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2018年5月 4日 (金曜日)

コモンセンス

「顧問のセンス」のことではない。「小紋と扇子」のことでもない。英語の「commonsense」のことを考えた。

「commonsense」を直訳すると,「共通の認識」または「共通の意識」のようなものとなる。

これは,構造をもつものではなく,合理的な根拠の有無を問わず,直観的な結論の場合を含め,ある判断結果を正当化するために使用される(内容のない)形式的な根拠を示す語句である。

内容がないので,構造をもたず,無論,知識の体系として記述することもできない。

その「コモンセンス」との論拠が説得力をもつか否かは,その場の状況によるとしか言いようがなく,それ自体として何らかの意味をもつとかもたないとかそのようなことは一切関係がない。

仮に学術として「コモンセンス」を考究しようとする場合,それを根拠のあるものとして受入れた相手方の心理状況または脳内の作用と「場」との相関関係を社会関係の一種として考察するのであれば,何らかの意味ある成果を出すことができるかもしれない。

しかし,「commonsense」それ自体を,知識の一種としてとらえる限り,必ず不毛であるという結果に至り,失望する。それが知識工学の一部である場合,必ず失敗する。これ以外の結論はあり得ない・・・という当たり前のことを理解できない者は,相当に頭の悪い者であるので,決して人の上にたってはならない。

それゆえ,若い研究者は,決して「commonsense」を知識の一種として理解してはならない。とりわけ,その構成要素を記述可能であるなどとは,決して考えてはならない。そんな無為になことをやっていては,1度しかない人生に必ず失敗し,あとで悔やむことになる。

このことは,数えきれないほど多数の先人達の死屍累々たる無残な(無意味な)業績の山を丹念に調べてみれば,明白過ぎるほど明白なことだ。

強いて言えば,かつてちょっと流行った「レトリック」という観点から,思考の遊びの一種としてやってみるという程度にして,ほどほどにしておくのが良いと思われる。

以上は,関係的にものごとを考える手法を身につけている人には比較的理解しやすいことだろうと思う。しかし,実体的にしかものごとを考えられない人には無理なことかもしれない。

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