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2018年11月30日 (金曜日)

我妻民法は,意思主義をベースとしているか?

司法試験受験生のときからずっと疑問に思ってきた。

無論,明治時代以来の先学の著作に多分に依拠していることもあって,表面的にはオーソドックスな民法学通説に従っているように見える部分が圧倒的に多い。

しかし,我妻民法オリジナルの部分として識別可能な部分だけ分離して考察してみると,実はそうではないのではないかと考えた。

そう考えてはいたが,現実問題として,そのように露骨に書くと司法試験に合格することなどあり得ないことなので,試験対策は試験対策として完全に割り切ることとし,そのようにして乗り切った。裁判官当時においても同じだった。

現在は,裁判官ではない。学問の自由の下において,自由に考え,自由に述べることができる。

我妻栄氏が優れているのは,意思主義の次の時代のことを既に想定し,将来の若い世代の研究者のための種を密かに『民法講義』の中に残してくれたことではないかと思う。そのことには,心から尊敬の念を抱く。

私の『ネットワーク社会の文化の法』の中で示した「処理主義」の考え方は,そのような小さな種を発見し,発芽させ,成長させてきた産物だ。

現在,完全に帰納法的な研究手法に移行した結果として,ますますもってそのことを論証可能であるとの確信を強めている。

「処理主義」と関連する事柄は,丸暗記方式で民法学通説を覚えているだけのようなタイプの人々には絶対に理解できない。理解できる人々にだけ理解されれば良いし,もし受講学生の中で理解可能な能力をもつ者がいれば,その意味を教えようと考え,この本を書いた。

約20年間にわたる学者人生の中で,「よく理解してくれた」と認めることのできる学生の総数は,そんなに多いとは言えないが,無論,ゼロではなかった。そのような人生であったことに感謝したい。

一般に,人間社会の中において,完全に対等な関係の下で,完全な自由意思により,合理的に交渉が行われ,その意思決定を基礎として法的責任が生ずるような場面は,実際には滅多になく,大半の場合においては,スイッチのオンまたはオフのような簡単な出来事をシンボルとして,ほぼ自動的に処理されているのに過ぎない。

その根拠は何であるかというと,「そのような法制度になっている」ということに尽きる。特に完全な無過失責任または結果責任の場合,意思理論が出る幕はない。

そして,あくまでも机上の理論としては,そのようなほぼ自動的に現実に処理され続けている部分に関しては,AIによる自動処理が可能である。そのような自動処理には,裁判と均等な処理及び執行と均等な処理も含まれる。

このような問題について,法哲学的な満足感を得たいのであれば,ローマ法やシュメール法に遡った綿密な法源研究を継続する以外に適切な手段はなさそうに思える。そして,そのような手段によりたどりつくのは,常に,「格言」のようなものが社会的に強制されるという事実のみである。換言すると,「そのような制度になっている」という以外の説明をつけることができない。ヘロドトスは,そのことを非常によく理解していた。だからこそ,優れた著作を後世に残すことができた。

今後の法律家は,「本当はそのようなものである」ということを明確に認識・自覚した上で,存在するシステムを自由自在に使いこなせるような能力を十分にもたなければならない。それは非常に困難なことではあるが,努力によってその困難を乗り越えるのでなければ,世間から尊敬される存在となることなどできない。

ただし,不合理な制度を全て是認すべきであるということを主張しているのではない。

制度は人工的な構築物の一種であるので,常に何らかの欠陥を含んでいる。その欠陥は,克服されなければならない。

その場合の判断基準または行動基準の一種として,(少なくとも,民主主義を標榜する国家においては)利益衡量が用いられることがある。この利益衡量は,権力関係または利害関係の変化に伴う事後的な調整機能の発動として理解することが可能である。

そのような克服のための苦闘は,人類が滅びる日まで続く。

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