いわゆる仮想通貨の原資産(underlying)をどう考えるべきか?
いわゆる仮想通貨をデリバティブの一種として考えることができる場合,その原資産(underlying)をどのように考えるかによって,様々な法解釈論を提供することが可能である。
例えば,各国の中央銀行が発行者である場合,極論すると国家それ自体が原資産となる。
これに対し,私人が発行者である場合,原資産が存在しないことがあり得る。その場合,単なる詐欺行為として扱われるべきである。私法上も公序良俗に反する行為として,全部無効である。
他方,何らかの原資産が存在し得る場合,例えば,EUの金融商品市場指令(MiFID II)及び金融商品市場規則(MiFIR)が適用されることになるので,関連事業者は,これらの法令に定める義務を遵守しなければならない。義務違反があるときは,停止または排除の行政処分を受け得るし,構成国の法制によっては,刑事罰が発動されることもあり得る。
それゆえ,もしいわゆる仮想通貨がデリバティブの一種であると考える場合において,原資産が存在しない場合には,既に犯罪行為として処罰されるという意味で禁止対象になっていると解するのが正しい。原資産が存在する場合には,行政規制に服する。
G20における議論は,当然のことながら,このような法体制が既に存在していることを前提にした上で,全面禁止の是非が議論されている。
ただし,日本国の法制はちょっと変わっていて,いわゆる仮想通貨の取引に関して,金融商品としての法規制を及ぼさないための法定の抜け穴をつくっているのと同じことになるので,世界の金融界の目からすれば,「けしからん」の一言に尽きることになるであろう。
もし私が蔵相であれば,世界各国から叱られるのが怖くてG20サミットに顔を出すことなど全くできなくなってしまうかもしれない。
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