ドヴォルザーク:スターバト・マーテル
ずっと仕事を続けていて目がかすんできたので,中止し,明日に回すことにした。
残念なことだが,加齢による劣化には勝てない。
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ヘルムート・リリングの指揮によるオレゴン・バッハ祝祭室内合唱団及びオレゴン・バッハ祝祭室内管弦楽団による1995年の演奏を録音したCD(98-006)。
同曲の別のCDももっており,多数の名演が存在することは知っているのだが,リリングの演奏にはとりわけ感銘を受ける。名演中の名演の1つと言える。
この曲は,幼い子をたて続けに亡くしてしまったドヴォルザークの悲しみがこめられているのだという。終曲の「アーメン」の繰り返しがそのことを示している。
ドヴォルザークは,非常に頭が良かったのだろうと想像している。頭の良い人は,その能力を活用してどんどん勉強する。それゆえに,当時既に前衛の時代に入っていた音楽の作風と土着的な音楽の間で行き来する時代があった。そのような揺れ動く作風はスメタナの作品の中にも見られる。不安の時代だったのかもしれない。
ドヴォルザークのスターバト・マーテルの前後で比較してみると,明らかに,ドヴォルザークは自分の生き方を明確化している。私生活における不幸を乗り越え,後世に残る傑作を次々と生み出すようになる。
その分岐点となるスターバト・マーテルは,全体としてとても美しい楽曲だ。信じがたいほどに美しい。第1曲は,完全に前衛なのに当時のまことにオーソドックスな手法による作品のように聴こえる。とても不思議だ。
私は,ドヴォルザークを天才の一員だと理解している。
ドヴォルザークの心と手から生み出された音は,単に伝統的な音楽の転用や模倣だけでは成立し得ないものだ。
一般に,天才は,必ずしも幸福な人生を送っているわけではない。順風満帆だったかのように誤解されているセバスチャン・バッハでさえ,現代の普通の人には想像できないような疾風怒濤の如き青年期を送っているし,また,家族を食わせるために常に(生きるための)苦労を重ねていた。ただし,私の誕生日がセバスチャン・バッハと同じ月と日であるため,ある種の思い入れ(バイアス)のある感想であるかもしれない。
天才の人生とはそういうものなのかもしれない。
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