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2021年10月20日 (水曜日)

AIによる行動分析

社会において最初から推定可能な属性をもつあるまとまりのある一定のグループに対して既知の判断基準を自動的に適用して推論的結果を出力させることは可能と思われる。

しかし,その推定可能な属性をもつまとまりのある一定のグループが均質であるという保証は常に存在せず,むしろ均質ではない可能性の方が高く,しかも,人間は「学習する動物」なので被評価耐性または被評価能力を次第に獲得し,当該システムが想定するものとは異なる属性を身につけ,または,システムの騙し方が巧妙になることから,そのような推論的な結果が常に正しいという保証は常に成立しない。

それに対して,そのようなシステムを構築する開発者の多くは,人間というものの本質をとことん考え抜く経験をもたない者であることが圧倒的に多く(=もしそのようなことを徹底的に考え抜くとすれば,途中で,人工知能システムの開発に関与することを放棄するのが正常な精神状態というものであろう。),それゆえに,開発者が想定可能な仮説は,常にチープである。チープな仮説しか想定していないシステムは,チープな結果しか出力できない。

また,評価のために必要なデータ項目が評価のために適切なものであるかどうかの検証は極めて難しく,理論的には検証できない。なぜなら,評価対象である人間が常に変化しているからである。ある時点において低い収入しかない者が,次の瞬間には大富豪になっていることがあり(=宝籤の1等に当選する場合を含め,普通に電子的なデータとして収集可能可能なデータとは無関係な原因,特に電子データ化されていない偶然の現象によって状況に変化が発生し,その結果本当は増加した資産を電子的に調査することが不可能な状態で保有しているような場合だけではなく,世間には様々な態様の事例が無数に存在し得る。),また,その逆もあり得る(=真実は破産状態にあるのに粉飾決算している企業はいくらでもある。)。それゆえ,それぞれの業界における経験的な評価基準というものはそもそもかなり危ういものだということを自覚すべきで,それを自覚する能力のない頑迷かつ不明な担当者は,かなり無能または有害と断定して良いと思われる。

仮に当該担当者が優秀だとしても,当該グループの中では相対的に優秀というだけのことであり,絶対値として,社会の中の最優秀グループに属しているかどうかに関しては全く保証がない。無論,天才である可能性はほぼゼロと推定して良い。

平均的な能力しかない開発者が開発したシステムは,平均的な人間の発想しか反映していないので,優秀な人間や天才の発想や行動を予測することはできない。「小は大を兼ねない」。

その程度のものだということを理解すべきだ。簡単に言えば,かなり大きな限界があることを明確に認識し,過信しないことが大事だし,まして,「虎の威」のように振り回す愚行は避けるべきだと思う。

それゆえ,EUにおいては,プロファイリングのための自動判定の結果に懐疑的なのだろうと思う。一般に,EUの立法に関与している人々の相対的能力が,日本における場合と比較して,勝負にならないくらい高いということも理解すべきだと思う。

それゆえ,なぜEUの立法者がそのようなことにこだわり続けているのかを日本国内において鮮明に理解できる人も少ない。

へたにその関連のことを口走ると,「上から目線」等々と全く意味不明な単なる誹謗中傷(不法行為)に過ぎない攻撃を受けやすく,言論の自由や学問研究の自由が破壊される結果となることが多いということが当然に予測可能なので,「沈黙は金」となる。

無論,日本国の国力を著しく低下させ,侵略または抹殺しやすくするための工作員による言論攻撃のようなものも含まれている可能性を完全に否定することもできない。

とことん情けない国だと思う。

 

 

 

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