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2022年7月19日 (火曜日)

フルトヴェングラーとエドウィン・フィッシャーの「皇帝」

生前整理のために日常のかなりの労力を割いている。

だいぶ片付いていきたのだが,まだまだだ。自分の未練のような気持ちを消滅させないと捨てられないものが多すぎる。

生前整理とは心の整理でもあるのだが,これが一番難しい。

なにしろ,私は聖人でも哲人でもない,単なる凡人の一員に過ぎない。

しかし,思案していても仕方ないので,とにかく仕分け作業をしている間に,古いLPやらCDやらも仕分けすることになった。息子の意見によりLPは全て保存することになったがCDが難しい・・・現在ではネットでダウンロード視聴できるコンテンツが大半を占めている。

やっている間に,かつて東芝EMIからLPで出ていたものをノイズ処理した上でそのままCD化したものを見つけた。自分で買ったものであることは間違いないのだが,忘れていた(笑)

早速聴いてみた。

素晴らしい!

無論,個性または趣味嗜好の問題なので,好き嫌いはあると思う。

しかし,好き嫌いを全く度外視して,「このような演奏は二度と再現できない!」という点に異論のある人はほとんどないだろうと思う。

 

 

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コメント

匿名希望さん

コメントありがとうございます。

名曲かどうかは各人の嗜好の問題でもあるので,客観的に評価・判定できませんね。

ただし,誰かが,何のヒントもなしに,同じ曲を作曲できるかと問われれば,「それは無理!」と断言できます。

だから,ベートーヴェンは天才なんですよ。

他方,「皇帝」を模倣することはできます。

バーンスタインの「ウェストサイド物語」の音楽を聴いているとすぐにわかります。

そもそも,このミュージカルの台本それ自体がシェークスピアの「ロミオとジュリエット」そのものの翻案であり,その「ロミオとジュリエット」もまた・・・という関係になっているので,「まあ何と申しましょうか・・・」という感じになります。

こういうことが素直にわかるようになるためには,膨大な知識の蓄積が必須です。しかし,知識の蓄積だけでは解決できない深刻な要素もあるので,ご指摘のとおり,なかなか面倒な世界ではあります。

投稿: 夏井高人 | 2022年8月 4日 (木曜日) 19時27分

夏井高人様

レコードの良さを共有できる父子関係が持てるというのはとても素晴らしいことと思います。

私は(明確に)音痴です。
たださすがにいい演奏、野心的な解釈があることは理解できます。

そして文化というのは蓄積だなということぐらいは、自分の足りない経験からしてもわかります。

『皇帝』は音痴な私にとってあまり優れた点がわからない楽曲の一つでした。ただ(ストリーミングを介してですが)、聞いてみると良さの一部がわかりました。

あとまた冗談めかしてであっても、自ら着想したアイデアとそれにつきまとう違和感が大事であったことも、今では半分ほどの納得感をもって迫ってくれます。

いまは書かれていない記述も、そのうちに革新的(左派的なという意味ではなく)解釈者によって、さらになされるだろうと思っています。

投稿: 匿名希望 | 2022年7月27日 (水曜日) 15時58分

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