« GDPRとWHOISとの関係は・・・? | トップページ | ギャンブル産業におけるAI技術の活用? »

2018年4月30日 (月曜日)

あぶないサイト

下記のサイトがある。

 医学部をめざす高偏差値エリートに天才肌の発達障害が多い?
 『発達障害』岩波明×『医学部』鳥集徹 ホンネ対談 ♯1 
 文春オンライン:2018年4月30日

内容的にヘイトスピーチの一種の部分を含むのであぶないという意味ではない。

著名セキュリティソフトによって,「汚染されており,自動的にリダイレクトされる」という趣旨の警告を出して自動遮断してしまうので,あぶないサイトなのだ。

(余談)

「サイコパス」と関連するものを含め,いわゆる「脳科学」なるものが流行している。

それ自体を否定する気はない。

しかし,あまりにも単純過ぎる内容のものが横行していることは,とても残念なことだと思う。

世界の100億人以上の人々が何種類かのタイプだけに分類可能だと考えることそれ自体が間違っており,へたをするとひどい差別を招くこととなる危険性がある。その意味で,あまりにも単純過ぎる分類は,非差別的であるべき医学の本道を相当に逸れているとも言い得る。

にもかかわらず,そのような差別的結果を招き得るような言動を煽っているテレビや出版界等には,相当に重い法的責任があると考えられる。

一般に,人間の精神機能は,様々な非常に多数の要素の複合体で構成されており,時と場合により,その外的発現形態が異なるのが普通であるだけではなく,同一の人間の精神構造は,常に変化し続けている。それが将来更にどのように変化するかは,当の本人を含め,誰にもわからない。

それゆえ,俗人にとってはわかりやすいかもしれないけれども素朴なごく少数の基準だけで分類することだけで自己満足してしまうような単純過ぎる姿勢または考察は,精神医学者または脳科学者としては厳禁であるはずだ。

人間は,多種多様な精神的形質をもった動物であり,「ちょっと変わっている」ように見えても,それは,その人の個性に過ぎないという程度に公平にものごとをみるべきだろうと思う。人間の個性は,相当に幅のあるものであり,複合的・多重的なものなので,単純に「該当性あり/なし」だけで類別できるようなものではない。

そして,コリン・ウィルソンが明確に述べているように,ある精神的形質が社会において肯定的に理解されるかそうでないかは,その時点の環境または状況によるので,固定的に是非が定まるようなものではない。それは,特定の時点における他者からの一方的な評価に過ぎないのだ。

法律家たるもの,常に公平であり,多様性を重視した姿勢でものごとを考え続けるべきだろうと思う。

|

« GDPRとWHOISとの関係は・・・? | トップページ | ギャンブル産業におけるAI技術の活用? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« GDPRとWHOISとの関係は・・・? | トップページ | ギャンブル産業におけるAI技術の活用? »