現況
ゼミ長だった非常に優秀な学生が無事に入社1日目を過ごしそのメールを送ってきた。学問の意欲も高いので,実務をしっかりと身につけ,社会の実相をきちんと理解した上で学術と取り組めば,社会にとって有用な研究成果を生み出す人材になるのではないかと期待している。机上だけの空理空論は,哲学としては完全に自由なのだが,実学としての法解釈学においてはそれだけでは全く無力であるし,逆に有害であることさえあるので,真に法学に挑もうとする者は,社会の中で現実に存在している様々な欲望や権力構造のようなものを実際に目にし,味わい,身に染みてそのむごさを思い知り,その上で,各人各様の達観と自己の確固たる世界観及び歴史観を得た後に学問と取り組むのがよろしい。本来,法学は,科挙のための記憶術ではない。
さて,私のほうは,研究題材が雨あられと天から降ってくるような状況の中にある。
100人の法学専門家が取り組んでもこなせないような分量のようにみえる。
しかし,ごく少数の例外的な知人を除いては,その重要性に誰も気づかないでいるように思う。少なくとも,その関連の学術業績は,私の著作とごく数名の著作以外には全く見当たらない。
もしかるすると,その重要性に気づいても,あとから誰かの研究成果をパクればよいと安易に考えて手をつけない者もあるのかもしれない。一般に,秀才と呼ばれる人々の中には,意外とそのようなずるい人間が含まれていることがある。それゆえに秀才なのだが,その程度のものに過ぎない。古代の官職の職格としては,せいぜい九品中の下品の部類に属する程度のものだろう。しかし,そんなことをやっていたのでは,決して,中品以上の域に達することはできない(たまたま非違行為等により上司が更迭または失脚するといったような幸運に恵まれる場合を除く。)。
そこで,「誰もやらないなら自分がやるしかないか」と考え,頑張って取り組むことにした。
幸い,同じ問題意識をもつ非常に優秀な知人と共同で仕事をすることのできるものもでてきたので,仕事のやり方もやや多様化することとなっているが,基本的には自分だけで孤独に仕事を進めている。
その結果,誰からも白い目で見られそうな自論が,世界規模でみた場合の社会の事実として続々とその確実性を実証できるような変化の中にいるということを自覚することができた。強く主張する必要もない。誰でも「やはりそうだったのか」を首を項垂れざるを得ない時が間もなくやってくる。有効な反論は誰もできない。なぜなら,事実それ自体がそのように証明してくれているからである。
無名で貧乏で凡庸とはいえ,一人の法学者としては,これ以上望みようのない極めて幸福な状況の中にいるのだと思う。
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コメント
アマゾン杉さん
こんにちは。
目下,オフリスの類が続々と開花中なのですが,写真を撮っている暇がありません^^;
私の場合,裁量労働のようなものなので,定額の給料のままで,24時間労働です(笑)
しかし,好きなことをやれているので幸福なのだと思います^^
投稿: 夏井高人 | 2017年4月 8日 (土曜日) 10時37分
夏井先生。
おはようございます。
アマゾン杉です。
こちらでは、初めまして。
とにかくお身体にはお気をつけください。
私も憤死しそうです。皮肉なことに
今、流行りの時短が加わりさらに悪環境になりました(笑)
それでは!
投稿: アマゾン杉 | 2017年4月 8日 (土曜日) 07時30分