Jean Paul Isson, Unstructured Data Analytics: How to Improve Customer Acquisition, Customer Retention, and Fraud Detection and Prevention
下記の書籍が届いたので,ざっと目を通した。問題意識をもって読む限り,わかりやすい本だと思う。ただし,多少ごまかしがあるのではないかと感じた部分もある。更に精読してみたい。
Jean Paul Isson
Unstructured Data Analytics: How to Improve Customer Acquisition, Customer Retention, and Fraud Detection and Prevention
Wiley (2018)
ISBN-13: 978-1119129752
(余談)
権利主体(または被害者)が複数である場合の新たな問題点に関しては,FloridiらによるGroup Privacy: New Challenges of Data Technologies があるが、このUnstructured Data Analyticsは,個人データ(personal data)の本質(特に,「個人データ」が単一の識別子だけで構成されるものではないこと)を考える上で参考になる部分を多々含んでいる。
日本国の個人情報保護委員会は,国の機関である。そのような国の機関,及び,それと均等な様々な民間組織は,実定法を解釈し運用すべき責務がある。
それに対し,大学の法学者がやるべきことは,現行の法体制及び法規範の構造を理解し,解析した上で,改善案を提案することなので,国の機関またはそれと均等な組織とは異なる仕事をしていることになる。もし同じことをやっているのだとすれば,その存在意義はない。
私見としては,在来の「個人データ」の概念が既に破綻しており,全く別に構築し直さなければならないと考える。このことは,既に述べたことがある。
そこで,その再構築において重要なことは,在来の「ドグマ」に決して固執しないことだ。
特に,大学教員の場合,自己の直接の指導教授や所属学会の重鎮である諸学者を含め,ダメなドグマに固執する者を全て見捨て,意味のない群れ(衆愚)を離れて,独自に論理を追求することが非常に重要になる。それができるかできないかによって,その者が真に学者と言えるか否かが明確に分かれる。
ここでいう論理とは,在来のドグマのことではなく,新たなロゴスのことを指す。
キリスト教においては,ロゴスは,別の意味をもつが,ここでいうロゴスとは,哲学におけるロゴスを指す。
新たに構築されるロゴスは,それが誰かによって踏襲される場合,社会の中で悪しきドグマとして機能することがあり得る。しかし,それは,更に誰かによって破壊され得るものであるから,結局,一般に,学術とは,いつか破壊されるために創造するという営みを延々と続けることにほかならない。その「誰か」は,自分自身であることもあり得る。
「破壊されることなどない」と慢心する者は,無視して良い。
「個人」及び「個人データ」の本質に関しては,既に詳細に論じたことがある。現時点では過去に述べたことを一応維持しようと思っている。ステレオタイプの理解しかできない脳構造の人々には理解されないと思うけれども,それは最初から覚悟している。
この本に書かれれているサンプルの幾つかは,私見における「もののみかた」のようなものが通説等における観念的な「ドグマ」よりも適切なものであることを証明してくれているように思う。
世界は思想によって支配されているのではなく,その逆に,思想は,事実としての世界によって左右されるものなので,私が想定したようなものへと世界がどんどん変化すればするほど,私見の優位が自動的に達成されることになる。それゆえ,この点に関して特定の誰かと議論しようとは思わない。
目下,更にその先の世界を想定しつつ,より包摂的な論理を探究するための孤独な思索を続けている。
なお,この書籍とは無関係なのだが,下記のような記事も出ている。「死んでいる学者」と言われないように努力したい。
「死んでいる会社」に蔓延する5つの社内病:「管理が優先、現状維持…」あなたは大丈夫?
東洋経済オンライン:2018年3月8日
http://toyokeizai.net/articles/-/211206
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