季刊考古学138号 特集:弥生文化のはじまり
帰宅途中の電車の中で下記の雑誌を読んだ。
季刊考古学138号
ISBN: 9784639024606
http://www.yuzankaku.co.jp/products/detail.php?product_id=8334
古代に興味のある人であれば誰でも興味津々の話題だと思う。
どの論説も非常に参考になるもので,とても勉強になった。参考文献としてあげられている専門文献等を更に読んで勉強を深めようと思う。
(余談)
従来のような「全部朝鮮からの渡来人」のような単純過ぎ,かつ,特に明確な客観的な裏付けのない考え方は100%否定される・・・というのが現在の学術上の到達点だと考えるし,考古学の成果を前提とする限り,この結論が変更されることはあり得ないと思う。
私見では,古代の日本列島には現在のサモアの人々と同じような文化圏が土台にあり,そこにベトナム中部~中国南西部経由でわたってきた青銅器文化をもつ人々が支配階級として乗っかり,更に後代になって,鉄器文化をもった北方系の人々が朝鮮半島を通り過ぎて一気に南下してきたと考えるのが妥当ではないかと思う。しかも,青銅器文化は東アジアで独自に発展したものというよりも現在の中欧~東欧~北欧を含め,ユーラシア全体の大きな流れの中で理解すべきものだと考えている。特に中央アジアのバクトリアとその周辺の諸族との関係については,先入観や固定観念のようなものを全て排除して素直な目で見直すべきであると考えるし,考古学ベースの歴史学では既にそのような傾向を濃厚に示すようになってきている。
現代社会に形成された歪んだ民族主義のようなものは,遺伝子学上でも考古学上でも全く支持されないので,これまた廃棄されなければならない。「民族など存在しない」という前提で,生態学の知見を応用し,それぞれの環境に適応するために生活習慣や言語習慣等が細かく分化し,特化したものとなって,それが「民族」だと錯覚されてしまったまま今日に至っていると考えるのが妥当だと思う。客観的な種としての民族は存在せず,一定の文化現象だけが存在していると理解するのが正しい。
ダーウィンの理論の正しい理解によれば,環境に適応した最適化に向けて生物種が進化すると,個々の環境の相違に対応して種々様々な分化と多様化が発生するのが当然であり,「ある特定の社会システムに向けて単一的に最適化するように進化する」といったような唯物史観的な考え方が成立する余地は全くない。事実,生態学における研究成果は,本来の意味でのダーウィンの見解を支持するもので,単一的に最適化することはあり得ないという結果を明確に証明している。それを無理に(人為的に)単一的に最適化させようとすれば,「多様性」というフェールセーフ機能が損なわれてしまう結果,種としての人類は滅びることになる。
良いことも悪いことも,特定の環境条件の下での評価に過ぎないので,環境条件が変化すれば良いことと悪いことの判断基準も大きく変動することになる。その意味で,種々雑多な人々が日々いがみあいながら暮らすことのできる社会が最も幸福度の高い社会だということになるのではないかと思う。
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