学における講義も今週で最終回を終えた。

私の大学教授としての人生の最後の年になっても将来有望な才能をもつ若者と出遭えたことは,私にとって最大の喜びだ。

2026年3月末日に定年退職する。

 

 

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2025年12月26日 (金曜日)

人間の知能は言語能力だけか?

下記の記事が出ている。

 昨今のAIブームは「言語能力こそが知能である」という誤解に基づいているという主張
 GIGAZINE: 2025年11月28日
 https://gigazine.net/news/20251128-ai-bubble-llm-fundamental-mistake/

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この記事でいうところの言語能力とは,要するに,符号処理能力のことを指すと考えられる。

しかし,(ダーウィンの進化論否定主義の者は何万人も存在するけれども全て無視した上で,類人猿の段階を含め)文字を知る以前の段階の人類の祖先は,符号なしで外界を認識・理解していた。

現在の猿の仲間も同じく,符号なしで外界を理解し,高度な思考を行っている。

要するに,もともと,知能の本質は,符号処理ではない可能性がある。

他方において,現在の人類の中で天才またはそれに近い人々が符号によって思考しているかどうかは分からない。

例えば,画像として把握し,「一瞬にして全てを理解する」というようなことがあり得る。その場合,符号処理は1ビットも行われていない。

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以上のことは,象形文字の一種である漢字(繁体字)の文化圏に含まれている国々の人々にとっては容易に理解され得ることかもしれない。

逆に,アルファベットのような記号しか存在しない国々の人々にとっては難しいことかもしれない。

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以上のような立論が正しいとした場合,現在の(符号処理なしでは成立しない)LLMの本質に関し,再考すべき段階に至っていると考えられる。

何にしろ,真の天才は,学習なしに,一瞬にして真理を把握してしまうのかもしれないのだ。

より正確に言えば,ステレオタイプに過ぎない過去の符号をどれだけ学習してもその応用(=実質的には既存のステレオタイプの一種)しか得られないのに,真の天才は,全く異なるものを生み出すので,そもそも学習が無意味なのかもしれない。

更に正確に言えば,真の天才は,単なる秀才の一員に過ぎない者のステレオタイプである表現物集合を全部葬るという目的のためにのみ,そのための手段として,既存のものを学ぶのかもしれない。

・・・と考えると,なかなか難しい。

 

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2025年12月25日 (木曜日)

生成AIに頼ると思考における多様性が衰退する?

下記の記事が出ている。

 画像生成AIと画像認識AIの生成ループを実行すると最終的にどんな指示でも「12種類のスタイル」に収束してしまうことが判明
 GIGAZINE: 2025年12月25日
 https://gigazine.net/news/20251225-ai-image-generators/

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当然のことが述べられていると考える。しかも,美術の分野に限らず,経営判断のような場面でも同じことが起きる。

LLMは,要するに巨大な海賊船のようなものであり,他人がつくった産物を奪い,違法に模倣するということを繰り返すことによって成立している本質的に違法な存在なのだが,そもそも,世間に存在している表現物等の多様性には限界がある。それは,人間の表現において,既に模倣が繰り返されていることによる。

簡単に言えば,学習対象となる情報の段階で既に陳腐でステレオタイプ的なものしか存在しないので,そのようなものをどれだけ多数学習しても多様性や独創性が生ずることはない。

生成AIとは,そのようなつまらない玩具に過ぎない。独創性など全くない。

それゆえ,経営判断の分野で生成AIを使用しても,利用者である企業が他の企業に対して優位を得るということが決してあり得ないことが最初から予定されている。

例外として非常に優れた美術作品等は著作権によって守られているので,それを学習した結果を許諾なく模倣すれば違法な二次利用になる。

経営判断の場合も同じであり,他には知られておらず,優位性をもたらし得る企業経営上のノウハウ等は営業秘密として保護されている。そのようなノウハウ等を許諾なしに学習することは,単なるスパイ行為に過ぎず,違法行為となる。

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これまで何度も述べたことではあるが,軍事用の機械制御目的のAI開発等の例外を除き,生成AIまたはLLM開発に投資しても財産を失うだけとなることだろう。

 

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2025年12月19日 (金曜日)

生成AIを使用する従業員は職業上のスキルが劣化する?

