就職活動
私は,普通に理解されているような意味での就職活動をしたことがないので,本当は,普通に理解されているような意味での就職活動と関連するアドバイスを行う能力がないことを自覚している。それを自覚した上で,過去の受講学生等との関係の中で得た経験や知見,あるいは,様々な官庁や企業等の関係者との交際を通じて得た経験や知見を通じて私なりに理解したところに基づき,求められればアドバイスするようにしている。
ただし,基本的な部分ができていない学生の場合,形式的な手法を暗記することで精いっぱいであり,その本質部分を理解し,困難を乗り越えるために必要な基礎力を蓄積・養成・向上させることに思考の方向を転換できない(=できるだけ努力しないで結果を達成しようとする)かもしれないので,なかなか難しい。相手の個性や考え方を可能な限り尊重し,丁寧に言葉を選びながらアドバイスしているつもりなのだが,それが通じているかどうかもわからない。
私自身は,人生の中で2回だけ就職面接を受けたことがある。1回目は裁判官としての任官の時であり,2回目は大学教授に転職する時だった。
任官のための面接の際には,(もう時効だと思うので明かすことにするが)その当時の最高裁判事や事務総局の関係者の経歴等を(官報や公式判例集及び新聞記事等の公開情報によって知り得る範囲内で)全て完全に調べ,その顔写真を全部暗記した上で面接に臨んだので,面接担当者の中の多くが誰であり,どのような考え方をもちそうな人であるかを即座に判断することができたが,私が識別できない面接担当者も含まれていたので,やはり緊張した。予め想定問答のようなものを考えても無駄だということを最初から明確に認識しており,何を質問されたとしても私の地のままで勝負し,それでダメなら諦めると決めていたので,そのようにした。結果として,採用になった。
大学教授に転職する際の面接担当の教授は,いずれも数学と論理の分野において優れた能力をもつ人だった。それゆえ,不安なく,自由に自分の考えを述べ,結果的として,採用されることになった。もし数学と論理に強い人が面接担当者でなければ,別の結果もあり得たかもしれないと思う。その分だけ運が良かったのだと思っている。
あくまでも一般論として,私が理解しているところでは,ほぼ全ての採用面接は,採用募集側の要求仕様と応募者が提供できる能力の具体的な仕様とのマッチングであり,かつ,応募者が提供できる能力が現実にそのようなものであることの証明過程に尽きると思っている。
採用側においてそれ以外の要素を考慮するかどうかは,職業の属性による。例えば,特に機密性の高い職業においては,クリアランス(身辺調査等)が必須となる。このことは常識に属する。
また,最近では,評判を重視する企業においては,クリアランスの一種として,応募者の(SNS等における)日頃の言動等を調査することもあるようだ。迂闊な言動またはTPOをわきまえない言動によって当該企業の評判が下がるリスクを事前にブロックするという趣旨だろう。公開のSNS上の言動である限り,その空間に存在する言動を調査し,評価することは当該企業の自由に属する。ある意味で,マーケティングの一種として理解することも可能だろう。
このように理解しており,細かな点は別として,本質部分で間違ってはいないだろうと考えているので,1年生及び2年生に対しては,とにかく基礎力を身につけ,実力を高めることが大事だということを強調し,更に具体的なアドバイスを個別に行っている。そのような個別のアドバイスをするためには(受講者数により)2~3日くらいを全部そのために使うことになり,毎日仕事ばかりしているような状況となってしまうのだけれども,(個別対応できるという)オンライン講義の利点を最大限活用しないという手はないので,活用している。なお,私は,(例えば,Zoomのような)映像機能と音声機能をもち,それらを記録・送信する機能のあるソリューションは極めて人権侵害的であり,情報セキュリティ上の問題もあると判断し,全く使用していない。文字だけの旧来の電子掲示板的なシステム+電子メール的な附属機能を用いた授業を実施している。前年度のコンテンツをそのまま使いまわすと,必ず,前年度のコンテンツを濫用または盗用する者が出てくるので,毎回,必須の部分は校訂した上で,事例紹介等の部分は常に見直しをし,最新の内容に改め,全体として全く新しいコンテンツをつくり直している。しんどいけれども,オンライン授業においてこのような(高齢者である私なりに精一杯の)準備を尽くした上で授業に臨まなければ,オンライン授業の弊害ばかりが発生し,利点を活かせなくなってしまうので,そのようにしている。これは,大学教授としての,必須の義務の一部だとも考えている。
そのようにしているので,前年度またはそれ以前のコンテンツの違法複製物をどこかから入手し,それを頼りに成績評価のために求められる文書を予め作成している学生や授業を受けたフリをしている学生を直ちに見抜くことができる。私は,過去のコンテンツの特徴を全て暗記しており,現在のコンテンツにおいても(次年度のために)特徴を暗記しやすくする特殊な工夫を重ね,手法を改善し続けている。
そのような違法複製物に頼る学生は,(特に著作権法との関係において)犯罪者予備軍ともなり得ることから,問題のある学生に関しては,複数回にわたり警告またはアドバイスをし,それでも改善がみられないときは,何ら躊躇することなく「F」の評価をすることができる。
しかし,少数とはいえ,たかをくくっている受講生は存在するようだ。
私が(わかっていても温情により)単位を与えたとしても,きっと,社会に出てから後悔するようなことになるのではないかと想像する。そうならないように,自分自身で気づき,自分自身を改良する方向で人生の歩き方を修正してもらいたいものだと切に願っている。
人間は,学習により変化する動物だ。
ある特定の時点における評価を固定的に持続させることは悪だ。
大概の場合において,数年経過したら,過去の評価など何の価値もなくなってしまうものであり,それでもなお過去の評価結果を維持することは,むしろ社会の中における偏見と差別を助長するだけのものだということを明確に認識し,常に,最初から全部評価し直すことが大事だと思っているし,そのように日々実践している。
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