2017年8月13日 (日曜日)

首都圏私大の学生定員制限問題

どんな「有識者」が考えたのか全く知らないが,因果律というものを全く理解しない政策であることは,(政府部内を含め)ほぼ全ての人々が認めていることだ。

地方の特定私大と癒着のある誰かが決めたことなのだろうと思う。それゆえ,この政策に積極的に賛成する者は,原則として,癒着という違法行為者の張本人との推定を受けかねない・・・かもしれない。

それはさておき,私は,この政策は,必ず失敗する政策だと断言する。

いわゆる「ゆとり教育」のときにも反対し,当時,さんざんな目に遭った。

しかし,結果は既に誰でも知っているとおりだ。特定の企業との癒着が産んだ政策なので,成功するはずがない。その当の責任者は,当然,責任をとるべきだと今でも考えている。何万人もの若者をダメにした責任がある。しかし,平然と生きている。

今回の首都圏私大の定員抑制策も同じだ。

私の予測では,この政策を断行すると,地方の疲弊を更に急激に悪化させることになる。これは,誰の目にも明かなことだ。

それでも,この政策は断行されることになる。

その結果,首都圏の私大は,きっと,逆に強くなる。

その結果,相対的に,地方はますますもって苦しい立場となることだろう。

そもそも,今後,就労可能な世代の人口が大規模に減少する可能性が高いので,地方の過疎化が現在よりも何倍も急激に進む可能性があることも十分に考えに入れなければならない。

この問題について,政府は外国人労働者で補おうという政策を採用するかもしれない。

しかし,そのような政策は,結局,日本国の国家財政の破綻を加速するだけのことだし,地方の教育機関において通常の日本語による普通の教育が全く成立しなくなってしまうことを加速することになるだけだ。そして,長期的には,例えば,日本国が中国の属領になってしまうことを加速することになる。

そもそも,「日本に来れば日本人と日本の文化に馴染むだろう」と安易に考えるのだとすれば,それは,単純に,無知と偏見に基づく軽薄な差別主義的発想の一種であるというしかない。

一般に,どの国の国民も,自己の国の文化と言語に誇りをもっているものだ。

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2017年8月 8日 (火曜日)

米国:UCLAのサーバにサイバー攻撃?

下記の記事が出ている。

 UCLA System Hacked In Cyber Attack
 CBS Los Angeles: August 5, 2017
 http://losangeles.cbslocal.com/2017/08/05/ucla-system-hacked/

海外からの留学生のいるところや夏休みに海外からの短期学生に提供するサマースクールを実施しているところでは,日本の大学においても同様の攻撃があるかもしれない。

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NIST: National Initiative for Cybersecurity Education (NICE) Cybersecurity Workforce Framework

下記の記事が出ている。

 NIST Releases Cybersecurity Definitions for the Workforce
 DARK Reading: August 7, 2017
 https://www.darkreading.com/threat-intelligence/nist-releases-cybersecurity-definitions-for-the-workforce/d/d-id/1329578

NISTの文書は,下記のところにある。

 National Initiative for Cybersecurity Education (NICE) Cybersecurity Workforce Framework
 http://nvlpubs.nist.gov/nistpubs/SpecialPublications/NIST.SP.800-181.pdf

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2017年8月 3日 (木曜日)

教育困難大学

「教育困難大学」のあまりにもひどい授業風景
東洋経済Online:2017年8月3日
http://toyokeizai.net/articles/-/181672

(余談)

この記事に書かれていることは,一定の範囲内にある4年生大学のことなのだが,程度の差こそあれ,どこの大学においても類似の問題を抱えているのではないかと思う。

例えば,東大や京大のようなトップ大学においてさえ,ある種の類似の問題が存在していることは,関係者の中ではよく知られている。

その原因の多くが,徹底的に最適化されている大学受験指導にあることは言うまでもない。

そして,このことは,学部レベルだけではなく,大学院レベルでも顕著となりつつある。

形骸化し,内容のない学位は,無効化されるべきものであろうが,米国を中心とする学位発行ビジネスの影響を受け,日本ではどうにも修正できないような状況となってしまっている。