下記の記事が出ている。

 AIは使い方によっては労働者のスキルを低下させる…「人間の思考プロセスは非効率だが、非常に健全」
 Buassiness Insider: Dec 19, 2025
 https://www.businessinsider.jp/article/2512-ai-making-workers-feel-smarter-but-worse-at-their-jobs/

当たり前のことだ。論証を要しない自明のことに属する。

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一般に,人間の受精卵は,遺伝子の命令に従い,何億年にもわたる生命の進化を子宮内で再現しつつ人間の形をした胎児の状態になるまで成長する。そのような遺伝子の命令に従った地球上の生命の歴史の再現なしには人間の胎児の段階まで到達できない。

出産により母体から出た新生児は,まだ人間ではない。それは,人間の萌芽に過ぎない。新生児は,身体の様々な動作や活動を通じてやっと人類のレベルまで成長する。この段階では,例えば,四つ足動物のような「はいはい」の動作を十分に繰り返すことが次の段階の身体的成長及び知能の活性化のために大きな役割を果たしていると考えられる。そして,そのような準備段階において何か問題が生じた場合,後発的に学習できる要素とそうではない要素とがある。

より大きく成長しても,基礎的なことが身についていないと専門的な知識や技能を習得したり使ったりすることができない。

それゆえ,私は,大学の講義の中で,基礎的な力の構築を持続することの重要性を力説してきた。

そのような基礎的な力を得るためは,可能な限り豊かな一般教養の蓄積を必要とするが,これは,符号としての情報の暗記(=単なる記録)とは全く異なるもので,要するに,一般教養の蓄積とは,「世界の理解」そのものであるとも言える。

生成AIを使用していなくても,丸暗記を基本とする受験勉強しかしていない者は,やはり,一般教養がないし,考える能力もない。

そのような者は,一時的な符合の記憶のためだけに大事な知能のリソースを浪費し続けているのだと言える。

過去において,非常に有能な学者や優れた芸術家等は,世間からみれは「変人」,「世捨て人」または「単なる遊び人」にしか見えないことがしばしばあるが,それは,そのこと(=習得時間の最適化または短縮のためにではなく,十分に知的影響を吸収するための彷徨の時期を経過すべき必要性)による。

最適化のみを基礎とするタイプの「単なる秀才」は,有能な学者にも優れた芸術家にもなれない。

 

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2025年11月20日 (木曜日)

生成AIのアンケート

私自身はそのようなアンケートに応じたことはない。生成AIに限らず,ほぼ全ての種類のアンケートを嫌悪している。大概の場合,個人データの保護が脆弱になっていることもその原因の一つだ。

その点はさておき,生成AIの機能に関しては,全く知らないわけではないし,それなりに試してみることがある。

結果としては,100点満点で10点を超えたことが一度もなかった。

私自身は「凡人」だと自認しているので,生成AIの能力は凡人のレベルよりも相当に低い能力(=凡人レベルを基準とした上で100点満点で10点以下)しかないということを知ることができる。

そのことから,生成AIと関連するアンケートに対して「有用である」と回答することは控えた方が無難ではないかと思い,そのようなことを質問されたときには「凡人のレベルよりも相当に低い能力しかない」と返答することにしている。

アンケート等おいて,そのように「凡人」の能力よりも相当に劣るシステムの能力を「有用」と回答する者は,相当に生成AIよりも相当に能力の劣ると評価される。
違法か適法かを一応おいて,何らかの経路によりそのような評価結果を示す情報が当該アンケート回答者の所属組織の人事担当に提供されれば,解雇予備軍のリストに入れられることが確実だと推測される。それゆえ,回答に応じないか,または,「有用である」と回答することは控えるべきだと思う。

