死刑制度の議論?
私自身は,存置論者。実効的な応報刑が存在しなければ,社会が崩壊する。
最近になって廃止論を含む微妙な議論が起きている。
これは,露の武力侵攻(帝国主義的な侵略戦争)に対するウクライナの正当防衛としての抵抗行為(当然の結果として殺人行為を含む戦闘行為)を国家主権に基づく正当防衛行為(適法行為)としての位置づけで考えることを防止するための,姑息な工作行為の一種である可能性がある。少なくとも,そのような政治的効果または心理的効果をもっている。
殺人行為だけではなく,ウクライナ軍は,自国領土内にある露軍の燃料等の集積場所を攻撃し,自国領土内で破壊している。正当行為だ。これに対し,露軍は,ロシア領土内から長距離飛行可能なミサイルによってウクライナ領土内の燃料基地等のインフラを破壊し続けている。これは,単純に侵略行為の一部としての破壊行為だ。この場合,保護法益は異なるけれども,法的論理の基本構造は同じだ。そのような基本構造の相違から目を逸らせるという意図をもつ工作行為の一種でもあり得る。少なくとも,そのような政治的効果または心理的効果をもっている。
私は,SNSを使用していないので,キャンセリスト(キャンセルカルチャーの実行者または信奉者)ではない。言論の自由の一部として私見を述べている。
私見が正しい。
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素人的な感情論で意見を述べている有名人等が存在する。
しかし,専門職の仕事に関して,素人感覚でものごとを考え,評価することには感心しないことが少なくない。
人々の中には血を見ただけで卒倒してしまう人が存在する。しかし,それでは外科医にはなれない。血を見て卒倒する人は外科医の適性がないのだ。
人々の中には凶悪そうな顔を見ただけで知りごみしてしまう人が存在する。しかし,それでは警察官にはなれない。しりごみする人は警察官の適性がないのだ。
人々の中には死刑制度に賛成できずに悩む人が存在する。しかし,それでは刑法と刑事訴訟法に基づいて死刑の判決を宣告できない。死刑制度に賛成できずに悩む人は裁判官の適性がないのだ。
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