データを利用する能力
AIが主流になっても,データを利用する主体は人間である。
その人間の利用能力が欠けている場合または十分ではない場合,奴隷となる。
そのような奴隷であるかどうかは,貧富の差とは関係がない。知力・知識・経験が十分ではない場合,AI開発に投資して金儲けをもくろんでいる億万長者層も含まれる。
学歴や職歴のような空虚な虚飾のための道具に過ぎない単なる「符号」を買うことによってみせかけの栄華を誇る者が多数存在するけれども,そのような者は,既に奴隷である。
データを利用する能力は,当該データの処理系の外にある要素を多分に含んでいるかどうかによって,当該処理系に対する優位度が異なる。
当該処理系の内部にあるデータの形式的意味しか理解できない人間は,その処理系よりもずっと劣った知力しかもたない。
私は,若い人々がそのような悲惨な状況に陥らないようにするため,常に,「一冊でも多くの古典を読み,考え,理解するということを繰り返し,蓄積することによって基礎的な教養を高めること」を推奨している。
しかし,一般的には,(ずるいことであっても違法なことであっても)可能な限り少ない努力で可能な限り最大の結果を得るという悪しき意味での最適化の考え方に洗脳されている者が多すぎて,どうにもならない。高度に最適化された大学受験指導のための方法論やツールは,その権化のようなものだと思っている。
このことは,AIの応用によって更に促進されることになるだろう。要するに,手の施しようがないレベルまで人格崩壊したゾンビのような若者が更に多数増産されるようになる。
私は,そのような者に関しては,「勝手に滅びろ」と心の中で呟くのみ。
とはいえ,例外的に,私が黙っていてもどんどん勉強して独自の領域を開拓し続ける若手の研究者は(少数ではあっても)存在する。
そのような人材は,独自の境地を開拓し続けている。
それゆえ,既に陳腐化して腐敗し始めているレガシーな学説や取扱いしかできないゾンビのような存在でありながら自己認識としては「主流である」と信じてその虚妄の世界から抜け出ることなく,無論,現実を直視することもない人々や,某国の手先となって日本国の発展を阻止しようと日々妨害活動に従事している人々からは,憎むべき存在であり得るかもしれない。
しかし,そうであるがゆえに,私自身の見解と一致していなくても,あるいは,一致していないからこそ,私は,そのような独自の境地を開拓し続けている優れた人材を直接または間接に支援してきたし,これからもそうする。
以上に述べたことは,非常に優れたトップクラスの企業では既に常識に属することとなっている。そうでなければ生き残れないからだ。
ただし,企業秘密に属する要素を含むことがあり得るので,その詳細が広く知られることはない。
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