蘇
単なる思い付きレベルのもので,実証性も何もないが,「蘇我」の「我」を「原」と同義と仮定する場合,または,後の藤原氏が「これは俺の祖先のことだ」という趣旨の暗示として意図的に「我」を用いたと仮定する場合の仮説に基づき,「蘇」の字義を考えてみた。
「蘇」は,漢音では「そ」と読むが,呉音では「ス」なので,「蘇我」は,「すが」または「すわ」であり得る。また,「ス」と読む場合,中国の王朝との対応関係では,「隋」と対応し得る。ちなみに,「蘇我」は,慣例的に,「そが」と読まれている。しかし,同時代またはその直後の時代の史料の中で,「そが」であることを確実に証明し得るものは皆無なので,本当は,どのように読むべきものかが不明のままである。
「蘇」と「藤」の冠は,いずれも「艸」であり一致している。「日下」を意味する。
「蘇」の偏は,「魚」であり,このことから,景教説やらユダヤ教説やら種々の説が派生している。しかし,魚形の佩は,正倉院御物にも多数見られることから,遅くとも平安時代には藤原氏のような上級貴族によって「魚」がシンボルとして用いられていたことを理解することができる。そして,「藤」の偏である「月」と「魚」とが本当は互換性のある字形であると仮定すると,実は同じであるという結論になる。
そして,「藤」の旁である「泰」が真実は「秦」を隠す趣旨で用いられているとすれば,「蘇」の旁である「禾」と「秦」とが実は同じものを指すと解釈することは可能である。
すると,蘇我氏と藤原氏とは全く同一の氏族であることになる。
日本国の正史において,別の氏族であるが如く記載しているのは,中国の史書にも明記してあるとおり,「倭國であったはずの国がいつのまにやら日本国となっており,倭國と日本国とは別だと称している」ような奇妙な状況を含め,何らかの政治的状況がそのようなごかましをせざるを得ないという極めて強い政治的要請を産み出してた可能性がある。
蘇我氏が存在したとされる時代のものと確実に科学的に鑑定可能な木簡等の資料に「蘇我」と明記したものがあるというのであれば,本来であれば「蘇」であったものが「藤」と改められたという仮説をたてるべきことになろうし,そのような客観的な木簡史料が一切ないとすれば,「蘇我」は,後世のつくりものである名称に過ぎないという仮説をたてることになる。
そもそも「蝦夷」なる名を大王に近いような豪族が用いるはずがないし,「馬子」にしてもそうだ。
「蝦夷」は「えめ」または「ゑめ」または「よめ」と発音し得るので「用明」であるかもしれない。
「馬子」は「まこ」と発音し得るので「御子」すなわち「太子」であるかもしれない。あるいは,「蘇我高麗」の「高麗」は、「駒」と同じであるため,「馬子」は,「駒氏の頭領」という敬称を示すものであり,実名ではなかったかもしれない。考古学上の客観的な史料により証明できる大量の馬を育成していた馬養の集団とは,この蘇我氏とされた集団と同一の集団であったと理解することも可能である。藤原馬養(宇合)の名の由来にも合点がいくというものである。
この「高麗」を「穢」のことを指し,その出自を神聖化するために高天原から天下った神の子孫のような名称としたと解するとすれば,「魚」は,漁労を得意としたという「穢」を示すものと解する余地がある。白江の戦以降の時代には,朝鮮半島の政治・軍事の情勢が一変し,実効支配地が日本列島と周辺の諸島だけになってしまったので「魚」を「月」に変えたと考えることもできる。おそらく,「穢」は「禾」であり,「歳」は音を示すだけのものであると考えられる。「禾」は,実は「倭」と同じものを指すものであったかもしれない。「倭」の音は「穢」の音と同じまたは類似であった可能性がある。
『日本書紀』が本当に西暦720年頃に成立した文書であるとすれば,唐から睨まれないような内容にするため,対唐関係上不都合な部分に関して史実の改竄(人物や立場の入れ替え、時代的な前後関係の入れ替え等)が大規模になされなかったはずがない。
白江の戦の前後の時代の記述を示す年号の記載について,異なる暦が用いられている可能性について既に先学が明らかにしたところであるが,それを用いて正確に書き換えてみると,白江の戦の当時,どうしても1年の空白が生じてしまうことになる。そのことは,日本の通説における白村江の戦の歴史上の時点と唐書に記載されている歴史上の時点とのずれの最大の原因となっているものである。そして,このことが,全ての正解を得るための鍵となるものであろう。
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全てを整合的に理解するための鍵は,百濟の様子を記述した中国の史書の記述をどう読むかにかかっている。
百濟國の国家体制は二重構造となっており,支配種族と被支配種族とでは,風俗・文化・言語が異なっているとの趣旨が記されている。
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「蘇」を「ス」と読むと仮定した場合,「阿蘇」は「アス」になる。そして,「阿蘇我」は「アスカ」であり得る。
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