2017年6月18日 (日曜日)

研修

かなり以前のことだ,なりたての判事補が誰でも受ける義務のある研修の際のことだ。

ある教官(当時・裁判官)に対して,「教官になるための適正試験のようなものはあるのですか?」と質問したところ,「なにを!」と言って睨まれた(笑)

また,ある教官(当時・裁判官)との自由な意見交換方式の科目の中で,ある法制度について,「これまでの注釈書には誤りが多いから,全部書き換えるようなことをしてみたい」との意見を述べたところ,「全部廃止して別の法律を制定するとすればどのような法律が妥当であるかを考えたほうが生産的だ」とのアドバイスを頂戴することがあった。当時,まだ公表されていなかったが,その法律について改正の動きがあり,その教官は知っていたのだ。私は知らなかった。知っていれば,当然,その教官と同じ意見を先に述べたことだろう。立場によって知ることのできる情報とそうでない情報とがあるので,いたしかたのない問題ではある。ちなみに,当時としては比較的妥当な法改正がその後行われた。しかし,現時点では,不十分なところばかりだと認識している。しかし,私の認識に追い付くことのできる裁判官が現時点でも存在しているのかどうか,かなり疑問なので,その関連の事柄には直接には触れないようにしている。ただし,検討すべき要素については,私の論文の脚注の中でチラリと私見を披露することがある。ほぼ全ての読者が「これはSFだろう」と感じて,真面目にとりあげようとはしないのだが,私としては,SFではなく,現に目の前にある問題に対する最適解のヒントを提供しているつもりだ。理解されることは稀だ(苦笑)

別の教官(当時・裁判官・故人)からは,「君は世界で一番偉いと思っているだろう?」と言われたので,「そんなことはありません」と答えたところ,「嘘を言うな。目にそう書いてある」と叱られた。私は,当時も,その後も,今も「世界で一番偉い」と実感したことなど一度もない。世界には非常に優れた人材がいっぱい存在している。しかし,教官のほうが私よりも優れていると思ったことが比較的少なかったのは事実だ(笑)

現在の研究テーマと関連するものに限定されるとはいえ,EUの関連法制をずっと検討してきて,(教育ではなく)訓練の重要性を指摘する(前文等の)文言が増えており,現実にそのような仕組みが制度として構築されつつある・・・ということを認識した。

しかし,訓練を担当する教官の質をどうやって維持するのか。それが問題ではないかと疑問に思う分野が存在することも否定できない。

他方,訓練方法が確立されており,かつ,その内容・方法が妥当である場合,人間によってではなく人工知能(AI)を応用したシステムによって訓練を実施したほうが公平であり,かつ,効果的であり,かつ,効率的なのではないかと考えることもある。人間の担当者が必要なのは,基本的に,訓練の内容・方法が確立されていない分野だけだ。この種の問題について,欧州委員会がどのように考えているのか,とても興味がある。

| | コメント (0)

2017年6月13日 (火曜日)

campus free speech

下記の記事が出ている。

 Wisconsin speech bill might allow students to challenge science professors
 ars technica: June 12, 2017
 https://arstechnica.com/science/2017/06/wisconsin-speech-bill-might-allow-students-to-challenge-science-professors/

| | コメント (0)

2017年4月29日 (土曜日)

人工知能を教育する人々?

下記の記事が出ている。

 Meet the People Who Train the Robots (to Do Their Own Jobs)
 New York Times: April 28, 2017
 https://www.nytimes.com/2017/04/28/technology/meet-the-people-who-train-the-robots-to-do-their-own-jobs.html

(余談)

最も大事なノウハウは,自分の後継者として認めることのできる者1名または2名くらいにしか教えないというが基本だ。

真に重要な知識は流通しない。

| | コメント (0)

2017年3月16日 (木曜日)

オーストラリア:サイバーセキュリティ教育

下記の記事が出ている。

 The Australian Cyber Security Growth Network has made education and talent development a core part of its newly-announced strategy.
 ZDNet: March 16, 2017
 http://www.zdnet.com/article/australias-dream-to-teach-the-world-to-cyber/

| | コメント (0)

2017年3月14日 (火曜日)

