現代社会では古典的な奇襲戦や電撃戦の成功確率が低下する
第二次世界大戦において,フランス征服をめざすナチスの電撃戦は一応成功し,傀儡政権を樹立した。しかし,英国征服はできなかったし,全体としてみればゲリラ戦的なパルチザン(レジスタンス)により,徐々に戦闘力を喪失し,対露戦における電撃戦の失敗と消耗により軍事的には敗北に至ったと理解できる。当時のナチスの電車軍は世界最高だったかもしれないが,チープな陸上攻撃機から発射されるチープなロケット弾には弱かった。しかも,日本軍と同じように,電子信管の存在を知らなかったのが致命的だと言える。開戦初期にこれらの武器をフランス軍または英軍が大量に保有していたとしたら,ナチスの電撃戦それ自体が成立しなかったと思われる。
現代戦で言えば,露軍の戦車軍は世界最高かもしれないが,チープなドローンや歩兵が肩に掲げたランチャーから発射されるチープな小型ミサイルには弱かったということも,基本的には同じだということが言えるかもしれない。
日本軍は,真珠湾において電撃戦に成功したということになっているが,現実には,主要な攻撃目標だった空母部隊を発見・破壊できなかったので,失敗だったし,ミッドウェーでは同じことをやろうとして海軍の主力を失うという大失敗を招く原因をつくってしまっているので,愚策の標本と言える。政治的にも,敗戦後(そして今後もずっと)大日本帝国が「悪であった」ということを表示するためのシンボルとして使用され続けているので,歴史に残る愚策であったと言える。それでも日本軍の航空機部隊は優秀だったかもしれないが,米軍の電子信管の存在を知らないままレイテ沖海戦に入り,ほぼ全滅した。
一般論として,大日本帝国は,当時の列強の侵略に対する正当防衛の範囲を超えて実効支配の範囲を拡大してしまったので,歴史学の観点において「悪であった」と評価されることは,やむを得ないことだと思う。
一般に,敵国からの侵攻に対する正当防衛としての戦闘には正義がある。日本国は,憲法第9条において国際紛争のための戦闘を放棄しているが,国家としての正当防衛の権利は微塵も放棄していない。主権国家としての正当防衛の権利まで放棄しているかの如く宣伝しているのは,特定の政治的傾向性をもった憲法学者や政治学者や評論家だけだ。
しかし,全く正義のない戦争というものは,「悪」であり,後々まで国民を苦しめることになるのだ。その指導者は,戦争犯罪人として処刑されることになる。
大半の日本人は,そのことを理解しているし,歴史的な事実として,仕方のないことだと納得していると思う。「パールハーバー」を引き合いに出されても,「事実なので仕方がない」と感じることができる。
しかしながら,現代に生きる日本人は,当時の日本人とは関係がない。
日本国は,歴史上のいかなる国よりも多くの戦時賠償を既に完全に支払った歴史上極めてまれにみる真面目な国家だ。だからこそ,現在におけるような国際的な信頼を回復できている。
第二次世界大戦当時の日本人と現代の日本人とを同じものだとして批判・非難の象徴的な道具に使用するのは,某仮想敵国の工作員または手先なのだと理解すると,かなり多数の事柄を説明可能であり,非常にわかりやすい。
そのような仮想敵国の謀略の道具・手先になっている人々は,いずれ情勢に変化があれば,証拠隠滅のために消されることになる。
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電撃戦が成功したと言えるためには幾つかの条件がある。
例えば,戦術または作戦としての電撃戦が敢行された後,戦略として何百年かにわたり支配を続け,「昔からそのような国であった」かの如き統治状態を固定させるということもその条件の1つだ。
だからこそ,ヒトラーもスターリンもそのようにした。プーチンもそのようにしようとした。
しかし,ヒトラーは自国を滅ぼして自殺した。
スターリンは74歳まで生き延びたが,死因が極めて不自然であるため暗殺説がある。
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奇襲攻撃は,講談の素材としては非常に面白い。
それゆえ,日本では,例えば,源義経や新田義貞の例がしばしば演題となる。
しかし,個々の事例は個々の事例に過ぎないのであり,現実の長期間にわたる統治の構造それ自体とは異なる。実際の歴史がその後どうなったのかを知れば,簡単にそのことを理解できる。
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