客観性のないデータ
世界に存在するデータの中には様々なタイプのものがある。
人間の主観的評価結果を不満足な自然言語で使用される何らかの符号によって表現したものに過ぎないデータも存在する。生成AIシステムそれ自体は,そのような主観的認識内容を符号化したデータに過ぎないものであるか,客観的な事実の測定結果を示すデータであるかを自動的に識別する機能をもち得ない。人間がそのような識別をする場合でも,かなり大量の別の情報を用いた総合的な比較検討を経なければならず,しかも,その判定それ自体も主観的な評価結果に過ぎないので,不満足な自然言語で使用される何らかの符号によって表現されたものであり,相対的な確実性しかもち得ない。
測定装置によって自動的に測定した結果である数値に過ぎないデータであっても,そもそも全ての測定機器には(法律によって許容される一定範囲の)測定誤差があり,(地磁気や太陽風の変化による)測定失敗や誤記録のようなデータが生成されることもあるので,測定装置による物理的な測定結果であるデータであるというだけで客観的に常に正しいとは限らない。
しかも,これまでの幾多の非違行為事例においてもみられるように意図的なデータ捏造も多数存在する。捏造データを根拠とするインチキ論文に依拠して(または違法にコピペして)作成されたコバンザメ論文のようなものも現実には多数存在するので,当初の捏造データが消去されたとしても,二次利用されたデータがネット上で流通し続け,生成AIシステムに取り込まれ続ける。
その他,非常に多種多様なタイプの客観性のないデータが存在する。
AIシステムの開発者は,要するにエンジニアなのであって,当該AIシステムの適用対象分野の専門事項を熟知している専門家ではないので,そもそも,(どの分野に関しても)データそれ自体の信頼性を評価する能力を最初からもっていない。
それゆえ,EUの関連法令においては,開発者の能力に関して,最初から「信頼しない」という価値判断を基礎として法制度を構築しようとしている。
このことは,AIシステムだからそうだというのではなく,EUの整合化立法全体について言えることだ。
比喩的に言えば,商業に関し,「実際に取引をしている企業だから企業法に関しては専門家である」という前提をとっていない。企業家は「金もうけ」の専門家なのであり,企業法の専門家ではない。もし「企業は企業法の専門家である」という前提をとると,(競争法関係及び消費者保護関係を含め)行政当局による市場監視ができなくなり,カオスが到来することを避けられない。
更に,このことは,法学専門家についても言えることだ。例えば,ある菓子の製法が営業秘密に該当すると仮定した場合,(過去の判例法を含め)適用可能な法令の条項の解釈・運用に関しては,当該分野の法律家は専門家であり得るのだが,当該菓子の製造行為それ自体について専門家であることは,基本的に皆無だと言える。例外は,偶然にも当該法律家自身が非常に優れた菓子職人でもあるというような場合だけだと考えられる。
それゆえ,法律の分野における専門家として仕事をしている者は,「自分自身はとんでもなく愚かであり,無知の極みに位置している」という明確な自覚をもち続け,1秒の余裕でもあれば,(どのような分野の対処物であれ,適法行為の範囲内で)実物を観察・考察し,関連する知識を広範に収集し,死ぬまで熟考し続ける必要がある。
それは,自分自身が「無知蒙昧の権化」にほかならないからだ。
そして,「学問すること」が本当に好きなのであれば,死ぬまで続けることができる。
自戒の念をこめて。
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