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2018年8月29日 (水曜日)

論文の価値

下記の記事が出ている。

 Social science has a complicated, infinitely tricky replication crisis
 ars technica: August 29, 2018
 https://arstechnica.com/science/2018/08/why-do-only-two-thirds-of-famous-social-science-results-replicate-its-complicated/

論文の数だけを評価基準とすることの愚は誰でも知っている。

それと同時に,優れた論文を多数公表することがいかに難しいことかについても,誰でもよく知っている。

それだからこそ,優れた論文を多数公表できる研究者は高く評価されるべきだと思う。

しかし,問題は,当の論文の真価を正確に評価可能な研究者が実際にはかなり乏しいということだ。特に,最も先進的な課題に関しては,当の論文を発表した者以外には全く理解できないことがしばしばある。このことも周知のことであり,特に数学や理論物理の世界ではそれが著しい。

他方において,全く無価値な論文を「無価値である」と評価することには様々な社会的困難が伴うことがある。

それゆえ,総合的に言えば,常に,世界的に有名な雑誌に掲載された論文が多いというだけでその論文投稿者が本当に優れた人材であるかどうかを確実に判定することはできないという結論になる。

当の論文が世間によって認められるかどうかは,かなり偶然的な要素によることが実際には多いが,それ以上に,内容を全く伴わない肩書きや経歴のようなものだけで内容まで評価されてしまうことのほうが多いから世間の評価なるものも全くあてにならないということを容易に知ることができる。

というわけで,真に創造的な研究者は,常に「孤高」であり続けるしかないというのが実情だ。

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