審査
一般に,審査する立場の人間は,完璧でなければならない。
無論,私自身は,凡人の一員であり,無論,完璧ではないので,可能な限り審査する立場には立たないようにしている。
どのように自分に有利に評価してみても,そのような(絶対値としての)完璧さなどない。
しかし,諸般の事情により,やむを得ず,相対的優位という理由だけで審査の立場にたつことがある。そして,判定する。
それがどういう意味があるのか,自分でもよくわからない。
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あくまでも一般論としては,とんでもなく超越した絶対値をもつ者でない限り,本来は審査の立場に立ってはならないのだと思っている。
普通は,そのような完璧な者など存在するはずがなく,仮に存在するとしても,世界中探してもせいぜい1人か2人くらいしかいないだろうと思う。
しかし,現実は異なる。
古代の等級で言えば,「下の下の下」程度の人間がその職務に従事している例がいくらでもある・・・というよりもそれが普通になっている。
せめて,「下の中」または「中の下」であってほしいと思うのだが,これまでそのような実例と出逢ったことが(容易に)数えられるくらいのごく少数しかない。
ここでいう「下の下の下」とは,古代における九品中正制の意味における「下の下の下」を指しており,現代日本語における「下の下」等の語とは全く関係がない。
社会というものは,どの時代においてもそういうものなので,諦念が全てとなる。
あくまでも一般論なのだが,「下の下の下」の者を審査の立場に置いている組織が将来どうなるかをシミュレーションみてみることは,ときどきある。
例えば,特に,何もわからないどうにもこうにもダメな者がそのような重要な立場にたたざるを得ない状況となっているような組織の場合,たぶん,組織それ自体が長くもたない。人材が払底しているのだ。
そのような場合,当該組織の現在の従業者の中で転職可能性のある者は,可及的速やかに逃げ出した方が無難なのだろうと思う。
「最も重要な顧客ほど本質と現象形態とが相反している可能性があり得る」という誰でも知っている当たり前のことを知らない凡人未満の者しか所属していない組織は,早晩消え去る。
しかし,このことは,逆に,当該組織の実力を見定め,判定するためには,どこに着目すれば良いかの判断基準を与えるものでもあり得る。
ガラクタ同然の自動判定システムを売り込むために絞るべきターゲットは,そのような愚かな組織だ。そのようなシステムの売り込みは,きっと成功する。なぜなら,そのようなカモ組織は,組織自身で正しく判断する能力をもたないからだ。
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