部民
あくまでも仮定の話なのだが,新たに帝国の初代国王(初代帝王)になろうとしている者が存在すると仮定する。
国王とは,領土全部を私有する者なので,当該領域が民主国家である場合,「王国になる」ということは,「領土も国民も国王の私有財産となる」ということを意味する。
このようなプロセスは,SNSを含めインターネット上の便利な機能を駆使して行われるようになった。
現代では,AIや多数のライター・評論家等がインターネット上で結合され,ゲッベルス(Paul Joseph Goebbels)のような役割を果たすことができる。
そして,教養のない国民層を騙す。
例えば,「某候補のブレーンはエリート層だ」という文言は,それ自体としては特に政治的意味をもたないはずなのだが,権力をもつ可能性のない非エリート層に対して憎しみのような気持ちを抱かせる政治的効果がある。しかし,冷静に考えてみて,「某候補のブレーンは能無しばかりだ」とすれば,その候補に統治を任せるわけにはいかないということに誰でも気づくことができるだろう。どの候補であれ,そのブレーンがエリートでなければ統治などできない。
これは,政治的(かつ攻撃的な)レトリックの一種なのだ。
そのようにして誰でも巧妙なレトリックを駆使できる時代になったので,ネット上のSNSメッセージ等を基礎として判断すると頭がおかしくなるという現象が恒常化している。
おかしくなりたくなければ,麻薬のようなものだと悟り,SNSを完全に捨てるべきだろうと思う。常に多数の他人とどこかでつながっていたいという依存心(依存性),あるいは,そのような状態にあると自己暗示にかけることのできる仕組みにしがみつきたいという心理,そして,(ある程度の立場にある者の場合)自分が支持を得ているかどうかを確認したいという強迫神経症的(または他者依存症)な心理を断ち切ることができれば,解決できるのだが,これがなかなか難しい。なにしろこれらは最も広い意味で精神疾患の一種としても理解不可能ではない依存症的心理傾向なのだから。
他方で,いわゆるアナリストや評論家や雑誌等のメッセージも用心して読んだほうが良い。世論誘導を目的とする作文であることがある。そのことを判断するためには金主が誰であるのかを知る必要があるのだが,その点に関する情報公開はない。
国王になろうと思っている者(または,その支持者である特定の組織・団体)が金主である場合,それらのアナリストや評論家や雑誌社は,いわば古代の律令制当時における部民の一種のような社会的機能をもつものだと考えられる。
そのような部民的な人々の言動に左右されないようにするためには,結局は,自分自身で(可能な限り公平かつ広範囲に)古典を1つでも多く読み,よく考え,理解し,自分自身の価値観を確立するしかない。
ちなみに,民主国を破壊して国王的な存在になりたいと思っている者かどうかを判別する手段は,意外と簡単だと思っている。
例えば,当該の者が民主国の大統領である場合,自分の子や親戚等を国の要職につけているかどうかがリトマス紙となる。
真に民主主義を信奉する者であれば,自分の子や親戚等を国の要職につけることが国の私物化に直結することを知っているので,可能な限りそのようなことを避けようとするだろう。
逆に,自分の子や親戚等を国の多数の要職につけている場合,既に私物化していると言える。
ナポレオン1世もそのような人物だったと評価することが可能だろう。
民主国の統治者がそのようにしているかどうか,または,そのようにしようとしているかを見ることによって,当該の者の高潔さというようなものを判定できるのだ。
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