ただし,当の米国においては,実質的な能力主義があるので,形骸が形骸として影響を及ぼす範囲及びその実質的内容が日本とは異なっているという点には留意すべきだろう。そして,現時点においては,米国の大学ビジネスが更に大きく変容しようとしている。それは,留学生ビジネスの弊害が顕著なものとなってしまってきているからだ。かつてのように当該出身国を代表できるような極めて優秀なトップクラスの学生だけが米国の大学の留学生になっているわけではないという現実がある。

一般に,本来であれば,大学受験にしろ司法試験受験にしろ,受験予備校等に頼ることなく,趣味や個人的な生活のような自由な生き方を満喫し,受験対策のような特殊な訓練は基本的に受けていない者でありながら,真に目的とすべき試験だけは上位を獲得することのできるような者だけが受験者となるべきかもしれない。

しかし,現実にはそうなっていない。それは,特殊日本的な肩書・経歴・出身重視主義(=能力無視主義)のなせるわざである。

それは,日本国の社会の隅々にまで浸透してしまっているので,それを改善するための方法がない。

なぜならば,日本国においては,基本的な価値判断の尺度が,形骸化し弊害が著しくても,「権威は権威」だからだ。

そのパッケージだけが重要であり,その内容はどうでもよいのだ。

私は,そのような国家のあり方の淵源について,古代において導入された律令制にあると考えている。日本国は,現在でもなお,その意味における律令国家である。

一般に,日本国は,総体として,滅びの道を歩み続けている。

しかし,それは,日本国だけではない。

「人間が平等であるべきである」ということと,「個々の人間が現にもっている個別的な能力」とは相互に無関係であることを正しく理解すべきであろう。個人の個別的な能力は,当該個人の遺伝子によって確定されるものなので,教育や訓練によって得ることは不可能である。それでもなお,人間としては「等しく人間である」として法律上扱うことが平等原則の本質である。現実には個々の人間が平等に能力をもっているわけではないからこそ,理念としての平等原則が必要となるのだ。それは,理念(観念)の一種なのであり,事実そのものではない。

私自身は,過去の人生の中で,体育の科目については常に成績最下位のような状態だった。しかし,そのことが自分自身の健康と何らかの関係があると考えたことはないし,自分の仕事を遂行する上での能力と関係があると考えたこともない。無論,オリンピックに出場するような優れたスポーツ選手として活躍することに興味をもったことは全くないのだが,そうなるために生まれてきたのではないので,私の人生とは全く関係のないことだと考えている。

一般に,体育という科目は,現在でも必修科目とされているが,本来は,必修とされるべき科目ではない。好きな人だけがやれば良いのだ。特に,社会人入試による高齢の学生について,若者と同じ内容の体育を義務化することは,それ自体として完全にナンセンスなことである。

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2017年6月18日 (日曜日)

研修

かなり以前のことだ,なりたての判事補が誰でも受ける義務のある研修の際のことだ。

ある教官(当時・裁判官)に対して,「教官になるための適正試験のようなものはあるのですか?」と質問したところ,「なにを!」と言って睨まれた(笑)

また,ある教官(当時・裁判官)との自由な意見交換方式の科目の中で,ある法制度について,「これまでの注釈書には誤りが多いから,全部書き換えるようなことをしてみたい」との意見を述べたところ,「全部廃止して別の法律を制定するとすればどのような法律が妥当であるかを考えたほうが生産的だ」とのアドバイスを頂戴することがあった。当時,まだ公表されていなかったが,その法律について改正の動きがあり,その教官は知っていたのだ。私は知らなかった。知っていれば,当然,その教官と同じ意見を先に述べたことだろう。立場によって知ることのできる情報とそうでない情報とがあるので,いたしかたのない問題ではある。ちなみに,当時としては比較的妥当な法改正がその後行われた。しかし,現時点では,不十分なところばかりだと認識している。しかし,私の認識に追い付くことのできる裁判官が現時点でも存在しているのかどうか,かなり疑問なので,その関連の事柄には直接には触れないようにしている。ただし,検討すべき要素については,私の論文の脚注の中でチラリと私見を披露することがある。ほぼ全ての読者が「これはSFだろう」と感じて,真面目にとりあげようとはしないのだが,私としては,SFではなく,現に目の前にある問題に対する最適解のヒントを提供しているつもりだ。理解されることは稀だ(苦笑)

