お祝いをしたいのだが・・・
このところ,ひどい睡魔に襲われる日が増え,やむを得ず昼寝をするようになった。加齢による衰弱と思われる。
特に顕著な疾患があるわけではない。感染症の可能性もない。しかし,全身状態の判断としては,明らかに衰弱している。もうそんなに長くは生きられないのだろうと既に覚悟は決めている。
そのように覚悟を決めた上で,(いつお迎えがきても)恥ずかしくないように,勉強と研究にはベストを尽くしているのだが,そのために費やすことのできる(知能及び体力を良好に保ち,集中力を維持できる)時間は,1日に概ね3時間~5時間程度がせいぜいとなっている。
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ところで,だいぶ前になるが,司法試験受験を希望する学生に対し,大学の授業として,特別のゼミ(演習)を提供したことがある。その際,受講生に対しては,「合格したら連絡するように。ごちそうしてやる」と話すようにした。
実際,そのように連絡を受けてごちそうした元受講生が複数存在する。良い学生に恵まれたものだと天に感謝する。
卒業後,何年も連絡のない学生もあったが,何年か経た後,ときどき連絡を受けることがある。
何年経っても,連絡がつけば,会ってお祝いをしてきた。
その資金は,理論上も実務上も倫理上も(研究費等の)公費から支出できない性質のものなので,常に私費(個人所得)の一部を割いてきた。そのようにして私費を支出することは,公益にもかなうことだと理解している。
ところが,この数年,私自身が体力的に限界を過ぎてしまっており,しかも,このコロナによるパンデミックが追い打ちをかけているため,お祝いにごちそうしたいと思ってもできなくなってしまった。
年数がかかっても目的を達成した学生には特にお祝いをしてやりたいところなのだけれども,そのような事情の下で無理だと判断したので,お祝いのメールを返信するだけとなってしまった。
もし何年か経って,現在の状況下にある全ての問題が根本的に解決し,私自身が精神的・体力的に回復できたら,もしそれが可能な状態であれば,こちらから連絡して,それらの元受講生に対してお祝いのごちそうをしたいと思っている。
そのような日が来ることを夢見てこれからの日々を送ることにする。
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このように体力に問題が生じているけれども,電子技術の発展により,オンラインで講義を実施することが可能となっているため,電子的な板書を基礎とする講義を実施している。
真面目に受講し,通常の法学の教科書の何倍もの分量の電子板書と参考文献を読みこなし,理解した受講生は,上位の成績を獲得している。
ゼミだけは,できれば直接に会って実施したいところなのだが,同じ事情のために困難があるので,やはりオンラインを基本とせざるを得ない。
受講希望者には事前に連絡できるような手順を尽くしている。
それに応じて,電子メールにより連絡のやりとりをした上で,既に事前の勉強をかなり深いレベルまで進めている(2022年4月からの)ゼミ生予定者もあるようだ。心強い。もともと授業時間だけで私と同じレベルを達成することなど絶対に不可能なことなので,自力による努力の蓄積を高度に求められる。そのことは,私の過去の業績をちょっとでも読めば,誰でも容易に理解できることだろう。
連絡のつかない受講予定者もある。それなりに対応するしかない。自分の人生のチャンスは,自力で獲得し続けなければならないというのに,ちょっと不安が残るが,各人の個性の問題なので,それに合わせて授業を設計するしかない。
しかし,私は,講義においてもゼミにおいても,「自分の実力を自分自身の努力の継続によって高め続けるのでなければ,自分自身の生存確率を維持・向上させることなどできない」と常に述べている。
とはいえ,受講生がそれをどのように受け止めるかは各人の自由だ。
強要はできない。
そこに大学教育というものの本質的な限界がある。
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