幕末における兵庫開港問題の意味
ときどき読みにいっている「しばやんの日々」に興味深い記事が掲載されていた。
薩長を支援したイギリスに対抗して江戸幕府に接近したフランス
しばやんの日々:2017年1月18日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-488.html
なるほどと思うことが多々ある。
普通に高校の教科書で教えられているような「歴史」とは異なる真実が山ほどあるのに,それを知ろうとする人々が実際にはかなり少ないようでもあるし,残念なことだと思う。
過去に書かれたものの暗記だけで済ませることができるのであれば,そのほうが楽であることは間違いない。
しかし,それでは真実に到達することなど決してできない。
[追記:2017年1月26日]
続編がアップされていた。
フランスの指導により近代的陸軍を整えながら徳川慶喜はなぜ大政奉還したのか
しばやんの日々:2017年1月25日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-489.html
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コメント
江藤貴紀さん
単に,特定の学者等のプライドを維持するという目的のために,他の説を徹底的に排斥するということが異常に多く見られます。それを「流派」とか呼ぶらしいのですが,困ったものです。
それゆえ,私の場合には,可能な限り,考古学の成果や現代における実験結果等と矛盾しないような推論をするように心掛けています。これ抜きには,科学とは言えませんね。
何をどう思うのも各人の自由ですが,「思う」だけでは全く根拠になりません。
いずれにしても,神学論争をやりたい人はやれば良いと思います。それで済むのであれば,それはそれで楽しい人生なのだろうと思います。しかし,学問の世界を牛耳ることを許されません。あくまでも個人的な趣味の一種として身内だけで神学論争をやるべきで,それを「事実である」として他人に押し付けるようなおこがましいことはしないで欲しいです。
それは,「事実」ではなく,単なる「主観」の一種に過ぎません。
投稿: 夏井高人 | 2017年1月31日 (火曜日) 00時28分
夏井高人様
三日月よりちょっと先の明かりを頼りにして、文書へ少し手を近づけたりしても、歴史はほんとうに可能性に満ち溢れたものになりますね。
ただ、神にすがった人間の考えたどうしようもない神学論争も、過去の話になると、面白いものがあると最近きづけるようになりました(現在進行形で、意味のある議論のような風にして神学論争をやられると、同時代の人間はもちろん迷惑きわまりないに違いないのですが)。
あとまた、偽書のヴァリエーションや程度、認知の誤謬についてパターンを考えることも、なかなかに楽しいです。ただ、「タダより高いものはない」という自戒はとにかく毎日、念仏のように繰り返しています。
投稿: 江藤貴紀 | 2017年1月30日 (月曜日) 23時40分
しばやんさん
コメントありがとうございます。
とても勉強になる記事でした。ありがとうございました。記事の中で紹介されている書籍も全部読んでみようと思います。
薩長軍閥支配というよりも長州軍閥支配は戦前戦後を通じてその後まで続くことになるわけですが,そういう状況下で近代史をちゃんとやるのは古代史をやることの何倍も大変ではないかと思います。
その古代史の領域においてさえ,問題があります。
隋の使節が倭國を訪問した当時は海峡をはさんで連合王国的な状況になっていたと推定される秦国(安芸~周防一帯)のことを書くのは,なかなか大変なことです。「安芸」は「阿國」または「王國」であり「周防」は「周王」から由来するものかもしれないと思うことがあり,更に困難度が深まります。「阿」を分解して「つくり」の部分だけ見ると「可」となるので,「華」または「夏」でもあり得ると考えることがあります。「阝」は,領土または領地を示す漢字の部首として用いられることが多いので,それ自体として,かなり大きな意味があると考えられます。部首の「囗」も同じで,例えば,「田」は「囗」と「王」を重ねたもので,「国王」または「王国」を意味すると考えることができます。これと同じです。
「夏」は現代中国語では「シャ」のような音になりますが,おそらく,北方古音は「カ」のような音だったのだろうと推定されます。意味的には「華」と「夏」は同じです。そして,遺伝子的には,古代の「夏」の支配階級はコーカソイドであった可能性があります。文化的には大陸の古代ケルト文化と通ずる部分がかなり多いのではないかと考えるようになりました。「ケルト」はギリシア語またはラテン語から現代語化した音なので,当時の本当の音は謎のままです。現在ではケルトと呼ばれている人々は,本当は「ケー」、「ゲー」または「カー」というような音をもつものだったかもしれません。もしこれが正しいとすれば、「ゲルマン」すなわち「ゲーの人々」とは、ケルト(ケ、ゲーまたはカー)の一種ということになりますよね。
そのような問題があることはさておき,隋の使節が見聞した内容は,おそらく,かなり正確なもので,当時の状況を伝えるものとしては一級にものだろうと思います。隋の使節が「華夏か?」と疑ったのに,その結論を留保し,かなり曖昧な報告しかしていないのは,当時としては皇帝でさえ手にすることができないような相当にすごい賄賂をもらった返礼のようなものではないかと思います。なお,当時の倭国が大軍といえるレベルの騎馬兵を主体とするものだったという点には特に注目すべきだろうと思います。
他方で,歴史学の世界では,現在でも神学論争のようなものがあちこちで行われています。
観念からスタートするのではなく,確実な史料から論証するという方法は,史料それ自体がオリジナルの作成者の主観を反映するものであったり,後に改竄されたりしている可能性が高いものが多いので,慎重に取り扱わなければならず,しんどいです。
時間がかかっても自分自身の納得度を基準として,コツコツと勉強と研究を続けております。
投稿: 夏井高人 | 2017年1月28日 (土曜日) 08時53分
夏井高人様
いつもよく読んで頂いたうえに、ブログで記事の紹介までいただき感謝感激です。
学生時代に大政奉還を学んだ時に、普通なら権力者が簡単には手放さないはずであるのに、朝廷に政権を返上したことに違和感を覚えたのですが、当時の教科書や参考書で、納得できるような解説のある書籍はなくただ鵜呑みにしていただけでした。
このような史実は、薩長や英仏にとって不都合な真実なので、長い間伏されてきたものだと思うのですが、この歳になって、ようやく真実に少しばかり近づけたような気がしています。
投稿: しばやん | 2017年1月27日 (金曜日) 16時57分