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2017年7月10日 (月曜日)

大長谷若建命

「大長谷」は,普通は,「おおはつせ」と読む。しかし,本当にそうだろうか?

「大泊瀬」の本当の読みが「おおはつせ」ではないとすれば,旧来の学説の全てが瓦解する。

「大泊瀬」は,「慕韓六国諸軍事 安東大将軍」の略称のようなものであるとも考えられる。

「泊瀬」が「百濟」をも意味し得ることは言うまでもない。

私は,「長谷」と「彦」とは,本来は,同じものであると考える(その読みについては異論があり得る。)。

そして,「大長谷」は「大彦」であり,そして,「若建」の敬称であり,そして,「若建」とは,「倭國の建国者」という意味だと考える。

「ワか(が)タケル」の」「か」または「が」は,英語の「of」と同じような機能をもち,漢字では「賀」があてられることが多いが,目的語が現代文法とは逆になっていることがあり得る。

正確に言えば,当時,現在考えられているような意味での日本語や日本語文法は存在しない(←現代において日本語及び日本語文法と考えられているものは,明治時代以降に人工的に構築されたものである。)。

記紀の編者は,「倭のタケル」は,「ヤマト国のタケル」でもあり得る。すなわち,「ヤマト国の(武力による)建国者(統一者)」であるということを知っていたのではないかと思う。

「ヤマト国」については,古くから厳しい論争(いわゆる邪馬台国論争)があることを十分に承知している。しかし,それを十分に承知した上で,記紀の編者は,その建国者が,中国においては「倭國」と命名された国が,国内においては「ヤマト国」であり,魏書において「邪馬台」と記述された国と同一の国であるということを知っていたのだと考える。

あるいは,諸王の権力争いのために混乱した倭國を武力によって統一した大王が「倭のタケル」であったのかもしれない。

「大王」と「大彦」とが完全に同義の敬称であることについては,たぶん異論がないだろうと思う。

敬称なので,実名ではない。実名は,中国の史書に記された「武」ではないかと思う。

そして,『万葉集』の冒頭に雄略天皇の歌が掲げられていることは,実は,相当に重い歴史的な意味があると考える。

文学の領域における通説の解釈とは全く異なるが,雄略天皇の歌にある「籠」は,のどかな田園風景の象徴ではない。

それは,本来は,当時における倭國水軍の精神的な支柱となる海神(龍神)を祀る神社,すなわち,宮津の籠神社と関係する政治的なものであったのであろうと想像される。

当時は,大規模な軍団を移動させるための最も有効・適切な手段は舟だったのであり,そのような大規模な軍用船団をもつ者が倭國全体の支配権を握ることができた。このことは,神武東征神話の中でもかなり具体的に示されているし,ヤマトタケル神話の中でも進軍のために海路の確保が重要であったことが示されている。

それゆえ,海神を祀る神社が必須だった。

「籠」は軍港であり,籠の中の鳥は「軍船」であり得る。この軍船は,飛びたつ時,すなわち,出撃の時のために待機している。あるいは,各地の豪族から供出される軍船が籠である「籠」に集結するのだろうと考えられる。

このような軍船の集結に適した良い軍港となり得る入江のあった場所は,現在では江戸時代以降の埋め立てや自然の沖積により陸地になってしまっているところが多いけれども,例えば,大宰府から北方の区域(現在の博多周辺),大分県の宇佐神宮の周辺・近隣区域,茨城県の鹿嶋大社周辺区域等も含まれる。これらの区域が古代における重要な軍事拠点(特に軍港)であったことは,全くもって疑いようがない。

白江(白村江、または、百江または泊江または泊瀬または泊瀬江)における対唐戦の敗戦の後,その戦後復興の過程の中で,かつての伝説的な栄華を想起し,古代中国の書物の中にある事跡にちなんで,「千枝万葉」の願いがこめられているのかもしれない。

その際にイメージすべき植物は,杉や松ではない。

「たけ(武・建)」すなわち「竹(籠)」である。

タケは,千枝万葉を連想しやすい。しかも,山に何千本生えているように見えてもその根は共通しており,全体として1個の植物である。

いわゆる『魏志倭人伝』にも「竹」に関する言及がある。

(余談)

通説どおりにナンパの歌であると解した場合,「串」は,箸墓古墳の被葬者と考えられている倭迹迹日百襲姫命の(伝承上の)死因と直接的な関連性をもつ。

「百襲」と「泊瀬」は,ほぼ同じと考えることもできる。

「倭迹迹日」は,その読みを含め所説あり,謎の名とされている。

直観的には「和知都見」と何らかの関係があるのではないかというような気もするが,よくわからない。

案外と,名前ではないというのが正解かもしれない。「迹」は「蹟」なので,「後々の日の」という説明文のようなものだと考えることは可能だからだ。

いろいろと考えることが可能であるが,おそらく,記紀の編纂の段階で真実の歴史的前後関係がごちゃごちゃになってしまった部分もあると十分に想像されるので,結局は,いつまでたっても謎のままということになるのかもしれない。

(余談2)

「雄略」の「雄」が「武威」とほぼ同義であり得ることは異論がないであろう。

「略」の意義が問題となる。

『説文解字』には,「經略土地也」とあり,また,「強取也」ともある。

まさに「ヤマトタケル」の事跡そのものであるとも言える。

全体としてみると,「雄略」は,「武力による国の統一者」という意味を示し得ると考える。

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