アキレスと亀
有名な「お話し」の1つで,等速運動というものを無視している点で荒唐無稽なのだが,それを真面目にとらえて悩む程度のレベルの低い者をあざ笑うための冷笑的な試験問題の一種のようなものだろうと思う。
しかし,知性に関しては真理の一部を含んでいると考える。
例えば,真にクリエイティブな者が亀であると仮定する。創作には時間がかかるので,事実,亀とならざるを得ない。
他方,創作の能力が皆無であり,パクリの能力しかない者がアキレスであると仮定する。パクるのには時間を要しないので,事実,アキレスであり得る。
パクる者は,創作する者にすぐに追いついてパクることができる。しかし,創作できないので,どうやっても亀を追い越すことができない。
それでもなお,パクる者は,創作や知的財産に価値を見出すことをせず,他人の創作物をパクって金に変えることに最大の興味をもっているので亀になって創作するつもりが最初からない。
このような状況が不正義であるとするのであれば,高いところに御座しますゼウスの神は,雷をもってパクるだけの者をこらしめることになるだろう。
火傷で瀕死の状態となっているパクるだけの者は,出雲の兔ではないので,大国主命が通りかかって蒲穂で癒してくれることも期待できない。一般に,自己の利だけを求める者は,本当は,誰からも苦々しく思われているものだ。劣勢になれば,誰も助けない。
さて,亀はと言えば,身をすくめて嵐が過ぎるのを待ち,ゼウスの怒りがおさまったら,またその歩みを続けることになるだろう。
創作者というものは,周囲の状況を考えずにマイペースであるので,世俗的には誤解されることが多いし,場合によっては非難されることもあるかもしれないが,それが真の創作者というものの本質なのだ。
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