幡羅官衙遺跡群
下記の記事が出ている。
「幡羅官衙遺跡群」国史跡に 深谷~熊谷の古代郡役所跡
東京新聞:2017年11月22日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201711/CK2017112202000190.html
(余談)
一般に,元の地名は「原」であり,「幡羅」は,後の時代につけられた「嘉名」であるとされている。
しかし,当地の人々が長年待ち望んだ当地の歴史を反映する名であることを付して,「幡羅」を上奏し,それが採択された可能性を否定することができない。
権力関係というものは,意外と複雑なものであるということを,坊ちゃん育ちの学者に理解してもらうことは土台無理なことなので,どうにもならないことではあるが・・・
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