2026年1月24日 (土曜日)

才能

下記の記事が出ている。

 オリンピックメダリストやノーベル賞受賞者など多分野の天才たちの成長を調べた研究で従来の「才能ある子どもの育て方」が間違っていたことが判明
 GIGAZINNE:2026年1月23日
 https://gigazine.net/news/20260123-acquisition-highest-levels-human-performance/

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「才能」の定義を厳格化し,複数の語義を切り分ける分岐点を明確化する必要があるということも示されている。

若いタレントに求められるような短期的に商業的な利益を得ることのできる「才能」は,従来のような集約化された方法で達成され得るけれども,それは,当の本人の真の才能を殺すことになっているかもしれないということに留意すべきだろう。

「才能」は,誰のものなのかを明確に認識すべきだとも言い得るかもしれない。

金儲けがからんでくると,当の本人も金儲けのための手段として自己の才能を位置づけている場合であっても必ず社会の中に利害関係をもつ者が出てくるので,当該の者の「才能」は,当の本人のものではない。金儲けをしたいと考えている全ての者のための共通の道具という位置づけになる。

金儲けとは無関係であるとすれば,「才能」は,当の本人のものであり得る。それゆえ,才能を磨き,生長させようと思うかどうかも本人次第ということになる。

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以上のようなことは,明治大学における講義などの中でも何十年にもわたって述べてきたことなので,この記事を読み,「やっと世界が私に追いついてきた」という感を抱く。

その明治大学における講義も今週で最終回を終えた。

私の大学教授としての人生の最後の年になっても将来有望な才能をもつ若者と出遭えたことは,私にとって最大の喜びだ。

2026年3月末日に定年退職する。

 

 

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2025年12月11日 (木曜日)

データを利用する能力

AIが主流になっても,データを利用する主体は人間である。

その人間の利用能力が欠けている場合または十分ではない場合,奴隷となる。
そのような奴隷であるかどうかは,貧富の差とは関係がない。知力・知識・経験が十分ではない場合,AI開発に投資して金儲けをもくろんでいる億万長者層も含まれる。
学歴や職歴のような空虚な虚飾のための道具に過ぎない単なる「符号」を買うことによってみせかけの栄華を誇る者が多数存在するけれども,そのような者は,既に奴隷である。

データを利用する能力は,当該データの処理系の外にある要素を多分に含んでいるかどうかによって,当該処理系に対する優位度が異なる。

当該処理系の内部にあるデータの形式的意味しか理解できない人間は,その処理系よりもずっと劣った知力しかもたない。

私は,若い人々がそのような悲惨な状況に陥らないようにするため,常に,「一冊でも多くの古典を読み,考え,理解するということを繰り返し,蓄積することによって基礎的な教養を高めること」を推奨している。

しかし,一般的には,(ずるいことであっても違法なことであっても)可能な限り少ない努力で可能な限り最大の結果を得るという悪しき意味での最適化の考え方に洗脳されている者が多すぎて,どうにもならない。高度に最適化された大学受験指導のための方法論やツールは,その権化のようなものだと思っている。
このことは,AIの応用によって更に促進されることになるだろう。要するに,手の施しようがないレベルまで人格崩壊したゾンビのような若者が更に多数増産されるようになる。
私は,そのような者に関しては,「勝手に滅びろ」と心の中で呟くのみ。

とはいえ,例外的に,私が黙っていてもどんどん勉強して独自の領域を開拓し続ける若手の研究者は(少数ではあっても)存在する。

そのような人材は,独自の境地を開拓し続けている。
それゆえ,既に陳腐化して腐敗し始めているレガシーな学説や取扱いしかできないゾンビのような存在でありながら自己認識としては「主流である」と信じてその虚妄の世界から抜け出ることなく,無論,現実を直視することもない人々や,某国の手先となって日本国の発展を阻止しようと日々妨害活動に従事している人々からは,憎むべき存在であり得るかもしれない。

しかし,そうであるがゆえに,私自身の見解と一致していなくても,あるいは,一致していないからこそ,私は,そのような独自の境地を開拓し続けている優れた人材を直接または間接に支援してきたし,これからもそうする。

以上に述べたことは,非常に優れたトップクラスの企業では既に常識に属することとなっている。そうでなければ生き残れないからだ。
ただし,企業秘密に属する要素を含むことがあり得るので,その詳細が広く知られることはない。