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ちなみに,(IQを含め)知的能力が非常に高い人は,それが必要になれば,(生成AIを含め)どのようなシステムや仕組みでもすぐに使いこなせるようになるし,ほぼ瞬時にその限界を明確に理解し,現時点でれば低レベル労働者が担当している機械的業務の自動化という意味での前処理業務に使って,自己の業務効率の向上に使うことは可能だと思われる。

しかし,一般的には,そのようにして単位時間あたりのアウトプットの質と量を向上させても,それだけでは,賃金や報酬や売上が増加するわけではない。

結局,誰かが生成AIを使用することによって売上をあげることができる当該生成AIサービスのベンダを儲けさせるだけだ。しかし,売上があっても先行投資額が莫大であるときは利払い負担に耐えられなくなり,そのベンダも破綻する。

当該生成AIを使用する従業者も使用者を含め,関係する者が経済的利益を得る社会構造は存在しないように思われる。

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加えて,同一または類似の生成AIの出力は概ね同じになるので,多くの企業が使用している場合には,差別化の効果が生ずることはなく,当該生成AIを使用している企業に相対的優位をもたらすこともない。

生成AIの効用としては,陳腐な企業や企業経営者が陳腐であることを明確化し没落させる効果,陳腐な知識や情報が陳腐であることを明確化しそのような知識や情報の経済価値をゼロにする効果,生成AIの導入を口実とし,労働組合を幻惑させまたは諦めさせながら大規模に人員削減を断行できる効果(=その結果として,当該企業が真に有用な人材を失い,没落する効果を含む。)などを考えることができる。

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生成AIの普及により,資本主義を基礎とする国家でも社会主義・共産主義を基礎とする国家でも大失業時代が目の前に迫っている。

秩序が破綻し,暴力が支配するようになると,怒った人々によって,AI関連企業の関係者や億万長者とその家族そしてそのような事態の発生を避けることができなかった政治家とその家族が日常的になぶり殺しになるような状態が到来する可能性がある。

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なお,以上のことは,軍事や諜報目的,機械制御の目的などのための(=意味論や属性処理を必須の要素としないデータ処理の目的のための)生成AIの利用との関係では妥当しない。このことは,既に何度も述べたとおり。

 

 

 

 

 

 

 

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2025年10月25日 (土曜日)

DACS:AIの時代における透明性,公正性及びクリエーターの権利の尊重に関する共同声明

下記のとおり,共同声明が出ている。

 Our joint statement calling for transparency, fairness and respect for creators’ rights in the age of AI
 DACS:Posted on 16/10/2025
 https://www.dacs.org.uk/news-events/joint-statement-on-creators-rights-in-age-of-ai

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私は,基本的に賛成だ。

世界各国の著作権法制に完全に精通していないAI関連企業の経営者及びAI関連組織の代表者は,特に米国流のフェアユースしか知らない者は,ちゃんと勉強すべきだ。それらの人々は,自分のことを非常に優秀だと宣伝しているので,1週間もあれば世界中の全ての著作権制度に精通することなど簡単にできることだろう。

しかし,現実にはそのような経営者などいるはずがない。

そこで,各国とも,例えば,当該企業や研究組織の前年度における全世界の総売上高を上限とする行政上の制裁金制度を早急に導入すべきだと考える。
そのような制裁金による国庫収入は,零細であるために訴訟を起こすこともできないクリエータに分配すればよい。

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基本は簡単だ。

人間がやってはいけないことは,AIシステムが自動実行することも許されない。

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学習することそれ自体は,一般的には,各人の自由かもしれない。

