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2026年6月26日 (金曜日)

AIは今回も何の役にも立たなかった

ここ数日,非常に大きな地震が連続的に発生している。震源地が近かったので,凄い上下振動があった。青森沖の大地震の際には気持ちの悪い大きな横揺れが続いた。

地震予測に関してもAIの応用が有効だという主張があり,それ相応の予算が計上されてきたようだ。

しかし,AIは地震予測には何の役にも立たなかった。

より正確に言うと,地震予測のような問題に関してAIが役立つことは最初からあり得ないことなのだが,そのことの証拠がまた一つ積み上げられたことになる。

今後も,AIは,地震を予測できない。

この分野のAIの応用に関しては,いくら予算を積んでも,全て浪費となる。

AIが成果をあげることができるのは,例えば,数学のような,完全に人工的な「閉じた世界」の出来事だけだ。完全な規則が存在する閉じた世界の中における数値計算であれば,計算可能なので,AIがその性能を発揮できる場合が多い。

しかし,データの探索に関しては,もし探索対象となるべきデータが本当は世界中に全く存在しないときは,何も計算できない。

未来に発生する「事実」に関するデータは,現時点では世界中のどこにも存在しないデータの一部だ。

そのような「事実」は,探索によっては発見できない。

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地震の微弱な振動等をキャッチするために日本国の沿岸の海底に設置されているセンサーは,そろそろ耐用年数が切れる頃ではないかと思う。

そのようなセンサーの群れによって組成される物理インフラなしには,どのような計算システムも「単なる箱」だ。そのような計算システムは,情報機関や警察組織等の神経組織的な構成要素を全くもたない政府と同じようなものであり,無力であるしかない。

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人間は,自分の身の回りのことでさえ何も知らないことが多い。その分野の専門家を標榜する者でさえ,実は何も知らないことが多い。

例えば,知的財産権分野の法学者の中でその人自身が音楽演奏家や美術・工芸品の作者としても名高い人(=芸術の本質を体現できる人)はどれだけいるだろうか?

環境法分野の法学者の中で道端の草や虫の名と生態を正確に知っており,それらの動植物の生態を理解し,それらの動植物を含む生態系全体を理解しようとしている人(=木を見て森も見る人)はどれだけいるだろうか?

無論,例外的な優れた学者は存在する。
しかしながら,一般的には,法の適用対象となる「事実」についてはほぼ無知であり何も知らないのに,単に符号列に過ぎない法理論や条文を暗記しているということだけで,自分のことを法学の専門家だと誤解してしまっている者の方が圧倒的に多い。

一般に,美術の本質を知らずに著作権を論じたり,現実に生きている動植物のことを知らないのに自然保護を論ずることが社会的にはどういうことなのかを冷静に考えてみるべきだと思う。

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無論,理屈いじりだけに終始するタイプの理論法学は成立し得る。

しかし,過去70年にわたる私の人生の中で見てきた内外の法学者に関する限り,「そのような理屈いじりに終始しているのに過ぎない」ということを自覚していない者,または,「そのような符合いじりだけは何も生み出さない」ということを自覚できていない者が決して少なくなかった。

これに対し,それを自覚できている法学者の場合,法の適用対象となる事実それ自体を知るための工夫と努力を重ねている人が非常に多かったし,そのような真摯な努力の中で生きている人間の存在それ自体も直視しようとしているので,教育者としても優れている人が多かった。

私は,そのような優れた人材を手本にしながら生きてきた。

私自身は,自分自身のことを「単なる凡人」に過ぎないと自覚している。

「単なる凡人」であっても,自分の職業上の専門分野と関係する限り,電子技術それ自体と直接に取組み,コンピュータプログラムを書いてきたし,また,音楽や美術に打ち込み,あるいは,野山を散策してどのような動植物のことでもほぼ全部頭に入っているようにすべきだと思い,そのようにしてきた。

そのようにして,「単なる凡人」なりにやれる限りの努力を尽くしてきた。

そして,「口先だけ」または「一人の人間でそんなことできるはずがない」との難癖や誹謗中傷を避けるため,見聞してきた結果を個人ブログに書き,公表してきた。
無論,神ではない人間のやることなので,間違い,誤解,錯覚等は生じ得るが,それを自覚する度に勉強し直し,観察し直し,訪問し直し,思考し直し,必要に応じて当該個人ブログ記事の誤りを訂正してきた。

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現在の私は,職業法学者ではなく,老いた年金生活者の一員に過ぎない。しかも,あとどれだけ生きられるか分からない。

しかし,趣味人は無敵だ。

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尊敬するニコラウス・アーノンクールは,その晩年において老いてますます燃え上がる情熱をこめて数々の楽曲を演奏し,その演奏を録音した。

アーノンクールは,もともと非常に優れた演奏家であったのだが,個々の楽曲が作曲された当時のように演奏すべきだという考えをもち,ありとあらゆる努力を尽くした。その影響は極めて大きい。かつてLPで購入した際に聴取したときには,「どうしてこのように演奏するのだろうか?」と疑問に思った部分もそれから何十年間かの人生経験を経て聴き直してみると,「なるほどそうだったのか!」と理解できるようになることがある。

アーノンクールは,モーツアルトの後期3大交響曲が全体として1個の器楽によるオラトリオ作品なのだという信念をもち,そのように演奏し,そのCD(Sony SICC 40279-80)を残してくれた。そのように理解することに関し,アーノンクールが「全体を知らなければ部分を理解できない」と述べていたというようなことが解説の中に書いてあった。そのとおりだと思う。

そのようなCDを可能な範囲内で順次購入し,じっと聴取する。

昨日は,2000年に録音されたJ.S.バッハの『マタイ受難曲』の全曲演奏のCD(Teldec WPCS-16198/200)を聴取した。ヴァイオリンの独奏が美しいメロディを奏でる第2部第10曲では,聴いていて涙がこぼれそうになった。

 

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