倫理研修と抑止力と費用対効果
日本国内で現実に実施されている「倫理研修」に(統計上有意な)抑止力及び改善効果があることを示す証拠は一切存在しない。
なにしろ,それらの研修は,事前の影響評価を一切やらないで導入されている仕組みであることが多いので,統計のとりようもない。無論,事後的な見直しが行われることもない。
費用対効果の面で考えると,倫理研修という方法にはかなり大きなGDP減殺効果があることは,容易に証明可能と思われる。
だから,原則としてやめてしまったほうが良い。
このような批判を担当者に対して直接に向けたことが過去に何度もあったが,意味のある回答が可能だった者はだれ一人いなかった。
要するに,何もわからずに,単に惰性だけでやっているのだ。
その間,世界の状況はどんどん変わってきてしまっている。
少なくとも自由主義諸国においては「倫理の強制はできない」という観念が既に定着しており,「倫理研修」という名の研修は存在してはならないのだが,日本国では倫理の強制が日常的に行われているという嘆かわしい状況にある。しかし,文部科学省を含め,国家機関が個人の内心の自由の自由または精神的な自由の一部である「倫理」に介入することは,日本国憲法に定める公務員の憲法遵守義務違反行為であり,憲法違反行為となる。国家は,違法行為との客観的な結果に対して法的制裁を加えることはできるが,内心の自由に干渉することは許されない。
現在の世界の趨勢は,内心の行動規範の一種としての「倫理」ではなく,合理主義と費用対効果に重点を置くものとなっている。近未来において,人工知能による自動判定が普通になると,基本的には合理主義と費用対効果だけで判断結果が示されることになるだろう。
非違行為が現実に行われた場合には,応報的な対応だけで十分に足りるし,そのほうが社会全体に対するストレス度も低い。
教育刑論的な押し付けがましい発想は捨象してしまうべきである。そもそも,社会の構成員の半分以上が老人だというのに,頑迷な老人に対して「教育」とは笑止という以外にない。このような理論は,その実用性の社会・経済的基礎を既に失ってしまっているので,忘れ去られるべきである。
しかしながら,現実には誰もまともに考えようとしない。単なる「ことなかれ主義者」だけで社会が構成されるようになってしまっているので,このままでは,日本国は,非常に近い将来,滅びることになるのだろう。
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