法の情報学は存在しないか?
名古屋大学で開催された情報ネットワーク法学会の基調講演は,まことに粗雑なものであった。名古屋大学の若い優れた研究者が気の毒でならない。
まず,講演者は,情報学の定義を全く知らないようだ。
無論,その定義の中に含まれているサイバネティクスについても全く知らないようだ。
ネット上で読める定義関連の文献としては,下記のものがあるのだが,これも読んでいないのではないかと疑いたくなる。
萩谷昌己「情報学を定義する-情報学分野の参照基準」情報処理55巻7号734~743頁 (2014)
https://www.ipsj.or.jp/magazine/9faeag000000hkfv-att/5507-kai.pdf
次に,述べる理論が古すぎて,誰も使っていない。調査手法も,この分野の研究者であれば誰も知っていることであり,自慢できるようなものではない・・・ということを知らないのは本人だけかもしれないと思った。
そして,全精力を傾けて遂行したSHIPプロジェクトの研究と,それから派生した情報ネットワーク法学会の法情報部門やライバル心に燃えて猛烈な勢いでLegal XMLの研究と実装のために人生を賭けてきた多数の研究者のことを全く知らない。名古屋大学法学部の若手研究者のこれまでの苦心と努力を全く顧みていない。
指宿先生の『法情報学の世界』,そして,加賀山先生がほとんど全部を書いたはずの『法情報学』に対する言及は,一言もなかった。
普通は,お世辞として,そういう実績の一端にいくばくかは触れるものだし,そうできるようにするために綿密な調査をした上で基調講演に臨むものではないかと思う。
明らかに,人選の誤りがある。
この分野の研究者であれば,以上の私見に反対する者は(当の本人を除き)誰もいないのではないかと思う。
総じて,オフィスオートメーションによる省力化のことばかり述べられている。これは,30年以上前の発想だ。現在では,AIの弊害について真剣に論じられるレベルをベースとし,それ以上の内容を盛り込んだ知見を示すものでなければ失当と言える。とりわけ,翻訳を例にあげたが,「翻訳は成立しない」という(本当に多数の翻訳をやったことのある人であれば誰でも知っている)簡単な論理を知らない。翻訳作業は,自分の理解を確認し,不足している部分を検出するために存在するのであり.誰にでも通用する汎用の翻訳文など存在するはずがない。翻訳文は,シンボルに対する自己の知性の投影物なので,翻訳者の知性(特に,和訳の場合,日本語能力や日本語及び漢文(漢籍)の語彙の豊富さ)の程度が露骨に反映される。だから,私は,あくまでも「参考訳」として現状の訳文を提供することにしている。
とまれ,来年度の研究大会では,このような大失策がないように,理事会に対して強く要望する。
それはさておき,多種多様な個別報告が多数あり,全部聴講することはできなかったけれども,報告者の意見に対する賛否は別として,チャレンジ精神という点ではとても良かった。失敗を恐れてばかりいれば,学術の発展などあり得ない。
学説というものは,それまでの学説(特に通説)を破壊し,乗り越え,あらたな思索の体系を構築するためにある。
一般に,そのことを「ブレークスルー」という。
同じ系の中から抜け出ようとしない限り,その系の中における応用しか生み出されない。
応用は応用に過ぎず,何か全く新しいものを産み出しているのではない。
過去に存在した要素の組み合わせという意味での応用であれば,いずれ,IBMのワトソンでもできるようになるだろう。
| 固定リンク
« CIAがKaspersky Labを偽装? | トップページ | シンガポール:国営のMyInfoデータベースに登録された個人番号,氏名,パスポート番号等の個人プロファイルデータを本人確認の目的で企業に提供 »
コメント