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2018年12月18日 (火曜日)

やまとはくにのまほろば

『古事記』には「夜麻登波 久爾能麻本呂婆」とあり、『日本書紀』には「夜麻苔波 區珥能摩倍邏摩」とあり、異なる表現をもちいている。当時、日本国で用いられていた語は、多種多様であった(=統一国語がない状態)と推定され、読みの「音」も統一されていなかったと考えられるだけではなく、それを漢文表記する際の音もいわゆる漢音と呉音に加え古音や方言のようなものも混在している状態で、全く統一されていなかったため、このような結果が生じたと推定するのが妥当だ。現代の中国においても、地方における言語の差異が著しく、「標準中国語を知っているだけで大丈夫」と考えるのは相当に無知な者であると言える。

「夜麻苔」は、「やまつ」または「やまたい」とも読み得る。

「麻本呂婆」及び「摩倍邏摩」の最初の文字は、「真の」という意味を強調するための接頭音のようなものと考えられる。

さて、「本呂婆」と「倍邏摩」の意義が問題となる。

「原(はら、ばる)」は、国(國)を意味する。また、大陸の遊牧民族は、現代では「ゲル」と呼ばれるような移動可能な住居をもち、その頭領は天幕(幕)で装飾したゲルの中に住み、そこで施政する。それゆえ、「ほろ(幌など)」もまた国(幕府)を意味し得る。ゲルは、「パオ(包)」とも呼ばれる。

それゆえ、「まほろば」は、「最高権力の所在地」という意味をもつと考えることが可能である。

他方、「まはらま」または「まあらま」は、謎であるが、外来語であるかもしれない。例えば、トルコ語ではスカーフのような布のことを指す語として「mahrama」があるから、やはり、それにたとえて(権力の所在地を意味する)天幕のようなものを指すと解することは不可能ではない。当時、仏教を通じて中央アジアやインドの語彙が大量に入ってきていたと考えるのが妥当で、むしろ、純粋な「やまとことば」しか存在していなかったというような具合に考えることには疑問符をつけるほうが妥当である。

「まはらま」または「まあらま」が梵語であると仮定した場合、「Mahārāmā」または「Mahārāja」を想定することは可能である。いずれも「偉大なる王」を意味する。

一般に、(特に「枕詞」として使用される場合)「やまとことば」の中には梵語由来と推定されるものがかなり多数ある。

なお、「麻呂」は、「麻本呂」の省略形であり、ほぼ同義のものであると考える余地はある。「ほ」または「お」の音は、しばしば省略されてしまうことがある。「麻呂」は「王」を意味し得る。

そのように考えると、この歌は、誰か士官が戦闘を終えてもすぐに次の命令が下って各地の国々を滅ぼし、平服させる戦闘が続くことをぼやいてつくったもので、本音としては、「そりゃ~~大和は最高権力者だよ。砦をいっぱいつくって戦を重ねてきたけれども、(また命令が下ったので)山々を越え、草木を分けて戦闘を続けなければならない。あ~~ァ、大和様はご立派なことだよ(大和の頭領は偉いね~~)」というな、かなりネガティブな(怨嗟的な)恨み節のようなものであったかもしれない。

あるいは、「まはらま」を梵語として理解する場合、「大和は偉大なる王(釈尊)だよ。しかし、砦をいっぱいつくって戦争を重ね、山々を越え、草木を分けて殺生を続けなければならない。あ~~ァ、偉大なる王(釈尊)様はご立派なことだよ」という痛烈な批判となっているものかもしれない。

一般に、皮肉というものは、外見的には皮肉に見えるものではなく、発音の抑揚のみによって識別されるものであるので、文字化(符号化)したとたんに、それが皮肉であるのか字義どおりのものであるのかが判別できなくなるという特性をもつことがある。

当時の戦闘は、白兵戦が基本なので消耗するのが当然なのだが、軍隊が単に長距離を行軍するだけでも大変なことで、兵糧を現地調達するため、古くから住む人々を支配下において調達を実行するための様々な面倒なことも伴ったと考えられる。軍隊が通り過ぎる間は服従したふりをしていれば良いと判断した当地の国主らは、武力をもたない農民であるかのようなフリをし、平身低頭し、食糧と寝る場所(または一時的な駐屯場所)を提供し、将官に対しては美女も提供したのであろう。抵抗する者は「熊襲」や「土蜘蛛」として物理的に制圧され、歴史から消え去った。ヤマトタケルと関連する記録は、そのことを暗に示すものと理解するのが合理的である。

この歌には「望郷の歌である」との趣旨の注記が付されている。字義または文意として(当時において)全く紛れのないものであったとすれば、わざわざ注記を付していることに大いに疑問を感ずる。多義的であるからこそ、あるいは、ある種の政治的な意味合をもって、意図的に注記していると考えるのが妥当である。

いずれにしても、景行天皇(大帶日子淤斯呂和氣天皇)の頃に、強力な武力を行使した制圧により、日本国の統一が完成したと考えるのが妥当である。現在まで残る大型古墳の多くは、その際の戦功により郡司または国司等に任ぜられた武将及びその子孫の墓と考えるのが妥当である。

『日本書紀』にある「烏波利珥 多陀珥霧伽幣流 比苔菟麻菟阿波例 比等菟麻菟 比苔珥阿利勢麼 岐農岐勢摩之塢 多知波開摩之塢」は意味のある文であると考える。

この歌にあるのは単なる樹木のことではなく、秦氏系(菟)の民衆(農民)のことを指すのであろう。ただし、この歌は、何らかの政治的な理由により、景行天皇及びヤマトタケルの時代のものとして挿入されたものである可能性はある。また、「ウガヤフキアエズ」の「ウ」は、「兎」及び「禹」を意味するものであり、そのシンボルは「桃」である。「桃」を更に象徴化すると「宝珠」となる。

景行天皇にもゆかりがあると考えられる茨城県稲敷市阿波にある大杉神社を参拝しながら、このようなことを考えた。

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「帶」は、曹操及び司馬懿の時代の帯方郡と関連する名称(尊称)ではないかとも考えられる。

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