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2023年8月30日 (水曜日)

公正さ

判事補に任官すると研修がある。

教官からは「公正でなければならないし,公正ではないと疑われてもいけない」と教わった。

(神と同じような意味で)完璧な存在であるはずのない普通の人間に対する要求としては無理な要求だと思うのだが,一般的な理念としてはそのとおりだと思った。

あくまでも一般論として,このことは,個々の裁判官だけではなく,(最高裁事務総局を含め)裁判所という組織についても妥当する。

公正でなければならないし,公正ではないと疑われてもならない。

それゆえ,一般国民の一般的な言動について,個々の裁判官から(事件処理とは無関係に)あれこれ非難することは当然許されないことだし,(最高裁の事務総局を含め)裁判所からあれこれ非難することは絶対に許されない。

それは,日本国憲法に違反する行為となり得る。

そして,それは,裁判所及び裁判官の憲法上の特別の地位に起因するものだ。

これらの諸点はさておき,司法修習生のころ,三宅正太郎『裁判の書』を読むように勧められ,その初版を読んだ。美麗装丁書だと思う。

一度読んだだけでほぼ全部暗記している。内容的には抜群の良書だと評価しており,現在でも優れた学生だと評価した若者には一読を勧めている。

この『裁判の書』に書かれていることを正確に理解した場合,当然のことなのだが,判事たるもの,何があっても超然たる姿勢を維持すべきであり,国民の個々の言動が面白くなくても一切干渉してはならないという当たり前のことが裁判所の当然の倫理基準になっているということを会得することができる。

さて,あくまでも一般論なのだが,特定の裁判官の著作に対する学問の自由及び表現の自由に基づく批判的な評論が存在するという場面を想定した場合において,その裁判官が事務局を恣意的に支配して,当該批判を封じようとした場合,どういうことになるのだろうか?

権力をもたない一般人の学問の自由と表現の自由は最大限に尊重しなければならない。特に高い公的地位にある者や強大な権力をもつ者に対する批判や非難を含む学問の自由と表現の自由は尊重されなければならない。
尊重されなくなると,どこかの独裁国と同じになる。

私自身は,判事補のときに多数の論文を書いた。全て倉田卓次氏のおかげで世間に公表できたと思っている。

一般に世間では倉田卓次氏のライバルだと勝手に評価された中野貞一郎氏からも非常に多くのことを学んだ。

中野貞一郎氏は,当時,未来を先取りするとんでもなく優れた論文を多数公表しており,それらの論文を徹底的に読み,理解しようと努力したからこそ現在の私がある。

そして,両名とも,学術の自由と表現の自由を最大限に尊重し,そのように実践したという意味で希代の傑物だと思っている。

「素晴らしい!」としか表現のしようがない。

日本国は,昭和の時代に倉田卓次氏と中野貞一郎氏が存在したことを誇りとすべきだと思う。

 

 

 

 

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