佐々木良一編『デジタル・フォレンジックの基礎と実践』

佐々木良一先生から下記の書籍をご寄贈いただいたので,早速,読んだ。

 佐々木良一編
 デジタル・フォレンジックの基礎と実践
 東京電機大学出版局 (2017/3/10)
 ISBN-13: 978-4501555603

わかりやすく,バランスのとれた内容の良い概説書だと思う。

学生に購読を勧めることにする。

あくまでも一般論だが,高校生以下の若い世代の中には,実際には内容をきちんと理解していないのに全部わかっているつもりになっている「根拠の全くない自信」に満ちた者をみかける機会がしばしばある。確かに,ネットで検索すればそれなりの「文字」を知ることはできる。しかし,それ以上詳しく調べようとしないので,内容を正しく理解することがない。まして,実物を手にしてより正確に認識・理解しようとする者は非常に少ない。

私が担当している情報セキュリティの入門のような科目の受講者の中にもそのようなタイプの学生が含まれていることがあり,がっかりすることがある。私自身は,法制面及びマネジメントシステムの部分を担当している。

単位を欲しいというだけで受講しているだけの学生も含まれているのだろうから全員に対して好奇心をもてと要求してもそもそも意味のないことなのだが,どのようなところに就職しても,基本的に必要となる必須の素養を身につけさせるために準備し実施している科目なので,そのような学生には正直言ってがっかりするのだ。

全く同じ講義を聴いても,好奇心をもって,一定程度以上の知識や経験を踏まえて講義を聴けば,当該講師がいかに重要なことを述べているかを理解することができる。しかし,よく理解し頭脳の優秀な講師に限って,わかりやすく平易な言葉で講義をすることが多いものだから(逆もまた真),あまり好奇心がなく準備もしていない学生は「なんだこの程度の授業か」と即断してしまうことになる。

しかし,私が担当している情報セキュリティ関連の科目の授業は,数名の講師による共同授業であり,この分野では最高レベルかつ最新の内容を提供していると考えている。

つまり,「良い講義」では,学生の能力に比例して,評価が変化するという一般的な法則が存在しているように思う。

ある先生の演習科目は,非常に厳しいという評判がある。それはそのとおりだろうと思う。私の子供も大学生の当時にその先生の当該科目を受講し,「とても勉強になるけれども準備が大変だ」とぼやいていた。しかし,その授業から得たことはかなり多かったようだ。そして,当該先生について,優れた先生だと尊敬していたようだ。けれども,LINEなどでつまらない評価だけを読み,実際に受講することもなく,評判だけで「厳しい=面倒くさい」としか考えないタイプの学生にとっては「悪い授業」ということになるのだろう。そのような安易な評価しかしようとしないことは,とても愚かなことだと思っている。

その意味では,受講学生全員のアンケートによる授業評価なるものは全く無意味なことだと考えている。

先日,某先生とそれについて話題になった。私は,「もし続けるのであれば,知的能力及び評価能力の検定をまず実施し,その検定に合格した学生だけにアンケート参加資格を与えるべきだ」という趣旨の意見を述べた。その先生は,授業評価の導入の中心人物の1人だったのだが,私の意見をどのような気持ちで受け止めたのかはわからない。

私見のような検定制度を導入しないのであれば,即時廃止が正しいと思っている。現状のままでは,間接費だけが異常に膨らむ一方で,その評価結果の効果はほぼゼロに近い。時間の無駄だ。人生の貴重な時間の浪費以外のなにものでもない。他のアンケートの類でも基本的には同じことが言える。

それはさておき,フォレンジックの難しい実践的な部分を習得したいと考える学生は決して少なくなく,将来,その分野の人材の社会的需要が増えることは間違いない。私は,理系だけではなく文系出身の情報セキュリティ専門家が一定規模の職場では必ず必要となると考えているし,もし将来「データ保護責任者(DPO)」の需要が増える,または,法定の義務となる時代が来るとすれば,文系出身のDPO職員と理系出身のDPO職員とが力を合わせて事態に対処するのでなければ,当該組織にとって真に必要な解決を提供することのできるDPOであるとは言えないと考えている。

それゆえ,情報セキュリティのもつ様々な側面を総合的に理解できる人材を育成すべく,今後も自分の担当科目をしっかりとやっていこうと思う。

(余談)