しかし,企業秘密のようなアクセスが禁止されている知的財産権にアクセスすることは禁止なのでそもそもそれを学習することが許されない。

また,人間による学習の場合,脳内の記憶能力に限界があるので,著作権侵害の程度・範囲にも自ずと制限が称する。ところが,理論上では無限に記憶領域を拡大できるコンピュータシステムでは,たった1人のAI企業の経営者によって世界中の著作物がシステム内に格納され,潜在的に著作権侵害の状態でスタンバイするという状態が発生する。

つまり,AIによる知的財産権の侵害による潜在的な影響度は,個々の人間による場合とは全く比較にならないほど大きなものであり,いわば全人類を死滅させる文化的な生物化学兵器のようなものだと言える。

立法者は,そのことを正確かつ冷静に理解し,この問題に対応するため,適切に立法すべきだ。

 

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2025年8月30日 (土曜日)

生成AIを使用し続けると生成AIを使用できなくなるかもしれない

AIを応用した自動翻訳に頼り続けていると,利用者である人間自身の脳内で思考することがなくなるので次第に外国語と日本語の対応関係のみならず日本語の語彙と文法を吟味する機会も薄れるようになり,要するに,日本語の能力が次第に低下することにより,AIにより生成された翻訳文が内容的に正しいものであるか及び日本語文として正しいものであるかを検証する能力が低下または喪失する。

検証できない以上,正常に利用しているとは言えない。

この自動翻訳の例のように,一般に,生成AIを使用し続けると生成AIを使用できなくなるかもしれないというパラドックス的な仮説は成立し得る。

現実に,日本人全体における日本語能力が著しく低下し始めており,普通の日本語文を普通に読んで理解することが困難な者が増えているように思う。

それではそのような者の英語能力が向上しているかと言えば,それは逆であり,自動翻訳に依拠しているため,その利用者の脳内の英語処理能力は壊滅してしまうことになる。
リアルな対面という状況下では,普通の簡単な挨拶さえできなくなってしまうことだろう。

***

どんなに優れたスポーツ選手でも,鍛錬を怠ると,たちまち劣化し,場合によっては普通の人よりもダメになってしまうことがある。

どんなに頭脳明晰な人でも,勉強を怠ると,たちまち劣化し,場合によっては何も思考できなくなってしまうことがある。

若年性認知症としてひとくくりにされてしまっている症例タイプに属する人たちの中には,何種類かのタイプが混在しているように見える。

 

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2025年8月29日 (金曜日)

発達障害

私自身は,「絶対値としての発達障害は存在しない」という立場だ。

相対値としての発達障害という観念が存在することは認識している。

しかし,私は,ガリレオの例をひくまでもなく,「多数派であることが常に正しい」という考え方には依拠していない。

それゆえ,「発達障害」の観念に関し,相対的な評価または観点の相違の一種としてしか理解していない。

無論,精神医学上において「発達障害」を疾病の一種とする考え方があるとすれば,そのような考え方は,受精により新たな遺伝子の組合せが発生しするという生物種としての人間の発生における本質を全く理解していないという意味で,また,遺伝子が支配する機能が有効なものとして発揮されるかどうかは,個々の具体的な環境に適合しているかどうかという偶然的な要素(運・不運)によって支配されており絶対値ではないということを理解していないという意味で,そして,そのような遺伝子による基本的な能力を発揮できるようにするためには当該個人の不断の努力と経験の蓄積を要すが,その程度,期間及び自己満足度は極めて個性的・個別的であり,どれが正しいとか悪いとか評価することがそもそもできないということを理解していないという点で,根本から間違っている・・・と考えている。

例えば,世間において平均的または標準とされているグループをAとし,そうではないグループをBと呼ぶことにする。

Aは,平均値で示されている年齢において平均値で示されている能力を発達させておしまいで,それ以上の発達があり得ない遺伝子をもつ人々であるかもしれない。
これに対し,Bは,極めて優れており,死ぬまで能力を増強し続けるかもしれないのだけれども,多くの点において平均値に収まらないがゆえに,Aからは敵視されまたは無能と評価されることになるというだけのことに過ぎないのかもしれない。

