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2018年5月27日 (日曜日)

GDPRとNIS

日本では,NIS指令に関心をもつ研究者がほとんどいない・・・というよりも,まともに読める法学研究者がほとんどいない。

なぜなら,哲学の分野に属するものだけが理論法学だと信じてきたからだ。

そう信ずるのは各人の自由だ。

しかし,現実の世界の「必要性」は,各人の願望とは無関係に発生する。

GDPRは,NIS指令と一緒に読まれなければならない。

それぞれの法令にある通知義務は,現実には,一緒に行われる。

それぞれの法令にある管理者としての義務の履行は,一緒に行われる。

そのような事実に気づいたからこそ,私は,情報法制における横断的なプロトコル層の存在という発想に至ることができた。

肯定するのも否定するのも各人の自由なのだが,少なくとも法学研究者に関しては,「一体誰のために研究しているのか?」という根本的な問題をちょっとだけでも考えてもらいたいものだと思う。

誤解のないように付言しておくと,「自分の立身出世のため」という理由は,立派な理由になる。「どうぞ立身出世してください」とエールを送る。

そうやって他人が消耗し,擦り減っても,私には一切無関係のことだ。ボロボロになっても,それでも偉くなりたい人は偉くなれば良い。

私自身は,私自身の欲望,すなわち,「学問の継続を充足させること」だけを考えている。

とにかく1円を削って法と情報雑誌の継続のために奮闘しているのだが,かつて,名和靖氏が動物学(昆虫学)のためにいかに苦労したかをこの年齢になってやっと理解し始めている。

象牙の塔とは無関係のところから育ったその後の人々(弟子)が現在の科学の基礎を築いたはずなのだが,それらの人々も成功すると権威主義になり,象牙の塔を築いてしまう。

人間の性のようなものなので仕方のないことなのであろう。

私自身は,そういうこととは無関係に自由に生きたいと思う。

ちなみに,EU法の翻訳では,通常は「自由」と訳すところを意図的に「支障のない」と訳すようにしている部分がある。

あくまでも観念上のことではあるが,無制約で自由を希求すべき場合とそうではない場合があることは,(まともな教科書である限り)憲法の(古典的な)どの教科書にも明記してあることだ。

その真髄を理解できる者は,将来,大成することであろう。その逆もまた真。

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