企業の人事担当者は,当該応募者の出身学部の中で信頼できる優秀な教授でありながら成績評価が厳格であるために学生に敬遠されがちな教授の科目で優秀な成績を得ているか否かを点検するだけで,かなり正確に当該応募者の能力を測定することができるのではないかと考える。

GPAや「優(S)」の数は,一応の目安にはなるけれども,簡単に単位を得ることのできる科目だけを選択して受講するずるい学生を見ぬくことができないという深刻な欠点がある。

また,そういうことを知っているからこそ,学生に対する人気とりのために安易に単位認定をする「ダメ教授」が存在することも事実なので,面接してみて,明らかに「ダメ応募者」だと判定できる者であるのに「優(S)」の単位を与えている教授のサンプルを収集すると,当該教授が本当は「ダメ教授」であり,その成績評価を当該組織における人事において参考にしてはならないということを認識・理解することができるだろう。

基本的には,非常に厳しいということで有名であり,しかも,しっかりとした研究業績を多数公表している教授のゼミの出身者であれば,そのことだけで,知的能力の程度の評価としては一応のレベルをクリアしていると判断して良いのではないかと思う(逆もまた真)。

人事担当者は,より良い応募者の選択のために,ちょっと考え直したほうが良いことがあると思う。

| | コメント (0)

2017年3月10日 (金曜日)

ゼミ打ち上げコンパ

ゼミ(専門演習)の打ち上げコンパがあった。

ゼミ長から「御礼」ということで菓子折りを頂戴した。

日ごろ,「菓子折りにはちゃんと純金の小判を底に敷くように」と言っている。その趣旨は,「純金の小判など存在しない」=「余計な御礼等の菓子折りは無用」というつもりだ(笑)

その菓子折りには,無論,小判など入っておらず,最中と道明寺が入っていた。

私の「あんこくめん」をよく理解・会得した上でのゼミ長としての仕事の仕上げとなる菓子折りだと評価できる。

美味かった(笑)

| | コメント (0)

2017年2月19日 (日曜日)

ゼミ生の投稿論文が優秀賞

私のゼミでは,ゼミ生に論文を書かせ,雑誌に投稿することを義務づけている。卒業論文の代わりになる論文を共同で作成させるということを目的としている。

楽して卒業してもろくなことがないので,苦労しても学生の間に学べることは学んだほうが良いと考えているし,自分の考えをまとめて文章にする訓練もさせておいたほうが良いと考えている。

学生達は,前期(春期)に各自で研究した成果をまとめたレポートをもとに,後期(秋期)では1本の論文にまとめなおすという共同作業をし,それを通じて,社会に出てからの共同作業のための練習をする。

私は,指導教員として,内容に不満足な点があっても口出ししたり添削したりは一切せず,よりよく考えるためには何を調べ,何を読むべきかについてアドバイスだけ提供するという方針でやってきた。

2016年度の投稿の審査結果について本日の教授会で報告があり,ゼミ生の投稿論文が優秀賞に選ばれたことを知った。

学生たちの研究成果を認めてもらうことができ,私の責任を果たすことができた。素直に嬉しい。

  自動車の自動運転に関する法的問題-製造物責任の観点から-
  唐亀侑久(ゼミ長)
  井上優哉
  馬場健志郎
  須藤美有(春期のみ・秋期はスウェーデン留学)

この論文は,法学会誌に掲載される予定。

(余談)

優秀賞を受賞すると,副賞として一定の金員が授与される。

その資金は,大澤芳秋氏という篤志家の方からの寄付金によっている。何ともありがたいことだと思う。

入賞し,賞金を受けることについて,学生達の努力と事情を知らない人々からは「賞金で宴会でもやるのか」とからかわれることがある。

しかし,この賞金は,学生が受領すべきもので,私はただの1円ももらっていない。

事情を全く知らないのに,一体どういう神経をしているのか,自分の著しく低劣なレベルで他人を評価してほしくないと思うのだが,人間関係を重視し,「この金額では,銀座で豪遊は絶対に無理です」と言って笑って済ませることにしている。

しかし,今回の学生は,内外の文献を調べるために,受賞により得る金額よりもはるかに高額の支出を既にしている。

「本当に学問をしたいのであれば,身銭をきっても学問をする」というのが学問の本来の姿なのだが,学生にそれを強いてしまっているのは私の資金不足によるものなので,学生にはすまないと思っている。