 

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2025年10月25日 (土曜日)

教育分野における生成AI応用から生ずる謎

教育分野において生成AIを導入するという動きが盛んになっているようだ。

しかし,そのような技術によって金設けをしようとするDX事業者の欲望が本質を見誤らせている。

例えば,教員用に開発されたシステムが自動的に学習して生成した様々なモデルは,たぶん,受験生や学生の自習用に開発されたGPTシステムに反映されることになる。

そのような場合,自習用のGPTシステムは,教員が予定している指導内容や予定している成績評価の内容を既に知っている可能性があり,あるいは,非常に効率的に予測してしまう可能性がある。

極論すると,専ら学校における定期試験の際に悪用されるためにのみ学生向けのシステムが存在するようになるということがあり得るのだが,そのような学生の行動は,無論,定期試験の公正かつ公平かつ適正な実施を妨げる危険性のある業務妨害罪を構成する行為なので,そのような犯罪行為に使用されるためのシステムを提供している事業者等も幇助犯または共謀共同正犯として,所定の刑に服するべきことになる。加えて,そのようなシステムを販売または提供するための営業活動は,業務妨害罪の教唆犯を構成することがあり得る。

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一般に,教育(education)と訓練(training)の違いを理解する能力を欠いている者にとっては私が何を言っているのか全く理解できないだろうし,たぶん,そのようなシステムを開発しているエンジニアの中でその違いを認識・理解できている者は皆無または僅少だろうと思われる。

しかし,教育と訓練とは異なるものだ。学校教育と職業訓練も異なるものだ。
学校教育の中でも大学院等における学術研究の指導は,一般的な学校教育とは相当に異なるものだが,職業訓練ではないという意味ではやはり訓練ではない。ただし,学術研究の本質を知らず,学術研究の能力がない教員が指導教員であるときは,どのように指導してよいかわからず,機械的な訓練だけ実施して大学院教育を適正に実施したことにしているというような場合が全くないとは言えない。

訓練する能力しかないために教育と訓練とを区別できない者を標準的だと考えるべきではない。

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また,現在の世界に存在している知識の内容のかなりの部分は間違いなので,そのようなものを学習させた生成AIシステムを基盤として教育用システムを構築しても,間違いかどうかを判断しようとする意欲さえ生じない「脳味噌からっぽ」な若者を大量生産するだけで終わることになるだろう。

要するに,世界の中で,正しい知識は完備しているどころかほとんどないので「誰でもみんな無知」という当たり前のことを理解すべきだ・・・と言い続けても,理解しようとしない自信過剰過ぎるエンジニアが多すぎる。彼らは,そんなに遠くない将来,当該金儲けを企んでいる企業経営者にとっては用済みのものになってしまって解雇されてしまうことだろうが,そのときになるまで自分の愚かさに気づくことはないのだろう。

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かつて,アルビン・トフラーが予測したとおり,情報技術の発展によって世界全体が加速化しているのであり,エンジニアの陳腐化があっという間にやってくる時代となってしまった。

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このように私が主張しても,金儲けの欲望を遮ることなどできないので,そのような金儲けの欲望に支配された亡者達によって人類社会は滅ぼされることになる。

人類社会が亡び,社会の中の秩序がなくなると,単純に暴力が支配するようになる。そして,そのような社会にしてしまった金儲けの亡者らは,例外なく,復讐のための暴力によってなぶり殺しにされることだろうと予測される。

このことは,これまでも何度も述べてきたことだ。

 AIは教育現場を良い方向に向かわせるか?
 http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-11fc42.html

 

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2025年9月10日 (水曜日)

UNESCO Teacher Task Force: Promoting and Protecting Teacher Agency in the Age of Artificial Intelligence

下記の記事が出ている。

 Teachers are not replaceable, UNESCO paper argues in new guidance on AI in education
 ETIH: 8 Sept, 2025
 https://www.edtechinnovationhub.com/news/teachers-are-not-replaceable-unesco-paper-argues-in-new-guidance-on-ai-in-education

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私は,あまり評価していない。

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2025年8月30日 (土曜日)

