Samsungが洗濯機をリコール
下記の記事が出ている。
After the Note 7, Samsung Recalls Washing Machines Because of Explosion Risk
Softpedia: November 4, 2016
http://news.softpedia.com/news/after-the-note-7-samsung-recalls-washing-machines-because-of-explosion-risk-509978.shtml
Now Samsung's washing machines are 'exploding'
Wired: 5 November, 2016
http://www.wired.co.uk/article/samsung-recall-washing-machine
(余談)
現在流通しているスマート家電やスマートホームの中には,機械装置それ自体としての欠陥だけではなく,スマート家電特有のハッキングの容易性という脆弱性(欠陥)を有するものが決して少なくない。
家電製品のリコールは理解しやすい。通常の工業製品のリコールの場合とそんなに違いはないだろう(ただし,デバイス及びクラウドサーバに残存しているデータの扱いについては別途考察する必要がある。)
スマートホームのリコールはあり得るのだろうか?
リコールがあり得るとして,どのようにしてリコールを実施することになるのだろうか?
将来的には訴訟が多発することになるかもしれないので,関連する弁護士は,今から戦略を練っておいたほうが良いと思う。
(余談2)
私は,企業活動というものが永遠に続くものではなく,どんな大企業であっても比較的短期間に消えていくものだと考えていたし,今でもそう思っている。
それゆえ,だいぶ前のことになるが,法とコンピュータに「破産とコンピュータ」という小論文を書き,判例タイムズにおいてもソフトウェアの利用契約の終期と関連する小論文を書いた。
読者の中には,私に対して怒る人もいた。大企業を侮辱していると考えたのだろう。しかし,その企業は既に消滅しており,現存しない。その名を覚えている人もないだろう。私は,「ざまあみろ」とは思わなかった。そうではなく,そのように私を怒った人を心の底から憐れんだ。もしかすると,その時点で既に経営破綻の状態にあり,世間的には上手にごまかし続けてどうにかこうにかやっているような状態だったので,特に感受性の強い部分に触れてしまったのかもしれない。しかし,それは彼の責任ではない。彼が生まれたときに天がそのように彼の運命を定めた。
人は,必ず死ぬ。企業も同じだ。政府や政党も同じだ。
だから,死ぬときのことを考えて法制度や法の運用を準備しておかなければならない。
以前,当時まだ在職中だったI教授とあることで意見交換をした際,「債権についてもその終了についてまとめて論じた論文はないけれども,民法の論文は骨が折れるので,自分にはちょっと難しい」という趣旨のことを述べたことがある。
I教授は,その後,この問題に関する立派な論文を著したので,とてもよかったと思っている。何でもかんでも私一人だけでやれるはずがない。それぞれの分野が専門家が問題意識をもって研究すれば,総体としては学術の大きな発展につながる。
経営学の世界も同じなので,生存し続けるという意味での危機管理や事業継続性だけではなく,破綻することを前提にした敗戦処理に関する問題についてもっと研究がなされるべきだと思う。ただし,企業がスポンサーとなって研究資金を得る可能性が消滅または減少することは覚悟しなければならない。
学問は,地位や名誉や金や権力のためにやることではなく,あくまでも真理の探究のために存在している。そのことは,誰でも理解している。
それゆえ,現実問題としては,本来あるべき学者として生きるという人生を選択をするか,学者という職業に就いているだけで本来あるべき学問は放棄するかの分かれ道がそこに存在していることになる。
私は,後者ような者については,その経歴や名誉がいかに素晴らしいものであったとしても,「単なる職業学者(mere academic professionals)」と呼んではばからない。
ただし,多くの学者はそんなにバカではないので,通常は,その矛盾が発生しないように,企業にとって不利にならないテーマだけ選択して研究を続けることになる。大学でも教えない。
それゆえ,例えば,大学で経営学を学ぶ学生は,本当は,真に知るべきことの半分くらいを知らないままで卒業することになる。だから,その卒業生は,必ず人生に失敗することになるのだ。
また,新聞社は,スポンサーになっている企業に不利な記事は基本的に書かない(または,書けない。)。それゆえ,読者は,ますますもって新聞記事を信頼しなくなり,新聞社は更に衰退を続けることになる。
思うに,人間は謙虚であるべきだ。死ぬときは死ぬ。
だからこそ,死ぬまでの間にどのように生きるべきかを真剣に考えることが大事だ。
私は,今後とも,真理の探究のために学者人生をささげようと思っている。
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