そういう事情があるので,受賞により得る賞金を考えても,今回の論文作成の収支決算は,明らかに大幅な赤字になっていると私は評価している。

その学生達の経済的な負担は,受賞という名誉によって購われたことになるだろう。

どの学生も協力してこの論文を仕上げたのだが,特にリーダーとして頑張り続けた学生は,非常に成績優秀であり,かなり著名な良い企業に就職が決まっている。きっと,その企業において,大いに活躍してくれることだろうと思う。

受賞した論文の内容や論理の運びかたについては,私なりの意見がある。私のレベルで評価すれば,資料の選択や内容の理解等に問題がないわけではない。もし私が同じテーマで論文を書いたとすれば,かなり様子の異なるものとなったことだろう。

しかし,そういうことはどうでもよいことだ。

私は,学生の自主性を尊重する。

学生が自分で必死になって調べ,考え,大学生としてやることのできるベストを尽くしたのだから,それだけで十分に立派なことだと思う。

今回受賞した学生達が更に精進と研鑽を重ね,満足すべき人生を自分の手で掴むことを心から祈る。

| | コメント (0)

2017年1月11日 (水曜日)

米国:大学に対するランサムウェアを用いた攻撃

下記の記事が出ている。

 US college pays $28,000 to get files back after ransomware attack
 Naked Security: 10 January, 2017
 https://nakedsecurity.sophos.com/2017/01/10/us-college-pays-28000-to-get-files-back-after-ransomware-attack/

[追記:2017年1月14日]

関連記事を追加する。

 This college just paid a $28,000 ransom, in bitcoin, to cyberattackers
 Washington Post: January 13, 2017
 https://www.washingtonpost.com/news/grade-point/wp/2017/01/13/this-college-just-paid-a-28000-ransom-in-bitcoin-to-cyberattackers/

| | コメント (0)

2017年1月 9日 (月曜日)

英国:教育機関に対するランサムウェアによる攻撃

下記の記事が出ている。

 Ransomware sleazeballs target UK schools
 Register: 6 January, 2017
 http://www.theregister.co.uk/2017/01/06/ransomware_crooks_target_schools/

 This ransomware scheme is targeting schools, colleges and head teachers, warn police
 ZDNet: January 6, 2017
 http://www.zdnet.com/article/ransomware-scheme-is-targeting-schools-and-colleges-warn-police/

| | コメント (0)

2016年12月27日 (火曜日)

教育の分野もAI化するか?

下記の記事が出ている。

 Could online tutors and artificial intelligence be the future of teaching?
 Guardian: 26 December, 2016
 https://www.theguardian.com/technology/2016/dec/26/could-online-tutors-and-artificial-intelligence-be-the-future-of-teaching

「教育(education)」と「学習(learning)」の定義の問題かもしれない。

従来の日本においては,単なる「訓練(training)」または「再生産(reproduction)」に該当する営みのことを「教育」と呼び,国民に押し付けてきた。富国強兵策の残滓というべきものかもしれないが,元来,産業革命後の社会というものはそういうものなので,単純に指揮命令に従うある程度までの知識をもった画一的な労働者が多数必要だった。その需要を満たすための国家制度であるということができる。このことは,資本主義の国でも社会主義または共産主義の国でも変わらない。

しかし,産業革命時代的な労働の中で物理的な動作を要するものは産業用ロボット(Robotics)で代替されつつあるので,この分野では人間が必要なくなるし,また,機械的労働能力を再生産するための「教育」も必要がなくなる。では,事務系はどうかというと,計算処理可能な問題についてはAIで置き換えられつつあるので,いずれ人間も必要なくなる。

すると,AIによって教えなければならない項目もなくなってしまう。AIが自己学習能力によってAI自身だけが常に人間に対して優位になるように自分自身のプログラムを書き換え続けデータを蓄積し続けることになるだろう。このデータの蓄積が限界に達するまでは,人間がAIのためのパーツとして使役されることになる。これが最後の労働となる。

そのあとは,人間が一切必要なくなるし,人間が得られる職業もなくなってしまうので,自然と人類は消滅することになる。

結局,AIの進化によって産業革命の時代は終わる。そして,人類の歴史も終わる。

ただし,歴史をもたない動物としての「ヒト」は残るかもしれない。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