個人情報保護法制2000個問題
鈴木正朝先生から,論説の抜き刷り等数点が送られてきたので,早速読んだ。
その中に個人情報保護法制2000個問題に関するものも含まれていた。
これはこれで確かに問題だろうとは思う。
しかし,EUの法制を調べ,主要なものから順に翻訳してみると,EU法と言える個人データ保護法令だけでかなりの数があり,これに構成国の法令を加えると,2000個どころの数ではないということを理解することができる。
それでもEUではどうにかこうにかやっている。
日本国は,国土の大きさという点では1つの構成国くらいしかないかもしれない。しかし,人口でみると,EUの構成国との対比ではかなりの大国になるので,2000個くらい個人情報保護法令が存在していても実はそんなに不思議なことではないのかもしれない。
この分野の研究者の数は極めて少なく,「偉い先生方」は妄想や空想に近い空理空論を述べているだけで,制定法や判例法の裏付けによって実証性のある確実な研究をしようとしないので,残念だが,不毛というべき状況が存在している。
他方で,新保先生や鈴木先生は,それぞれの立場で努力し,頑張っておられるのだが,真面目に研究した成果を無償でパクることが非常に上手な悪い奴らばかりの世知辛い世間なので,私から見ると,かなり気の毒なことだと思うことがしばしばある。
私の理解では,個人データ保護法制について最もよく勉強しているのは,やはり,担当している官僚なのではないかと思う。ただ,研究者ではないので,研究論文として世に出ることはない。
次に,国立国会図書館の調査室は,非常によく勉強していると思うし,参考となる論考の密度が異常に高い。しかし,明らかに人数が不足している。もっと増員しなければダメだ。
さて,その私自身はどうかというと,自分の人生設計の中で,5年間はプライバシーの研究をやると決めた最初の1年が経過したところだ。あと数年は資料の精読を重ね,最後の1年でこれまで温めてきた私見を披露しようと考えている。
私見によれば,プライバシーの問題に関する憲法学上及び行政法学上の通説は,明らかに誤っており,それをまともに信ずると,自己破滅または亡国を招くことになる。
ルールが変更されてしまった世界では,変更前のルールを是認しなければ成立しないような演繹法は全く無力だ。帰納法でなければならない。
とにかく,ひたすら一次資料の精読を重ね,自分が苦労した部分を記録に残し,後からやってくる世代のために参考になるような訳を速度重視で提供し続けようと思う。
(余談)
日本国では,個人データ保護指令95/46/ECだけを個人データ保護法だと思いこんでいる者が決して少なくない。その改正法である一般データ保護規則GDPRについて知っている人はそう多くないし,EU(EC)の行政機関に適用される規則No45/2001をちゃんと研究している者は著しく少ない。
それだけでも問題なのだが,EUの個人データ保護法制全体を見通すような学術研究のために日々刻苦勉励している研究者は,たぶん,日本国では私だけなのではないかと思う。
そのような研究を重ねるにつれ,上記の有名な法令が,本当にEUの標準的なデータ保護の姿を示すものではないということを理解することができた。確かに,理想は示されている。しかし,理想は理想に過ぎない。その実装と運用を知ることが大事である。そのためには,各分野の実装法令に該当する法令をくまなく調べ,その運用の指針とない当該組織の内部規則をくまなく調べる必要性がある。
すると,日本国の憲法学及び行政法学の分野における個人データ保護法制の理解がいかに根拠のない空理空論に過ぎないのかということが自ずと見えてくるのだ。
苦労が多いだけで,それによって名誉や利益が得られる可能性など全くないことは最初からわかっている。しかし,名誉や利益が問題なのではない。将来の国民のために,正しい学術研究成果を提供するのが学者の使命だと考えている。
私の参考訳には,速度重視のゆえに,誤訳や誤記も含まれているし,研究の進展とともに理解が深まり,従前の訳語を変更すると明言する部分が増えてきた。そのように明言する部分には,実は,従来の通説が根拠のないものであることを示す暗喩も含まれている。私が「慣例により」と記述している部分は,その時点では十分に研究ができていないために,とりあえず私見の開示を保留して在来の訳語を尊重するが,内心では相当に疑問に思っているという趣旨を示している。
「仮訳」ではなく「参考訳」としているのは,あくまでも暫定的な私訳であり,確定訳でも公式訳でもない参考資料の一種に過ぎないということを示している。どんな場合でも原文を直接に読まなければ意味がない。そのための参考資料の一種という趣旨だ。
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