今後どうなるか
満70歳の定年よりも前にお迎えが来るかもしれないという前提にたち,少しずつ生前整理を始めることにした。
物理的な書籍等に関しては,返還すべきものは返還し,所定の手続に従って全部処分する予定。ただし,大学の方針と処理体制が基本的に適切なものではないので,所定の手続に完全に従った場合,研究用資料として入手した希少文献等の大部分が廃棄処分とされてしまうことになるだろう。
希少な文献資料等を維持できるだけの物的・財政的余裕がないという点は,他の大学でも同じであり,関連国家機関でも全部同じだ。
つまり,あくまでも一般論としては,日本国には文化と伝統を維持するための十分なインフラと資金が存在しない。換言すると,日本国は,文化的には貧困国または劣等国に属する。
それゆえ,私有のものは自宅で維持する。適宜,信頼できる古書店等に引き取ってもらおうかと考えている。そのほうが後世のための残存確率が高い。デジタル資料化されたものもあるけれども,やはり,(版本を含め)実物が最上の資料であることには何ら変化はない。特に職業研究者は,可能な限り,資料の実物を確認すべきだ。
研究室の備品等は,返還できるものは事前に返還できるように,時機をみて,関連業者等を手配する予定。
問題は,デジタル化された資料だ。
大学のホームページ等は,退職と同時に自動的に消滅する。ただし,リポジトリに保存されている論説については保存されることになるだろう。リポジトリには自薦で登録されるような建前となっているが,実際には,基本的に拒否されるようになっている。それゆえ,私のデジタル業績の大部分はリポジトリに収録されていない。
大学を退職して年金だけの生活に入ると,個人ホームページを維持するためのサイト使用料の資金(収入)も消滅するので,結果的に,私の個人ホームページも消滅する。
この点に関し,私財投入の継続なしには個人ホームページを維持できる状態が成立することはないという当たり前のことに気づくことのない人々が決して少なくないだろうと想像している。私は,商業宣伝広告を可能な限り排除する方針を基本としている。一般に,学者は,商業宣伝の奴隷または経済的従属者であってはならない。そのようにして自前(自費)でサイト運営する経験がないとわからないことなので,資金が途絶えた時が情報提供の途絶える時という当たり前のことに気づくことのできない者が存在するとしても,それもやむを得ないことだと思っている。
ちなみに,無償で自由に使用して良いと提案してくれるありがたいプロバイダなど存在しないし,今後も存在しないことだろう。
かくして,(国立国会図書館において保存・維持されるものを除き)私のデジタル業績のほぼ全部が消滅することになる。
もともと,学者としての人生の中で1作でも後世に伝えることができれば十分に立派なことなので,デジタル業績の大部分が消滅しても文句は言わない。
そのような運命なのだと悟ることにする。
ただし,今後も,生きている間は,可能な限り,研究と勉強は続ける。
そして,資金的に可能な範囲内で,規模を縮小した上で,個人ホームページを維持し,その中でデジタル業績を公表し続けることにしようと思っている。
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