生成AIを使用し続けると生成AIを使用できなくなるかもしれない

AIを応用した自動翻訳に頼り続けていると,利用者である人間自身の脳内で思考することがなくなるので次第に外国語と日本語の対応関係のみならず日本語の語彙と文法を吟味する機会も薄れるようになり,要するに,日本語の能力が次第に低下することにより,AIにより生成された翻訳文が内容的に正しいものであるか及び日本語文として正しいものであるかを検証する能力が低下または喪失する。

検証できない以上,正常に利用しているとは言えない。

この自動翻訳の例のように,一般に,生成AIを使用し続けると生成AIを使用できなくなるかもしれないというパラドックス的な仮説は成立し得る。

現実に,日本人全体における日本語能力が著しく低下し始めており,普通の日本語文を普通に読んで理解することが困難な者が増えているように思う。

それではそのような者の英語能力が向上しているかと言えば,それは逆であり,自動翻訳に依拠しているため,その利用者の脳内の英語処理能力は壊滅してしまうことになる。
リアルな対面という状況下では,普通の簡単な挨拶さえできなくなってしまうことだろう。

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どんなに優れたスポーツ選手でも,鍛錬を怠ると,たちまち劣化し,場合によっては普通の人よりもダメになってしまうことがある。

どんなに頭脳明晰な人でも,勉強を怠ると,たちまち劣化し,場合によっては何も思考できなくなってしまうことがある。

若年性認知症としてひとくくりにされてしまっている症例タイプに属する人たちの中には,何種類かのタイプが混在しているように見える。

 

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2025年8月13日 (水曜日)

法と情報雑誌67号

法と情報雑誌67号を作成し,Web上で公表した。

 法と情報雑誌67号
 http://cyberlaw.la.coocan.jp/Documents/LawandInformationMag_No67.pdf

この号には「法情報学Ⅰ講義案(その1)」が含まれている。

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2025年8月 1日 (金曜日)

スタディモード

人間を奴隷化するための新たな方法が投入され始めた。

スタディモードをもつサービスは,これまでの生成AI関連サービスよりも進んだ調教システムだ。

非常に優秀な頭脳をもち,既に豊富な知識経験があり,かつ,現実に高い洞察力をもつ人であれば,そのようなAIツールをおもちゃとして遊ぶことは可能かもしれない。特に意味論が関係する分野では,AIツールから生成される出力が空虚なものであり無意味かつ無価値なものであることをすぐに見抜くことができるからだ。

しかし,そうではない低レベルの知能しかない者は,これまでのシステムよりも更に深化した状態で,新たなシステムによって容易に調教されることになるだろう。

トランプやそのとりまきの人々がもつ価値観を(無知・無能な人々の脳内に)「もっともらしく」注入し,洗脳し,(単に無知・無能だというだけではなく)指示されたとおりに奴隷のように従う人々を速成栽培するのには非常に適した優秀なシステムであると言える。

なにしろ,自分自身の時間をかけた努力の蓄積の中で真に「思考する」ということを実際に何億回も経験しているのでなければ,人間の生体脳のシナプス群は,CPUではなく,単なるセンサーと記憶素子の集合体のようなものへと変質してしまうことになるからだ。

昔から「学問に王道はない」と言われるが,普通の思考能力に関しても王道はない。

スタディモードをもつシステムなるものは,市場に置かれてはならない。

もっとも,どの国においても,大勢の人々を洗脳し,奴隷として支配したいと考える人々が存在するので,そのような反人類的な利己主義者または独裁者等からは大いに歓迎されるシステムであることも明らかだ。

AI開発の指導的な立場にある者らは,そのような反人類的な利己主義者または独裁者等に迎合しているという意味で,反社会的な存在であるかもしれず,そのような側面から,必要な身辺調査及び犯罪捜査が進められるべきだろうと思う。

この点に関してスタディモードに肯定的な姿勢を示す論評をしている評論家等もいるが,お金の奴隷なのではないかと想像する。
彼らは,金の流れが変われば,即座に手のひら返しのようなことをするのが普通なので,人間観察の対象としては(気晴らしにはなるという程度の意味で)面白い。

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なお,サイバー戦という観点からは,スタディモードなるものをもつAIシステムやAIサービスの導入が成功しつつある過程において,「当該システムがロシアの情報機関や中国の情報機関によって乗っ取られてしまった場合,世界中が一体どういうことになるか」に関しても考える必要性がある。

