ヘニング・ラトケ判事公開特別講義
下記の公開講義が開催される。
ヘニング・ラトケ判事公開特別講義
日時:2018年1月17日
場所:リバティタワー2階1021教室
参加:一般参加可能(要問い合わせ)
日時:2018年1月18日
場所:リバティタワー13階1134教室
参加:一般参加可能(要問い合わせ)
※ 問い合わせ先等は,下記のポスター参照
http://cyberlaw.la.coocan.jp/Documents/201801_Radtke_Flyer.pdf
[追記:2018年1月21日]
何だかんだとバタバタしていた関係で,1月19日(金曜日)の学内向け講義だけ聴講した。
内容は,平易で,オーソドックスなものであったと思う。ドイツにおける「規範的責任論」の現時点での状況を理解でき,勉強になった。
講義の後に会場から質問があり,脳科学の観点から規範的責任論が何を言っているか理解不可能であるという趣旨の意見的な質問だった。
私の理解によれば,脳科学の研究者が規範的責任論を承認することはできない。なぜなら,規範的責任論は,国家権力の重要な部分である刑罰権の発動を正当化するための説明原理の一種なのであって,そもそも自然科学とは全く無関係のものだからだ。
他方において,脳科学を究極まで突き詰めた場合,ナチス刑法の場合と全く同じく,保安処分一本主義に帰結することを避けることができず,それ以外の結論はあり得ない。脳科学は,「生物種ホモサピエンスに対する合理的かつ科学的な管理と殺処分を最適に行う」という方向性以外の方向性を見出すことができない。
刑法学における責任論は,科学主義による人間の尊厳の蹂躙を阻止するための歯止めとして構想されているのに対し(sollenの領域),脳科学は,人間の尊厳を一切無視した即物主義だけで構成されているので(seinの領域),お互いに議論が成立する土台が存在しないのだ。
それゆえ,双方の研究者は,相手が何を考えているかを知ることは非常に重要なことではあるけれども,調和や合意を求めてはならない。その両者は,原理的に,最初から最後まで敵対関係にあるものであり,「説得」しようと思って接触すれば,最悪の場合,殺し合いになる。それゆえ,お互いに相手を知ることは必要だが,対話を求めてはならず,お互いに関知しないというのが最も平和な状態をもたらす。
そのような簡単な道理を知らないものは,「中学生以下」のランクとして評価されてしかるべきであろう。
中学生というランクは,必ずしも悪いものではない。なぜなら,自然科学者としては,世間の常識を全く知らず,自分の専門分野以外については全く無知であっても,将来,ノーベル賞を受賞する可能性はあるからだ。
これに対し,社会科学や人文科学の領域に属する研究者は,とにかく広い一般教養を身につけていないと全く勝負にならない。
だから,それぞれ別の惑星の住人のようなものだと思い,最初から対話を諦めてしまったほうが無難なのだ。少なくも,お互いに「説得」は不可能である。
ただし,社会科学の分野の中でも情報法やサイバー法の分野ではそういうわけにはいかない。
だから,プロとして情報法やサイバー法の分野をちゃんとやれる人材は,かなり限られてしまうことになる。
いずれにしても,上記のような簡単な原理で構成されているので,脳科学者に過ぎない者を刑法学者として扱うことは厳格に禁止されるべきである。脳科学者は脳科学者として生きるべきであり,脳科学者に過ぎない者が刑法学者であると自称すれば,それは嘘になる。なぜなら,「当為」の要素を全く含まない刑法学は成立し得ないからだ。
私自身は,「ドグマ」というものを嫌うことの多い人間なのだが,公平に観察していて,上記のように思った。
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