東京には大型の前方後円墳が多数存在した可能性があるか?
別のことを調べていて,たまたま下記の記事を読んだ。非常に興味深い。私見としては,関東地方のほうが近畿地方よりも圧倒的に多数の前方後円墳が存在したと推定している。何しろ立地条件が全く問題にならないくらい異なる。関東地方は広大であり、古墳時代当時において海または内海または湿地だった地域を最大限除外して考えたとしても、近畿地方と比較して、牧畜にも、農耕にも、墳墓の造営にも適した地が圧倒的に多い。
南武蔵勢力の本拠地は東京都心?
落合道人 Ochiai-Dojin:2015-04-24
https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2015-04-24
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「百八塚」の面影を多摩川段丘に見る。
落合道人 Ochiai-Dojin:2014-09-05
https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2014-09-05
https://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2014-09-05
古代の下落合に「大王」はいたか?
落合道人 Ochiai-Dojin:2009-03-28
落合道人 Ochiai-Dojin:2009-03-28
なお、この関連で、ときどき訪問している「しばやんの日々」の関連記事も読んだ。
世界最大級の墳墓である「仁徳天皇陵」が誰の陵墓か分からなくなった経緯
しばやんの日々: 2017.05.01
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-123.html
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一般に、山川の日本史教科書だけではなく、事実を事実として認めると自己の学術上の存在理由が完全否定されてしまうと考えるようなタイプの人々は、事実を事実として認めるわけにはいかないので、こういうことになるのだろう。
科学または学術というものは、本来、将来の新たな知見によって否定されるために存在しているようなものなので、それを絶対不可侵の完全な知識のように信じ込むようなことは異常心理の一種として理解されるべきなのだが、現実にはそうなっていない。なぜなら、非常に人間的な様々な欲望や利権と密接に結びついていることや、自己承認欲求の強すぎる人々が少なくないからだ。
それゆえ、これから学術を極めようとする若い人々は、権威、経歴、地位、資金力等によって当該学者の価値を判断してはならない。当該学者の学術の成果としての論文や作品それ自体から評価し、自己の人生を決定すべきだ。
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