別の教官(当時・裁判官・故人)からは,「君は世界で一番偉いと思っているだろう?」と言われたので,「そんなことはありません」と答えたところ,「嘘を言うな。目にそう書いてある」と叱られた。私は,当時も,その後も,今も「世界で一番偉い」と実感したことなど一度もない。世界には非常に優れた人材がいっぱい存在している。しかし,教官のほうが私よりも優れていると思ったことが比較的少なかったのは事実だ(笑)

現在の研究テーマと関連するものに限定されるとはいえ,EUの関連法制をずっと検討してきて,(教育ではなく)訓練の重要性を指摘する(前文等の)文言が増えており,現実にそのような仕組みが制度として構築されつつある・・・ということを認識した。

しかし,訓練を担当する教官の質をどうやって維持するのか。それが問題ではないかと疑問に思う分野が存在することも否定できない。

他方,訓練方法が確立されており,かつ,その内容・方法が妥当である場合,人間によってではなく人工知能(AI)を応用したシステムによって訓練を実施したほうが公平であり,かつ,効果的であり,かつ,効率的なのではないかと考えることもある。人間の担当者が必要なのは,基本的に,訓練の内容・方法が確立されていない分野だけだ。この種の問題について,欧州委員会がどのように考えているのか,とても興味がある。

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2017年6月13日 (火曜日)

campus free speech

下記の記事が出ている。

 Wisconsin speech bill might allow students to challenge science professors
 ars technica: June 12, 2017
 https://arstechnica.com/science/2017/06/wisconsin-speech-bill-might-allow-students-to-challenge-science-professors/

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2017年4月29日 (土曜日)

人工知能を教育する人々?

下記の記事が出ている。

 Meet the People Who Train the Robots (to Do Their Own Jobs)
 New York Times: April 28, 2017
 https://www.nytimes.com/2017/04/28/technology/meet-the-people-who-train-the-robots-to-do-their-own-jobs.html

(余談)

最も大事なノウハウは,自分の後継者として認めることのできる者1名または2名くらいにしか教えないというが基本だ。

真に重要な知識は流通しない。

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2017年3月16日 (木曜日)

オーストラリア:サイバーセキュリティ教育

下記の記事が出ている。

 The Australian Cyber Security Growth Network has made education and talent development a core part of its newly-announced strategy.
 ZDNet: March 16, 2017
 http://www.zdnet.com/article/australias-dream-to-teach-the-world-to-cyber/

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2017年3月14日 (火曜日)

佐々木良一編『デジタル・フォレンジックの基礎と実践』

佐々木良一先生から下記の書籍をご寄贈いただいたので,早速,読んだ。

 佐々木良一編
 デジタル・フォレンジックの基礎と実践
 東京電機大学出版局 (2017/3/10)
 ISBN-13: 978-4501555603

わかりやすく,バランスのとれた内容の良い概説書だと思う。

学生に購読を勧めることにする。

あくまでも一般論だが,高校生以下の若い世代の中には,実際には内容をきちんと理解していないのに全部わかっているつもりになっている「根拠の全くない自信」に満ちた者をみかける機会がしばしばある。確かに,ネットで検索すればそれなりの「文字」を知ることはできる。しかし,それ以上詳しく調べようとしないので,内容を正しく理解することがない。まして,実物を手にしてより正確に認識・理解しようとする者は非常に少ない。

私が担当している情報セキュリティの入門のような科目の受講者の中にもそのようなタイプの学生が含まれていることがあり,がっかりすることがある。私自身は,法制面及びマネジメントシステムの部分を担当している。

単位を欲しいというだけで受講しているだけの学生も含まれているのだろうから全員に対して好奇心をもてと要求してもそもそも意味のないことなのだが,どのようなところに就職しても,基本的に必要となる必須の素養を身につけさせるために準備し実施している科目なので,そのような学生には正直言ってがっかりするのだ。

全く同じ講義を聴いても,好奇心をもって,一定程度以上の知識や経験を踏まえて講義を聴けば,当該講師がいかに重要なことを述べているかを理解することができる。しかし,よく理解し頭脳の優秀な講師に限って,わかりやすく平易な言葉で講義をすることが多いものだから(逆もまた真),あまり好奇心がなく準備もしていない学生は「なんだこの程度の授業か」と即断してしまうことになる。

