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2018年12月22日 (土曜日)

豊城入彦命

北関東にはゆかりの地が何か所かある。

かつては,総社二子山古墳(群馬県前橋市総社町植野)がその墓所とされていた。

現在では,前二子古墳(群馬県前橋市西大室町)をその墓所と考える見解が多い。

しかし,丸山古墳(茨城県石岡市柿岡)にもその墓所であるとの伝承が残されている。

そして,茨城県笠間市にある笠間城址の佐志能神社は,「豊城入彦命四世孫大荒田別命之後」とされる「佐自怒公」と関連のある神社とされている(現時点の私見としては,「佐自怒公」を「曹子之公と理解したい。「大荒」は,「太荒」すなわち「二荒」が転化したものと考える余地がある。「二子」もそのままで「ふたり」または「ふたら」と読み得る)。

中世に笠間を治めた笠間氏は,宇都宮成綱の子である塩谷朝業の子(後に宇都宮頼綱の養子)である笠間時朝を祖とするとされているので,宇都宮氏の子孫であることになる。

「宇都宮」は,「二荒山」の別称と考えられている(ただし,「二荒」が「宇太」から転じたものと解する余地はある。「宇」は「兎」または「禹」を指すものであるかもしれない。「宇陀」,「宇田」,「宇賀」等も同じである)。

そのような一般的な見解を一応離れ,「二荒」を梵語と仮定して考えてみた。

近似する語として「पुत्र(putrá‎)」があり,これは,「息子」を意味する。すなわち,「豊城入彦命」を指すものと解することが可能である。

実際の地理関係等から考えてみても,「上毛」及び「下毛」の関係から考えてみても,上記の各古墳は何らかの意味での血族関係で結ばれた人々の墓所である可能性はあり得るのではないかと思う。

そして,二荒山は,山岳信仰や日光東照宮だけで理解されるべきものではなく,宇都宮市周辺の多数の古墳と共に,ヤマトタケルの東国征伐の神話に象徴されるような歴史上の出来事と深い関連性があると仮定してものごとを考えてみるだけの価値があるのではないかと思う。

那須國造碑で有名な栃木県那須郡那珂川町にある数々の古墳も全く無関係のものではあるまい。

これらの古墳の被葬者について,現行の高校の社会科教科書レベルでは,地元にもともと存在していた地方豪族のようなものだけが想定されているが,誤りであると考える。

***

梵語由来を仮定しない場合,「二荒」または「太荒」は,帯方郡の「帯」との関係を考察することも可能である。

そもそも「帯方郡」の字義について,確定した見解はない。これまたそもそも梵語または契丹ないしスキタイ系の語源を想定すべき余地がある。

同様に,「多利思北孤」の意味についても再考の余地が十分にあると考えてきた。

しかし,まだ結論は出ていない。

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