「越境」
既に何度か書いていることではあるが,目下精読中のEUの法令の読解と関連して,「越境」という日本語が適切な場合とそうではない場合との境界(border)のようなものがあるという認識を強めつつある。
結論として,「越境」の使用は,推奨されない。
意味が曖昧になってしまうからだ。
例えば,日本語の「越境犯罪活動」は,国際法及び当該国境と関係する国の国内法の適用・解釈との関係において,「国境を破る」犯罪活動とも読み得るし,複数の国が(犯罪活動の全部または一部において)関係する国となってる犯罪活動とも読める。
ここでいう「国境を破る」とは,国際法または国内法に違反する違法な国境侵犯行為のことを指し,その行動主体は,個々の自然人であることもあり,(軍事侵攻の場合のように)主権国家であることもある。日本国の過去の幕藩体制下における「関所破り」もそのような意味での「国境を破る」犯罪活動の一種として理解することができる。
ところが,その日本語としての「越境犯罪活動」が特定の外国法令の訳文の一部であるときは,「どちらにも読める」では全くダメであり,どちら一方に完全に識別できる訳文でなければ,明白に誤訳となる。
例えば,「transnational criminal activities」を「国境を越える犯罪活動」と訳すことは許容範囲内にあるが,「越境犯罪活動」と訳すことは禁忌である。
ただし,現時点では,私は,「transnational」を「cross-border」ではない場合を含む概念であると理解した上で,「複数国にわたる」と訳すようにしている。
例えば,相互に特に連絡・連携があるわけではなく,組織犯罪の一種だとは認め難いいけれども,多国で発生した出来事に刺激を受けてほぼ同時多発的であり,主観的にはそれぞれが「同志」または「有志」だと思っている複数の片面的共犯のような犯罪行為の集合体の場合,一度も国境を越えることなく,同一の目的を実現するための世界規模の犯罪活動が存在していることになる。
同様のことは,犯罪行為に該当しない様々な社会活動や文化現象でも見られる。
要するに,このような場合において,特に外国法令または外国判例の翻訳文において,「国境を越える」とするか「越境」とするかは,趣味・嗜好または学問の自由・表現の自由の範疇にある問題ではない。
それゆえ,企業やシンクタンク等が作成する各種文書においても,日本語の訳語として「越境」を使用することは推奨しない。個々の原文の文脈と背景事情に即して,最も明確かつ適切な(semanticsとしての)識別力をもつ日本語の語彙を探求し続けるべきである。
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