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スタディモードのシステムを高度に発達させると,単に「既存の理論や知識を覚えさせる」という意味での仕事を担当しているのである限り,大学や高校の教員の大半をAIシステムに置き換えることが可能となるかもしれない。

そのような置換えが現実に発生した場合,その後の状況下においても生き残ることのできる教員は,自分自身で新たな発見をし,新たな思想を生み出し,新たな創作物をつくり出し,既存の諸理論を考察して新たな理論体系を構成できるような能力をもつ者だけとなることだろう。

そして,そのように状況となった場合,現在普通に存在しているような高校や大学は存在する必要性がなくなってしまうかもしれない。

高額の学費を払って大学で受けることのできる内容と,ほぼ無料でオンラインで入手できる内容とが本質的には同じようなものになってしまうと,そして,当該の時点において就職のために必要な知識や技能がオンラインで入手可能になると,高額の学費を払う意味が消滅してしまうことになるので,大学の経営基盤それ自体が崩壊することになる。

優れた企業の中には既にそのことに気づき,学歴や学位等は不問とし,当該の者の実質的な意味での生体脳の能力だけを見極めた上で人事を行うところが出始めている。そのような優秀な人材は,1人で10人分~100人分くらいの仕事を平気でこなしてしまうので,経営的にもそのような人材だけを雇用したほうが利益率を高めることになるのだ。

しかし,そのような社会が本当に良い社会なのかどうか,本質的な部分で憂慮しない者が多数存在する。そのような者に関しては,救いようのない愚か者なのだろうと思っている。

 

 

 

 

 

 

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2025年7月29日 (火曜日)

文系と理系

世間には,「文系だから・・・」または「理系だから・・・」ということにこだわり過ぎる人がまだ存在するようだ。

かつて,血液型性格診断なる荒唐無稽な屁理屈が流行ったころに「A型人間だから」または「B型人間だから・・・」等とこだわった人たちとあまり変わらない。ABO式による血液型の区分は無数にある識別基準または指標の一つに過ぎない。ABO式の区分だけで全てが決定されるということが科学的に証明されたことはこれまで一度もない。

さて,文系と理系の区分は,本来的に無意味なものだ。

古い時代においては,文系と理系の区分など存在せず,全ての学問分野が「哲学」または「神学」の中に包摂されていた。
日本国の幕末における蘭学者の中にはそのような包括的な知性をもつ天才または天才に近い人材が多数認められる。

日本国においては,文系と理系の区分は,明治維新当時における富国強兵という目的を実現するために採用された手段的な概念であり,包括的な知性をもつ人材ではなく,部分的な知識を習得するだけで当該分野においては専門家として扱われ得る人材を速成栽培するために用いられた一時的な緊急対応策の一部だったと考えられる。

産業革命以降における大規模工場の工程を細分化し,細分化された工程を習得した人材を有能な人材として扱う産業上の社会構造がそのような国家レベルにおける教育姿勢または教育目標を支え続けたとも言える。

そして,現在でもなお,世界の産業構造はそのようなものなのかもしれないし,(受験予備校的な)内容空疎な丸暗記型思考しかできない人にとっては,理系と文系の区分が「真理」の一部であると信じられているかもしれない。

しかし,時代は変わった。大量生産方式を基礎とするようなタイプの資本主義は(建前上の国家体制が社会主義または共産主義の国家における実質的な意味での資本主義を含め)終焉の時を迎えつつある。

AIという文脈で現在の世界を見渡してみると,(日本国という極東の小国の文部科学省が採用している「理系と文系」という区分など完全に無視して)米国や中国の巨大なAIシステムは,全ての種類のデータを網羅的にどんどん呑み込み続けている。

そのようにして収集されたデータは,理系や文系という区分とは完全に無関係に,当該システムの設計者が想定した知識構造の仮説に基づいて処理され,有用性が確認されれば,その仮説は,その仮説を実証する統合されたデータ群であるモデルという表現形式により使用されることになる。

しかし,一般に,根本的に誤った仮説に基づいてデータが収集されるような場合においては,そのようにして収集されたデータを基礎として統計上または確率論上の何らかの有意な関係が証明されたとしても,土台となっている世界観(仮説)それ自体が最初から荒唐無稽であるので,また,誤った仮説に従って事前にフィルタされたデータのみを基礎として確率論の計算等が実行されるので,それらの証明それ自体が全く何の意味ももたないものであることが明らかだ。

