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2018年1月17日 (水曜日)

古代の藤原氏の「藤」は,「艸」+「月」+「泰」で構成されている。

「藤」の読みは,本来は,「とう(唐または東)」であったものが,後に何らかの政治的理由により「ふじ」になった可能性があるが,現在となっては確実に論証することは不可能である。前者の仮説は,白江の敗戦と関連する仮説であり,後者の仮説は,後の榛名山の大噴火によって消滅してしまった車持氏と関連する仮説である。

消滅してしまった國なので何とも言えないが,空想としては,車持氏は,扶桑國の王であったのかもしれない。扶桑國は大きな山の東にあったとされており,その大きな山である榛名山が大噴火で吹き飛び,北関東一帯の古代の政治組織が滅びてしまったので,現在では「扶桑國」も「大きな山」も存在しない。

「原」は「ばる」であり,「國」のことを意味するものであろう。

さて,冠である「艸」は,「くさか(日下)」を指す。その流れを汲む者であることを示すものであると同時に,「太一神の下にある」ということも意味すると考えられる。中国における日の直下にあたる地域は洛陽等のあった場所付近に相当するが,日本列島においては,日の直下にある地域は畿内が相当する。私見によれば,「草壁」と「日下部」と「日下」と「艸」は全て同一のものを指すと解される。

「月」は,日本列島の形状それ自体を指すものであるかもしれないし,神が人間として肉体をもつもの(=具現化された存在となった者)であることを指すものであるかもしれないし,あるいは,月光菩薩または月夜見神であることを示すものであるかもしれない。

問題は,「泰」であるが,外向けの説明としては,「天下泰平」という意味での「泰」であるということを示すものとして意図的に用いられたことは疑いようがない。それが太一神の統治下によるものとして説明される場合には,伊勢神道などの古い国家神道の根拠となり得るし,大日如来(場合によっては日光菩薩)の慈悲によるものとして説明される場合には,畿内の古い国家仏教の根拠ともなり得るという便利な構造をもっている。

藤原氏自身が仏教を尊重し,それに帰依したことは周知のとおりである。古来,日本国は,仏教国であったし,天皇家も宗教としては仏教を崇拝してきた。現在理解されているような意味での神道との関係が濃厚になったのは,長州を主体とする政治勢力との関係によるものであり,富国強兵策にとって好都合であったからである。天皇家内で私的なものとして行われる様々な祭事は,その教えが理論的に構成された後の時代における神道とは無関係のものであり,もっと古代的なものであろうと推定され,むしろ,古代中国における「禮(周禮)」に由来するものである可能性が高い。

この「泰」は,『隋書』に出てくる「秦國」の「秦」を隠す意図で用いられたものではないかと考えることは可能である。「秦國」は「周防」にあったとされているが,この周防は,江戸時代の認識による周防ではなく,海路によって接続された比較的広範な地域を含むものであった可能性が高い。周防は,「周方」が転化したものであることは木簡史料等によって確認されており,おそらく,意味的には「周王」から転じたものであろうと推測される。

一般に,日本国の古代史の中で滅びた氏族が多数あるが,滅びたように見えて,実はその分家等が勢力を盛り返して復活するというような例も多数あったのではないかと想像される。日本国の支配階層の歴史は,欧州における王族や貴族の歴史と同様,そんなに単純なものではない。

いずれにしても,「藤原」は,人工的につくられた名称である。

「藤原京」の名の意味も,そのような角度から再検討されるべきであろう。

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トマス・アキィナスやデュメジルのような発想は,現在そうであるよりも,もっと高く再評価されるべきものである。

同一の権力を3つの側面に分けて象徴化することにより国家組織の構成または国家統治の安泰を得ることができるという思想上の発明は,人類の発明の中でも最も偉大なものの1つであろう。なぜなら,それによって一般民衆を精神面で支配することが可能となるからである。

過日,某先生から,ゾロアスター教については勉強したことがあるかと質問されたので,「翻訳本の経典は読んだことがあるが,自分の人生の残り時間を考えると,古代ペルシア語または古代バクトリア語で書かれた考古学上の史料を丹念に読み解く時間がもうないので,あきらめた」と答えた。

しかし,自分なりの想像または仮説のようなものはいっぱいもっている。それを検証するだけの時間が全くないのが残念だ。

自分自身の老化・劣化を嘆いていても仕方のないことなので,いまやるべきことについてコツコツと努力を積み重ねようと思う。

デカダンスやニヒリズムに浸っている時間的余裕もない。

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