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2021年9月17日 (金曜日)

ドビュッシー:パスピエ(Passepied)

非常に有名な「ベルガマスク組曲」の第4曲。様々な意見もあるが,この曲は,楽曲構成それ自体としては伝統的な舞曲であるパスピエともパヴァーヌとも関係なく,要するに,そのような伝統的な舞曲を楽しむ人々の心や気持ちのような印象を音として表現してみせた楽曲なのではないかと思う。あるいは,「パスピエ」という語からドビュッシーが連想したイメージを自由に音として表現してみせたものではないかと思う。それゆえ,この曲が何拍子で書かれているか云々といったような(音楽史的な観点を重視する)楽曲分析はほぼ無意味だろうと思う。

何となユーモラスな素朴な曲であり,ドビュッシーのピアノ作品の中でも私の大好きな曲の一つ。有名なアラベスク第1番や「ベルガマスク組曲」の第3曲「月の光」,あるいは,前奏曲集第1巻の第8曲「亜麻色の髪の乙女」のような,いつ聴いても何ともうっとりとした雰囲気が漂う曲目もとても素晴らしい傑作なのだが,個人的には「パスピエ」を好んでしまうのは,私の感性が本当はそのようなものだからなのだろうと想像する。ここでいう「humorous」は,「滑稽」もしくは「ひょうきん」またはそれに類するニュアンスを含まない。かすかな悲哀,過去への想い,微妙な風刺と皮肉,それと重ね合わされた隠れた自尊心の発露のような(わかる人にしかわからない)複雑な心理状況を何らかの作品の中で具現化するという高度に人間的な状態のことを意味する。

ちょっと面倒な法令を精読・理解し,翻訳をしている間に疲れたので,モニク・アースの演奏によるCD(WPCS-10990/1,WPCS-10992/3)を聴いた。どの曲に関しても,素晴らしい演奏だと思う。

ちなみに,1つ目のCD(WPCS-10992/1)の冒頭には「ボヘミア風舞曲」という曲の演奏が収録されている。何となく,ドヴォルザークのピアノ曲を連想してしまうような曲なのだが,この曲を聴いていると,「この程度の曲なら即興でいくらでも弾いてみせるさ」というドビュッシーの「どや顔」のようなものをイメージしてしまう(笑)

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目下格闘中の法令の翻訳は,既に存在しているはずだ。探せば見つかるだろうと思う。

しかし,探さないことにした。

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過去何年にもわたる経験により,これまでの関連翻訳物には重大な欠陥が多数含まれていることが次第にわかってきたからだ。それは,誤訳という意味の欠陥ではない。当該法域の法令のほぼ網羅的な理解を基礎とする全体的理解(法システムの機能論的理解及び構造的把握)に基づかない「一貫性の欠如」に起因するものだ。

それゆえ,既存の訳文には頼ることなく,自分が信ずるところに従い,精読と理解を重ねようと思っている。

そうしなければ,かなり致命的な誤りを犯してしまう危険性があるということを明確に認識しつつある。

いわゆる通説を含め,過去の関連学説は,要するに,過去の誰かの思考結果を符号化した文の一種に過ぎないので,先人の努力には最大限の敬意を表しつつ,自力で格闘し続けるのでなければ,学問が少しも深まらない。

とはいえ,これまでの研究の過程において,読むべき関連文献は全部読み,理解した。しかし,これまでのところ,完全に脱帽せざるを得ないような(パルナッソスの山上に坐すようなレベルの)超越的に優れた学問業績とはただの1回も出逢っていない。そのことも,そのような覚悟を決めた一因としてある。

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