« 近江史を歩く | トップページ | 末井誠史「防犯カメラの規制」 »

2017年7月16日 (日曜日)

断捨離

これはこれで一つの考え方だと思う。

しかし,この考え方を捨てることもできないようでは本当に「断捨離」であるとは言えない。

なにごとこだわらず,「空」の状態を会得するのでなければならない。

しかしながら,現実の世界は,そのようにはできていない。

生存競争が基本なので,「空」を会得した者は情け容赦なくジェノサイドされることになる。

その結果,より物欲の強い者が生存するという結果が生ずる。

したがって,この思想のみによって世界が救われることはない。

他方で,より合理的なレベルだけでものごとを考えた場合,要するに,個々人のその時点における管理能力との関係で「断捨離」の範囲及びレベルが相対的に決まるのであり,そのための一律の(画一的な)基準を決定することのできないものであることを理解することができる。

なにごと教条主義はよくない。

|

« 近江史を歩く | トップページ | 末井誠史「防犯カメラの規制」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 近江史を歩く | トップページ | 末井誠史「防犯カメラの規制」 »