統計学が常に正しいとすれば,ガリレオが生きた時代において,バチカンが絶対的に正しく,ガリレオは狂人または悪魔であったことになる。

しかし,本当はそうではないということは,(確率論によってではなく)長い時間の経過によって人々が普通の知識にアクセスできるようになったことによって常識のものとなった。
もっとも,ダーウィンのいうような意味での適者生存論または自然淘汰説に関しては,聖書の教えに反するとして禁止されている地域が現在でも多数存在している。

現在のアメリカ合衆国で起きている科学技術上及び政治上の出来事をできるだけ多角的に理解しようとするときは,そのような包括的な観点からの考察も必要だと考える。

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『モナリザ』の作者として有名ではあるけれども諸学とその実践に通じていた天才の一員であるレオナルドダビンチは,理解でも文系でもなく古典的な意味での総合学としての哲学の人だったと言える。

意味なく理系と文系とを区別したがる人は,このことをどのように考えるのだろうか?

 

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2025年6月 6日 (金曜日)

米国の大学問題

深刻度を増している。様々な評論が世間を飛び交っている。

しかし,名門大学であろとなかろうと関係なく,本質的な問題を論ずるものは少ない。

それは,大学ランキングに見られるような,「肩書主義は既に存在意義を失っている」という点だ。

心理的依拠によって大学という社会システムが成立している部分が極めて大きいので,「肩書主義は既に存在意義を失っている」ということを社会の圧倒的多数の人々が明確に認識し,(企業の雇用形態の変化等を通じて)社会の実生活において実感するようになる。

ほぼ全ての事柄に関し,「価値=主観」という図式が成立しているので,当然そうなる。

世界史的にみれば,大転換期にさしかかっていると言える。

様々なAI製品やAIサービスの提供は,そのような大転換を促進する社会的な触媒として機能している。

 

[追記:2025年6月17日]

その意味がない教授とは意見交換しないが,意味があると判断できる限り,賛成でも反対でも関係なく,様々な教授と意見交換し続けている。

トランプの政策が日本国の大学に与える影響に関しても話題になることがないわけではないが,たいていは,米国のことなので日本国とは無関係だと判断しているようだ。

私は,そうは思っていない。

日本国でも同じになる。それは,レッドパージの再来の部分を含む。

 

 

 

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2025年4月25日 (金曜日)

法と情報研究会の昼食会

昨日,法と情報研究会の昼食会があったので参加した。

私が主宰している研究会なので,もっと積極的に活動すべきところなのだが,家庭内の事情(老母の介護等)のために身動きがとれない状態が約8年以上続いてしまっている。昨日は,金子俊哉氏に庶務を担当していただけたので昼食会を実現することができた。

この間,会員各位には様々なことがあったようなのだが,病気で入院した方も完全に回復して復帰しているので,とにかく通常人の何倍か何百倍くらいの超人的な体力と回復力をもつ人材の集団であることは間違いない。

ところで,法と情報研究会と類似の組織・団体は幾つもある。

しかし,単なる模倣や官僚的作業をこなすだけの組織や利殖目的の組織,または,特定の宗教団体や政治団体の勢力拡張のための組織ではなく,この分野において新たな知的生産物をどんどん生み出す能力をもつ日本国内でほぼ唯一の研究団体なので,私の精神力と体力が許す限り,今後も主宰を継続するつもりだ。

私自身がやるべきこととしては,基本的には,(印刷物としての公表は無理だがデジタルのものとして)法と情報雑誌の刊行を継続し,今後も最先端の内容の研究成果を公表し続けたいと思っている。

ちなみに,私は,日本国の主要大学の大学院等において伝統的に行われてきた「奴隷的な弟子をつくる」ということを一切してこなかったので,奴隷となって働く弟子のような者が一人もいない。
そのため,基本的には何でもかんでも全部自分でやらなければならない。
それでもなお,会の運営にしても研究活動にしても,自主的に無償で手伝ってもらえる若い世代の人々がいるので,どうにかこうにか運営できている。

まことにありがたいことだと思う。

一般に,利他を基本としなければ,真の学術は形成されない。

利己を基本とすると,どこかの国の大統領のように,思想信条の自由や学問の自由を圧殺することになる。

 

 

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