「平均点を基準にして考えること」を私が嫌っているということは,私のことをよく知る人であれば誰でもわかっていることだ。
人間の能力を測定する上で,平均点は無意味だ。
企業経営者にしろ,学術分野にしろ,軍事分野にしろ,もともと平均点を問題にしていない。
平均点を重視するのは,頭の悪い系の受験予備校だけだ。
さて.AIに関し,AIが平均点レベルの能力において人間よりも優れているかもしれないという仮説を前提にした上で,「時間も労力もかけずに平均点以上を出せるのですから。その平均点を土台として、「あなた」が最高のアイデアを生み出せばいいんです」と述べているネット上の記事(Diamond Online)を目にした。
この記事の意見に対する評価は,100点満点で5点程度だ。失格と言える。
本当に優秀な人は,平均点レベルに達するまでに他の人の何万倍もの努力を重ね,その成果を集積することによって肥沃な土壌を形成し,追肥とする肥料の原料を蓄蔵し続けている。
そのような肥沃な土壌や肥料の備蓄の中には,それだけではないけれども,「一般教養」と呼ばれているようなものが大量に含まれている。
だらこそ,優秀な人の脳裏において突飛なアイデアが(種子として)生まれるという幸運に恵まれた場合,当該の優秀な人にはその種子をまくための土壌と育成するための肥料が既に準備されていることになる。
要するに,もともと常人とはかけ離れて優秀なのだ。
ただし,水(資金)がないとせっかくのアイデアも枯れてしまう。
平均点に至るまでの莫大な努力の蓄積を伴うこのプロセスを経ない者は,そもそも土壌がないし,肥料(触媒)もないので,仮に同じアイデア(種子)をどこかから手に入れ,その種をまいたとしても育たない。
まして,水がなければすぐに枯死してしまう。
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能力のある人は,最適化された最短コースで人生を歩んだ人とは限らない。逆に失敗経験が多い。自分からはそれを語らないので普通の人にはわからないだけだ。
「失敗は成功の母」と昔から言わているが,それは正しいと思っている。
様々なアイデアがあっても,それは仮説に過ぎない。
その仮説を育成したら成功するかどうかは分からないし,成功する可能性のある仮設であっても育成の仕方によっては失敗してしまうこともある。
このことは,趣味であれ職業であれ,園芸とまじめに取り組んだことのある人であれば誰でも知っている常識に属する。
一所懸命努力しても失敗することのほうが多く,成功することは稀だ。
しかし,失敗の山を築いた後,成功を手にした者は,どうやれば失敗するかを既に知っているので,失敗する可能性の高いやり方を避けながら,更に成功し続ける可能性を高めることができる。
失敗経験のない者が結論だけ盗んだとしても,どうやれば失敗するかを実際には経験していないし,失敗が必至の仮説を検討したこともないので,結局,無残な失敗で終わることになる。
例えば,優秀な品種の種苗を盗むことに成功したとしても,その育成に関する試行錯誤の経験のない者は,当該種苗の真の権利者と同じ品質の農産物を生産できない。
人間の知性や知能と関連する事柄である限り,「王道はない」!
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以上に述べたことは,あるレベル以上の知性レベルに達している人であれば誰でも知っている常識に属する。
それゆえ,AI開発者の中には失敗事例も学習させている場合があるかもしれない。
しかし,人間の優れている点は,自分の人生の中の経験を基礎とする全人格的判断として複数の仮説間に合理的な優劣をつけることができるということだ。
コンピュータで処理可能なAI技術の場合,属性値とパラメータという要素によって類似の処理を実行することになるが,人間の脳内ではそのような処理が行われているわけではない。
そのような処理が行われていると考えている学者やエンジニアは実際に存在するが,それは,当該の者が優秀な人間ではないからそのように考えるのだろうと推察している。
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結論として,何も蓄積がない人がAIを使っても,平均点の能力を達成するための補助とすることは不可能だ。簡単に言えば,誰でも平均的以上の点数にしてくれる便利な道具ではあり得ない。
やはり,当該利用者のそれまでの蓄積の内容と量と質そして経験がものをいう。
より正確に言えば,定型的な繰り返し作業や解を得ることができる計算問題等を自動処理化するためにはAIは有用性を発揮する。
ただし,自分自身の仕事を構造化して把握し,構造体全体の中でどのような位置づけになるのか,AIからの出力をどのように受取り,どのように検証し,どのように評価するかと関連する手順を自前で瞬時に構築できるだけの力量のある人であればその有用性を引き出すことができるかもしれないが,そうでなければ,効用を発揮させることができない。
その意味で,例えば,単なる秀才としてのホワイトカラーが得意とする計算問題に関しては苦手だけれどもそれ以外の事柄では卓越した能力をもつ人であれば,単なる秀才としてのホワイトカラーに求められる機械的な反復作業を自動化して自分のために使うことができるけれども,そうでなければ使いこなすことはできないし,そもそも出力の健全性や正確性を評価・検証し,有用性が確認できた出力を合理的に利用することは無理なことだと考える。
検証・評価抜きでAIからの出力を単純に鵜呑みにしていると,いずれ奈落に落ちることになる。
『ネットワーク社会の文化と法』の結論部分で述べたとおり,結局は,機械装置やソフトウェアと向かい合う人間の能力の多寡と質に対応して全てが決まることになる。
このように考えているので,学生諸君に対しては,知性の肥料となる一般教養を積み,インターンシップでもアルバイトでも何でもよいから多種多様な実社会の経験を得ること,それを通じて人間というものの良い面と悪い面を理解することが重要だということを授業内で強調してきた。ただし,どれだけ多くの学生が私の言わんとするところを理解してくれたかについては,分からない。
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