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2026年6月13日 (土曜日)

良い人材の「運用コスト」

良い人材を従業者等として使用する際の賃金または報酬のことを「運用コスト」と呼ぶ者がある。

表現の自由ではあるが,人間は機械ではないので,人間に対する賃金または報酬のことを「運用コスト」と表現する者に関しては,その者の人間性における底の浅さや性格における冷淡さまたは利己主義的傾向(=付き合うべきではない者であること)を推量させるものだと言える。

以上を前提にした上で,優秀でありかつ顕著に業績をあげることができる人材に対しては,当然に,高い賃金または報酬を与えるべきなので,それを渋る経営者は,経営者として失格であり,当該企業や組織を去るべき者である可能性が高い。

特に,「運用コスト」が高いという理由で解雇した場合,当該の者と同じだけの業績をあげることのできる複数の者を雇用するために要する支出の合計額がかなり高くなってしまうかもしれないということを理解すべきだと思う。

業種にもよるが,業績を出せるかどうかは当該個人の特性に全てかかっており,代替性がない。類似または近似する別の者を雇おうとしてもうまくいかないことが多い。
例えば,野球の大谷選手の代替となるような大谷選手と同等またはそれを越える別の野球選手を大谷選手に費やしている報酬額よりも大幅に安い金額で雇うことは可能なことだとは全く思われない。
そのような場合,AIやロボットが代替しても無意味なことなので,そのようなオプションはない。

他方において,当該の従業者が仮に高額の賃金または報酬をもらっていなくてもせっせと業績を出せないような経営状況にしてしまう経営者がいるとすれば,その経営者は,全くもって無能なので,経営者であることを放棄し,どこでもいいから放浪の旅に出るべきだと思う。

あくまでも一般論だが,そもそも,無能な者は有能な者を使いこなすことなどできない。また,有能な者は,自分より有能な者が上におり,かつ,尊敬できる心理的状態になる場合,賃金や報酬とは関係なしに無我夢中で働くことがある。

そういう人間的なことを認識・理解できるようになるためにはそれ相応の人生経験と時間を要するが,過去に生きた人々の伝記や過去の歴史を記した書物などを可能な限り多く読書することによって間接的に感得できることもかなりある。

特に,現に生きている人間としては手本とすべき人材が存在しない場合,「温故知新」に頼るしかない。

そのような努力の継続の重要性を知らない者は,単なる愚人の一員だと言える。

 

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