しかし,私が担当している情報セキュリティ関連の科目の授業は,数名の講師による共同授業であり,この分野では最高レベルかつ最新の内容を提供していると考えている。

つまり,「良い講義」では,学生の能力に比例して,評価が変化するという一般的な法則が存在しているように思う。

ある先生の演習科目は,非常に厳しいという評判がある。それはそのとおりだろうと思う。私の子供も大学生の当時にその先生の当該科目を受講し,「とても勉強になるけれども準備が大変だ」とぼやいていた。しかし,その授業から得たことはかなり多かったようだ。そして,当該先生について,優れた先生だと尊敬していたようだ。けれども,LINEなどでつまらない評価だけを読み,実際に受講することもなく,評判だけで「厳しい=面倒くさい」としか考えないタイプの学生にとっては「悪い授業」ということになるのだろう。そのような安易な評価しかしようとしないことは,とても愚かなことだと思っている。

その意味では,受講学生全員のアンケートによる授業評価なるものは全く無意味なことだと考えている。

先日,某先生とそれについて話題になった。私は,「もし続けるのであれば,知的能力及び評価能力の検定をまず実施し,その検定に合格した学生だけにアンケート参加資格を与えるべきだ」という趣旨の意見を述べた。その先生は,授業評価の導入の中心人物の1人だったのだが,私の意見をどのような気持ちで受け止めたのかはわからない。

私見のような検定制度を導入しないのであれば,即時廃止が正しいと思っている。現状のままでは,間接費だけが異常に膨らむ一方で,その評価結果の効果はほぼゼロに近い。時間の無駄だ。人生の貴重な時間の浪費以外のなにものでもない。他のアンケートの類でも基本的には同じことが言える。

それはさておき,フォレンジックの難しい実践的な部分を習得したいと考える学生は決して少なくなく,将来,その分野の人材の社会的需要が増えることは間違いない。私は,理系だけではなく文系出身の情報セキュリティ専門家が一定規模の職場では必ず必要となると考えているし,もし将来「データ保護責任者(DPO)」の需要が増える,または,法定の義務となる時代が来るとすれば,文系出身のDPO職員と理系出身のDPO職員とが力を合わせて事態に対処するのでなければ,当該組織にとって真に必要な解決を提供することのできるDPOであるとは言えないと考えている。

それゆえ,情報セキュリティのもつ様々な側面を総合的に理解できる人材を育成すべく,今後も自分の担当科目をしっかりとやっていこうと思う。

(余談)

企業の人事担当者は,当該応募者の出身学部の中で信頼できる優秀な教授でありながら成績評価が厳格であるために学生に敬遠されがちな教授の科目で優秀な成績を得ているか否かを点検するだけで,かなり正確に当該応募者の能力を測定することができるのではないかと考える。

GPAや「優(S)」の数は,一応の目安にはなるけれども,簡単に単位を得ることのできる科目だけを選択して受講するずるい学生を見ぬくことができないという深刻な欠点がある。

また,そういうことを知っているからこそ,学生に対する人気とりのために安易に単位認定をする「ダメ教授」が存在することも事実なので,面接してみて,明らかに「ダメ応募者」だと判定できる者であるのに「優(S)」の単位を与えている教授のサンプルを収集すると,当該教授が本当は「ダメ教授」であり,その成績評価を当該組織における人事において参考にしてはならないということを認識・理解することができるだろう。

基本的には,非常に厳しいということで有名であり,しかも,しっかりとした研究業績を多数公表している教授のゼミの出身者であれば,そのことだけで,知的能力の程度の評価としては一応のレベルをクリアしていると判断して良いのではないかと思う(逆もまた真)。

人事担当者は,より良い応募者の選択のために,ちょっと考え直したほうが良いことがあると思う。

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2017年3月10日 (金曜日)

ゼミ打ち上げコンパ

ゼミ(専門演習)の打ち上げコンパがあった。

ゼミ長から「御礼」ということで菓子折りを頂戴した。

日ごろ,「菓子折りにはちゃんと純金の小判を底に敷くように」と言っている。その趣旨は,「純金の小判など存在しない」=「余計な御礼等の菓子折りは無用」というつもりだ(笑)

その菓子折りには,無論,小判など入っておらず,最中と道明寺が入っていた。

私の「あんこくめん」をよく理解・会得した上でのゼミ長としての仕事の仕上げとなる菓子折りだと評価できる。

美味かった(笑)

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