しかしながら,このことはなかなか理解されない。それゆえ,人類は,何百年経っても少しも進歩せず,同じ誤りを繰り返している。

他方において,基本的な価値感を異にするグループ間では,相互の評価が逆になる。

例えば,特定の「人種」だけが優秀だと確信している人々とそうではない人々とが理解し合うことは不可能なことだ。
Bであれば人生の途中で価値観を変更することがあり得るが,Aは平均値しか認めず,自分の生育環境における平均値である宗教観や世界観しか受容できないので,偏見や誤謬を修正できない。
それゆえ,Aが存在しており,かつ,Aが圧倒的な多数派である限り,そのような単なる自己満足とその反作用としての嫌悪を基礎とする偏見に起因する(自己とは異なる属性をもつ集団に対する)ジェノサイドを避ける方法は存在しない。
ただし,Bはばらつきが大きいことを当然の前提とする属性をもつ集団を示しているので,Bに属する者の中にはAの集団に属する者よりもずっと(相対的な意味で当該社会において)危険な要素をもつ者が含まれている可能性は否定できない。ただ,通常は多数派ではないので,国家の平時の警察活動によって抑止可能な範囲内になるというだけのことに過ぎない。

人類の未来は,極めて暗い状況の下に置かれている。

ちなみに,私は,遺伝子上で特別のたんぱく質またはアミノ酸配列の構造をもつグループという意味での「人種」は存在しないと理解している。遺伝子レベルにおいて,雑種ではない個人は存在しない。

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「裸の王様」の寓話は,貴重だと思っている。

知識を集積しなければ正しい認識や理解に達することができないわけではない。

認識や理解を得ていても,面子や欲望のために,自己の決定を変更できない者は,(国家のトップを含め)いくらでもいる。

正直者が正直に言論することが権力者や悪人達によって弾圧されるようなことは,常にある。

何兆円もの資金を投入して開発されているAIシステムは,機械的な反復作業の自動化処理以外の分野では何の成果もあげていない。
LLMによって世界中のデータを記録したとしても,それは,本当は「学習」ではなく,単なる「記録保存(storage)」に過ぎないので,少しも知能にならない。
ニューラルネットの考え方及びその実装は,人間の本当の思考というものを知らない人々が考え出した単なる仮説とその実装に過ぎないので,人間にはなれない。

もし人間の思考というものを真剣に考えたことがあるのであれば,少なくともAIのエンジニアになることを考えることはないだろう。
ただし,素人企業家の多くはAIの本質を知らないので,そのような無知な企業家達を騙してAIシステムの開発資金名目で出資させ,金儲けすることを企む者は出てくるかもしれない。
この点でも「裸の王様」は貴重な作品だと思う。

 

 

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2025年8月28日 (木曜日)

生成AIの生成物は独自の著作物となるか?

生成AIのアウトプットそのものではなく生成AIの補助を得つつも(例,背景部分のベタ塗り処理の自動化のようなあくまでも付随的な部分の自動処理),基本的には人間の脳と手により新たに生み出された作品である限り,その作品が著作権法の定める著作物である得ることに関しては,異論がないと思われる。

生成AIのアウトプットそれ自体の著作物性に関しては議論があるが,(私の「処理主義」の理論に依拠することなく,通説である「意思主義」の理論に立脚する限り)人間の創作物とは言えない純粋に自動性に生成されたアウトプットや人間の指揮命令と無関係に生成されたアプトプットは,自然現象の一種であり,人間が創作した作品ではあり得ないので,「創作物」ではあり得ず,従って,著作権法によって保護される「著作物」または「実演」等にはなり得ない。

そのようなアウトプットが既存のどのデータとも異なる新規のものである場合,模倣でも二次利用でもないことになる。
しかし,そのようなアウトプットは,自然現象の一種である以上,現行民法上では無主物の一種ということになり,それゆえ,無主物先占の理論によってものごとを解決することになる。
そのように解する場合でも,単なるデータとしてのアウトイプットを保護する法令が存在すれば権利が原始的に発生するというだけのことであり,そのような法令が存在しないときは,誰の権利にも服さない「単なるデータ」ということになる。

