城里町におけるワクチン接種
城里町の町長らがワクチン接種を受けたことについて,批判があるようだ。
私は,別に問題はないと考える。一体どこがどのように悪いのかわからない。
組織の判断決定機関が倒れてしまったのでは,(個々の町職員のレベルで町全体にかかわる意思決定をすることなど許されることではないので)町役場として機能しなくなる危険性がある。そうなると,町として町民に対して様々な対応策を講ずることもできなくなる。
組織のトップと参謀は最優先で守られなければならない。
そこから先は,各首長の世界観の問題があるので,(もし自分が倒れたらどうすべきかを明確かつ詳細に決定した上で)自分以外の者を優先することがあっても,それもまた特に問題とすべきではないと考える。組織トップの裁量権の範囲内のことだ。
それゆえ,上記の批判があることは理解できないわけではないけれども,別に問題はないと考える。
町長は,「正しい判断だ」と信念を貫けばよい。わからない人にはいくら説明してもわからない。説明しているだけ時間の無駄なので,コロナ対策のために誠心誠意執務を尽くしてほしい。
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あくまでも一般論としては,マスコミとしては,文字通りステレオタイプの発想しかできないような無能なスタッフやキャスター等がいたら,重要な仕事から外し,それに代えて,複眼的で合理的な利益衡量を即時に実行できるレベルの優秀なスタッフやキャスター等を採用すべきだと思う。そうしないと,マスコミの報道内容が硬直化し,破綻し,自滅することになる。
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私自身は,ワクチンが万能ではなく変異型に対してはあまり有効ではないかもしれないと考えているし,また,ワクチンの有効性の有無・程度は各人の生来の遺伝子組成の相違によって大きな差があると考えていることもあるが,仮に十分な有効性をもつものであるとしても,ワクチンを受けたいと思っている人々が多数あり,全員に行き渡るだけの十分なストックがあるわけでもないという現状に鑑み,(国が定めた枠組みの範囲内において)ワクチン接種を強く希望する人に対して譲る方が妥当だと考え,ワクチンの接種を受けていない。
自分が「老人になってしまった」と感じたら,学者としても教員としても指導的な立場から完全に退き,後進が自分の考えたとおりに思う存分活躍できるようにすべきだと考えてきた。そのため,大学においても,時間をかけてそのための準備をしてきたし,いつ私がいなくなっても業務に支障が出ないように手配してある。
だから,仮にワクチンを受けなかったということに起因して私が倒れることがあったとしても,それは想定の範囲内ということになる。
私は,「自分だけは例外」とは全く思わない。
人間は,生物の一種である以上,いつか必ず死ぬので,自分が死ぬ日のことを常に想定ながら生き続けるべきだと信じている。そのように自分の死を想定しはじめてから,いつのまにか10年以上の歳月が過ぎてしまった。
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