昆虫食拒絶騒動
いろいろと報道されている。
日本国においては,古くから,伝統的に,イナゴの佃煮を食べてきた。イナゴの佃煮を食する地域はかなり広い。
イナゴの佃煮は,エビの佃煮とほとんど同じ食感・風味・栄養のものと言ってよい。要するに,佃煮の一種だ。
農薬を使っている田圃で採取されたイナゴの場合には残留農薬の問題はあるが,養殖のエビではもっと汚染されているし,普通の海洋の汚染も無視して良いレベルだとは到底言えないので,個別の事象だけとらえて評論するのは間違っている。
ちなみに,イナゴの仲間とコオロギの仲間が同じバッタの仲間の昆虫の一種であることは言うまでもない。
地球全体の全生物と全生態系を念頭に置いて議論すべきことだと思う。
このような類のことを考える場合,本来は各人の自由であるべき主観的感情や個人的嗜好に過ぎないものをあたかも正義であるかのごとく他人に押し付けるような演繹法的な非難の類に終始するのではなく,逆に,全ての生物種を念頭に置き,網羅的な素材検討を踏まえた帰納法的思考に基づく論理抽出が必須だと思っている。
見た目の問題だけで言えば,昆虫の外見を嫌悪するかどうかは各人の自由なのだが,普通に食べている甲殻類の生きた姿を知れば卒倒してしまうことがあり得るのにそうならないとすれば,それも無知の一種であり得るのではないかと思う。
そもそも表層的な外見だけでものごとを判断することそれ自体が間違っている。
例えば,「とても綺麗な花を咲かせる植物には刺があったり毒があったりすることがある」ということも知るべきだと思う。
他方において,非常に多彩なタイプが存在する仮面ライダーの顔を不気味または怖いと感ずる人がいるかもしれないが,昆虫の顔面をモデルにしたと言われている頭部をもつ仮面ライダーのファンやマニアは全国にかなり多数存在する。
好みの問題は,各人の完全な自由の領域に属する。
なお,イナゴの佃煮を食べること含め,昆虫食を嫌悪することは,差別やいじめに直結することなので,禁忌と考えるべきだろう。
また,イナゴの佃煮の存在を知らない場合,そのことが,単なる無知・無教養の一種であるか,または,知性の貧困・食経験の貧困の一種であり得ることは,全く疑いのないところである。
例えば,貧困や差別的偏見のために多種多様な食を経験することができず,非常に偏った意見しか形成できないことは遺憾なことではある。
ただし,今後,日本国全体の貧困が進むと,そのような食経験の乏しさに起因する偏見や差別が助長される危険性はあり得る。
衣食足りて礼節を知る。
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日本国において古くから利用されてきた昆虫食は,イナゴ佃煮だけではない。
例えば,蜂の子(スズメバチの幼虫)は美味とされており,熱狂的な愛好家がおり,観光土産品として缶詰などが売られてきた。
テキーラの中には瓶底に芋虫が沈められている種類のものがある。サボテンの仲間を食する昆虫の幼虫とのことで,珍味として知られている。
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