生成AIのアウトプットがコラージュの範疇に属するものである場合,(米国ではともかくとして)日本国の国家主権が及ぶ範囲内においては,マッドアマノ氏の作品をめぐるモンタージュ写真事件の最高裁判例は現時点でも有効なので,新たな著作物として成立することはなく,他人の著作物の改変または模倣に過ぎないということで既に確定しているので,このようなタイプの問題に関しては議論の実益が乏しい。

生成AIのアウトプット著作権法の定める二次利用による派生物(編集物,翻案物,翻訳物等)である場合,現行の著作権法の関連条項に従っている場合に限り,当該条項が定める法律効果の範囲内で,新たな著作物として保護を受け得る。
著作権法の定める法律要件を満たさない場合,著作物のない単なるデータに過ぎない。

例外は,営業秘密として保護されることがあり得る場合のみと考えられるが,営業秘密は不正競争防止法上の権利であり,著作権法の定める権利の一種ではない。

生成AIのアウトプットが著作権法上の引用に該当するためには,著作権法に定める引用のための法律要件をすべて満たしている必要があるが,現実にはそうではない。
ほぼ全てのGPTアプリやGPTサービスからのアウトプットは,正当な引用とは認められず,違法である。このことは,既に何度も主張しているとおり。加えて,著作権法の定める人格権の保護も考慮しなければならない。
その観点からは,例えば,Google検索の「要約」なるものは,ほぼ常に,引用の要件を満たさず,かつ,著作者人格権を侵害する違法なアウトプットであるので,全て削除されるべきであり,要件を満たさない仕様である限り,サービスの提供それ自体を全部廃止すべきである。
適法であるためには,その資料を学習し,模倣または引用したのかを,出典を明記すべきである。
LLMによる学習対象となる既存のデータが1つしかないときは,その単一の資料を無権限で模倣・改変して自動生成された生成物を公衆送信可能化していることになるので,適法行為になることがない。絵画作品等では現実にそのようなことが起こり得る。写真の創作物性に関しては,通説によれば(←私見は通説に反対),自然物である山河を撮影したような写真であっても構図のとり方に創作性があれば著作物であると解している。そうすると,構図のとり方を学ぶだけで違法行為であることになるが,そのような考え方は,アイデアそれ自体を保護するのと同じことになるので認められない。構図のとり方ではなく,当該写真を描画作品として印画紙上またはデジタル媒体上に固定化したことに創作性の淵源を見出すべきである。

まとめると,著作権法の定める法律要件を充足しないアウトプット,基本的には,全て違法な模倣物または改変物である。

有料のサービスにおいて,法理論的には著作権がないアウトプットを著作権のあるものとして課金する行為は,詐欺行為となる。
それが故意ではなく過失による場合であっても,刑事上で詐欺罪として処罰されることはないにしても,民事上は不法行為に基づく損害賠償請求の原因となり得る。
世界中の全ての事業者は,間違って詐欺行為となってしまわないように,善良なる管理者の注意義務をもって事業を遂行しなければならない。

***

なお,日本国の著作権法は,立法それ自体が完全に間違っており,基本的な国際条約における「works」を「著作物」としていることが人々の頭脳を劣化させている。「works」は,全て「作品」と置き換える法改正が必要なのだが,あまりに多数の箇所の改正が必要となるので,いったん廃止し,全部書き換える法改正を実施すべきだ。

このことは,これまでも何度も主張してきたことなのが,日本国の何人かの学者(法学研究者)等は私見に反対。英語を読み理解する能力がないせいではないかと推測される。法学研究者ではない学者に関しては,著作権法に関して無知なので,議論してもはじまらないと理解し,全て無視している。

 

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