竪穴式住居
全国各地で数えきれないほど多数の竪穴式住居の遺構が発掘されてきた。
しかし,疑問に思うことがある。
それは,その当時の復元において,どれもこれも茅葺またはそれに類する長丈の植物で覆われていたものと推定されてきたことだ。
当時の植生上,そのような資源が容易に入手可能な状況であるとすれば,それは,あり得ることであろう。
しかし,そうではない条件の下にあったと推定される地域からも同じような遺構が無数に発掘されている。
植生上可能であっても,当時の推定人口から考えて,資源供給量が圧倒的に不足すると計算可能な人口密集地も存在する。
そこで,私は,草葺きではなく,パオのようなものが存在した可能性を仮説としてたて,検討してきた。
現時点においても,その仮説は成立し得ると考えている。
特に,無数の馬が放牧・飼育されていた地域(その中でも特に比較的寒冷な気候条件をもつ地域や葦や茅の入手が困難な地域)では,その可能性が高い。そのような地域では,被覆資源として,動物(馬など)の皮を利用できる。
馬の皮の利用は,日本国において,古代から現代まで続いており,例えば,和太鼓などで用いられている。
(余談)
比較的大型の古墳の形状に関し,子宮を象ったものだとの説がある。前方後円墳の形状の起源についても同じだ。
私は,むしろ,死後の住居としてのパオの形状を模したものではないかと考えることがある。
そのように想像可能な石室内には,軍用の馬具や(歩兵ではなく)騎乗する上級軍人を想定するのでなければ理解し難いような遺物が残されていることがしばしばある。弓矢や太刀にしても,騎乗を想定すると理解しやすい場合がしばしばある。「さきたま古墳群」では,そのような想定を前提とした復元も試みられている。
前方後円墳の形状については,漢系の方墳と鮮卑系(スキタイ系)の円墳とを(ある政治的な意図の下に)合体させたもので,『三国志』の「魏書」の中で述べられているものと同系のものだとろうと考えている。このように考える場合,前方後方墳の形状には,それなりの政治的意味があることになる。
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