法と情報研究会の今後
いろいろと考えるところなのだが,2026年3月には明治大学法学部を定年退職してしまうので,それ以降のことを決めなければならない。
私の過去の業績総数と同数またはそれ以上の数の論文や翻訳文等を作成して公表するだけの十分な能力及び独自に正しい法理論を構築し続けることのできるだけの頭脳のあるタフな研究者がいれば後継として任せることができると考えてきた。
しかし,日本中どこを探しても見つけられない。何十年待ってもそのような人材が出現しない。
私のような非常に凡庸な者でさえ,裁判官当時から通算すると(裁判官の職務として作成した判決や決定,その他の内部文書や非公式文書等を含め)通算1万本をはるかに超える文書を作成してきたし,これまで数万件に及ぶブログ記事等のインターネット上のコンテンツを作成してきたので,世の秀才であれば当然それ以上の数の業績を作成・公表するということをいつでもたやすく実行できるはずなのだが,現実にはどうもそうではないらしい。
結論として,明治大学法学部を退職後も私が代表者となってこの研究団体(法と情報研究会)を運営することにした。研究会の所在地は現在とは別の場所に移ることになる。
私以外に少なくとも1人以上の参加者があれば研究団体として継続し,法と情報雑誌を刊行し続けることができる。
諸般の事情により,法と情報雑誌を紙版として印刷することが難しいのだが,PDFのデジタル版を公表し,国会図書館に納本するということを続けたいと思う。
もともと「学会誌」や「研究会誌」の類は,同人誌の一種なのであり(例:東京大学の法学協会雑誌),商業出版社から出版しなければ学術雑誌ではないという理屈は成立しないし,そのように主張することは日本国憲法に定める学問の自由と表現の自由に反する見解であるということになる。
そもそも商業出版社が収益性の乏しい研究書や専門分野の雑誌を刊行することが非常に難しい時代になってしまっているため,この点に関する発想を根本から改めなければ,日本中のどの学術分野に関しても,学術上の研究成果を公表できる場がなくなってしまう危険性がある。
生物としての私自身のことを考えると,老化による劣化により研究能力及び研究業績の生産能力が著しく低下しているけれども,それでもなお,世間の標準的な法学部教授と比較して(質・量ともに)何倍かの生産能力を現時点でも維持し続けていることが明らかなので,今後も日本国の国民のために貢献し続けることは可能だろうと思う。
私が死んだらそれでおしまいということでよいのではないかと思う。
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